まやかしの感動
「てめぇ、何を企んでいる?」
レーナの問いかけにユズは答えることなく、ゆっくりと立ち上がると、笑顔のまま歩み寄ってくる。
「近付くな。あと一歩でも近付いたら、手加減しねえぞ」
警告するレーナ。それがどれだけ危険なことか、ユズが理解しているかどうか分からないが、やはり彼女は臆することなく、ただ笑顔で歩み寄ろうとしてきた。
「手加減しねえって言ったからな!」
レーナは軽いステップで前に出つつ、ユズの鳩尾を狙って爪先を突き出そうとしたが、別の方向から飛んでくる殺気を感知し、後退を強いられた。レーナとユズの間に割って入る影。それは……。
「ナナミ、大丈夫よ」
ユズに柔らかく引き止められた彼女はナナミ。かつて最強の勇者だったレーナが、その才覚を認める謎の少女であった。ユズに従って一度は動きを止めたナナミだが、納得したわけではないらしい。
「どうして? この女は明らかに危険です。何も対処しないとしたら、争いの知らない村に肉食の獣を放つようなもの。すぐに無力化します」
「大丈夫。大丈夫よ」
子どもに言い聞かせるように、ユズはナナミの肩を二度叩いた。
「彼女は私のガードになってくれる人なの。危険なんて少しもないわ」
「……ガードに?」
ナナミはレーナの意思を確かめるように、鋭い視線を送ってくる。もちろん、レーナにその気はないが、ユズは穏やかに同意を求めてくる。
「そうでしょう、レーナちゃん?」
「……なんで私の名前を知っているんだ」
一度だって名乗っていない。意識が朦朧とした瞬間はあったが、口を滑らせるほど間抜けではないはずだ。だとしたら、この女は……。
「ずっと、貴方を待っていたの」
ナナミを優しく横に移動させ、ユズは再びレーナの方へ歩み始める。
「貴方もさっき知ったでしょ? クリエイタの心を蝕む呪いの恐ろしさを」
問いかけるユズの笑みに、先程レーナが見せられたビジョンが重なり、吐き気が込み上げてきた。口元を抑えるレーナを包むように、ユズは笑みを広げる。
「守ってほしいの。これだけの苦しみ、貴方のような絶対的な強さを持つ人間しか、頼れない。お願い。さぁ、私の手を取って」
レーナは激しくユズに同情した。それは、彼女の本心というよりも、レーナの体に残った呪いが原因だった。呪いの力で弱ったレーナの心は、簡単にユズの言葉に流されようとしているのだ。
「それだけじゃない」
ユズは誘惑を続ける。
「私はクリエイタにとっての楽園を作れる。自由に好きなものを作れる、クリエイタたちの居場所。思い出して。誰もが貴方のメヂアを褒めてくれた。気持ちが良かったでしょう? 生きている価値を感じたでしょう? そんな日々がずっと続くとしたら……素敵だと思わない?」
間違いない。完成したメヂアによって、シアタ現象こそ再生できなかったが、多くの人が評価してくれた。時間と想いを重ねただけに、それは甘美なものだった。もし、あのときシアタ現象が再生されていたら、どうなったのだろう。もしかしたら、さらに強い感動を巻き起こしたかもしれない。
「好きなように作ったものが、理想通りに評価してもらえる。決して否定はない。満たされるまで、ただ肯定してもらえるの。そんな素敵な世界がやってくるのよ」
レーナは学生時代、自分のメヂアに自信がなかった。誰一人して、彼女の力作を褒めてくれなかったから。でも、本当はもっと自分の表現力を試したかった。自分の世界はこんなものではないと、心のどこかで訴えていた。それなのに、否定されることを恐れ、メヂアと言う世界に背を向けて、忘れようとした。
もう一度やってみよう。そう思った瞬間がなかったわけではない。でも、誰からも肯定されない日々には戻りたくはなかった。そして、気付けが歳も三十を超えている。今更、メヂアをつくるなんて……。
「大丈夫。遅くないの。レーナちゃん、一緒にやろう? そうすれば、ガードとしても、クリエイタとしても、どっちの貴方も私が評価してあげる。ううん、ここにいるすべての人間が貴方を評価してくれるの」
レーナは後ろへ下がる。どんな強敵を前にしても、引き下がることのない彼女だったが、このときは凄まじい重圧の前に、下がらざるを得なかった。これは体に残っている呪いのせいでもあるが、自分の心の弱さによって、ユズの言葉に屈しようとしているのだった。
それでも、レーナにとって本来の強さを取り戻そうと必死に訴える存在があった。彼女の懐の中で密かに発光するトウコのメヂアである。それは少しずつレーナの中にある呪いを吸い取り、彼女に極小規模なシアタ現象を見せていた。
(頭の中に……流れてくる?)
それは、トウコと一緒に過ごす日々だ。どんなときも、思い悩みながなら前へ進もうとするトウコ。
本当に前進しているのだろうか。疑いたくなる日々があった。
本当に誰かの心に届くのだろうか。疑いたくなる日々があった。
本当は自分に価値などないのでは。疑いたくなる日々がった。
それでも……。
――誰かに届いたときは、最高の喜びなんだよ。
それは零れるように落ちた水滴が、波紋を広げるように、レーナの頭の中に響く。
(そうだよな、トウコ)
レーナは、いるはずのない相棒に背を押され、彼女らしい微笑みを取り戻しながら顔を上げる。そして、ユズに向かって人差し指を向けた。
「間違っているんだよ、お前は。そうやってすべてを受け入れているつもりかもしれないが、実際はすべてを受け入れていないだけだ。まやかしの感動じゃあ、クリエイタたちの心は救えやしないんだよ!」
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