◆シアタ現象
私はリュックからノートパソコンを取り出し、コードを引っ張ると、メヂアに接続した。
「何をしているんだ?」
カタカタとキーボードを叩く私の傍らでレーナちゃんが首を傾げる。
「シアタ現象の内容を編集するの。これはミナトくん用に作ったわけじゃないから、サイコロジ・ダイブで得た情報をもとに内容を書き換えるんだよ。……よし、オッケー」
コードを引き抜き、私はメヂアを手の平に乗せてから、空に向かって掲げた。魔力を注ぐと、メヂアはゆっくりと私の手から離れて、浮遊を始める。すーっと、青空へ吸い込まれるように。
そして、汚染された大地の浄化が始まった。その光景にレーナちゃんは驚きを隠せなかったらしい。
「す、すげぇ。これがシアタ現象か?」
「初めて? そっか、学生時代はメヂアを作るばかりで、実際に使うことはなかったものね。でも、これはシアタ現象ではないよ。ただ、大地を汚染している呪いをメヂアが吸い込んでいるだけだから」
「呪いを吸い込むって……こんなに綺麗なものなのか」
レーナちゃんが息を飲むのも無理はない。私も久しぶりに見たから、凄く綺麗に見えている。だって、地面を真っ白に変化させた呪いが、メヂアに吸い込まれるように空へ吸い込まれているのだから。
それは、ちょうど雪が逆さに、大地から空へ向かって降るような光景だ。自然現象ではあり得ない。
私たちは、逆さに降る雪を眺めながら座っていたのだけれど、レーナちゃんが呟いた。
「静かだな……」
「そうだね。この辺りに人間は私たち二人だけだから。この風景と独特な静けさを味わえるって意味では、クリエイタとガードだけの特権を満喫していると言えるかもね」
街一つを飲み込む大地のコラプス化は、その地域の人々をデプレッシャにしてしまう。そうなってしまうと、意識は眠っているような状態になってしまうし、メヂアによる浄化が始まれば活動も停止する。
だから、この瞬間はクリエイタである私と、そのガードであるレーナちゃん以外に、物音を立てるものはないのだ。
「こうして、静かな世界で呼吸していると、生きていることを実感できるんだ。日常の喧騒も忘れて、自分の中に溜まっている、俗世の呪いみたいなものも、一緒に浄化してもらっているような気がするんだ。だから、私はこの瞬間が大好き」
「……分かるかもしれない。何か色々と、どうでもよくなるな」
「色々って、例えば無理に結婚しようとしていることとか?」
私の質問にレーナちゃんは空のメヂアを見つめながら頬を赤らめる。
「誰も無理に結婚しようとなんかしてねぇよ」
「なら良いけどさ。でも、ミナトくんはやめておいた方が良いんじゃないかな?」
「はぁ? なんでだよ?」
不満そうに私の横顔を睨み付けるレーナちゃんだったが、私は空に浮かぶメヂアに指先を向けた。
「ほら、シアタ現象が始まるよ」
レーナちゃんが視線を戻すと同時に、メヂアが光を放ち始めた。
「な、なんだあれ??」
空に映し出される、白い長方形はまるで宙に浮くキャンパスのようだ。そして、キャンパスは白から黒に。
よくよく見ると、その黒の中に人影がある。一人の女性が、暗い部屋で膝を抱えていた。泣いているようにも見えるし、何かに追い詰められて考え込んでいるようにも見えるだろう。
「なんか……寂しそうだな」
レーナちゃんの感想に、私はどこか胸が締め付けられるようで、曖昧な笑顔を浮かべるしかなかった。
「大丈夫。ちゃんと助けがくる。ううん、助けたいって気持ちを、強く持てるはずだから」
ミナトくんの記憶に触れていないレーナちゃんは、私の言った意味を理解できず、首を傾げたけど……余計なことを言っちゃったかな。
空に映し出された孤独な女性。そんな彼女に一筋の光が差し込む。部屋のドアが開いたのだ。
彼女が顔を上げると、信じられないものを見たかのように、目を大きくする。が……自然と湧き出た安堵と喜びに微笑みが零れた。
彼女に差し出された大きな手。
二人は手と取り合う。
そして、つながれた手は溶けだしたかのように、白い鳥に変化した。
鳥は飛び立つ。
二人だけの自由を探し、青い空へ。
同時に、空に映し出されたキャンパスは光の粒子に分解されて霧散すると、そのまま宙に溶けて消えてしまった。
「これがシアタ現象だよ。……どうだったかな?」
私は恐る恐るレーナちゃんの顔を見る。どんな反応だろうか。どんな感情でも良い。彼女の心に、少しでも響くものがあれば……。
「……レーナちゃん、泣いてる?」
「な、泣くわけあるか!!」
そう言いながら、目元を手の甲でこするレーナちゃん。
いやいや、泣いていたよね?
もしかして、大感動?
刺さっちゃった、ってやつ??
けっこう良い感じだったんじゃないかな!?
「そ、そんなことより、浄化は成功したのか?? ミナトくんは!?」
そんなことより……って。
何年もかけて作ったメヂアなんだから、もっと感想をもらえても良い気がするんだけどなぁ。
ここが良かった。
あそこが綺麗だった。
とかさ、思うところ、あるはずだよね??
でも、それは私の思い上がりかなぁ。つまらなかったのかも。
感想をもらえないなら仕方ない。
私の腕がそれまでだった、ってことで。
「成功だよ。ほら、見てごらん。大地は元通りになっているし、ミナトくんも元の姿に戻っているから」
真っ白で人の営みが感じられなかった世界は、色を取り戻していた。そして、蝋で固められたように、おどろおどろしい姿だったミナトくんも。
レーナちゃんは彼に駆け寄り、上半身だけ抱き起して、その呼吸を確かめると、ほっと息を吐いてから、こんなことを言った。
「良かった! これで……私も夢の結婚生活を!!」
あらあら……。
レーナちゃんには悪いけど、彼の幸せは別のところにあるんだけどな。彼女の背中を見ながら苦い想いを噛みしめていると、浮遊していたメヂアがゆっくりと私の手元に戻ってきた。
「お疲れ様。悪くなかったよ」
私は、この小さな球体に詰め込まれた自分の想いを労いながら、何もない空を見上げた。
「お姉ちゃんにも、見てもらいたかったなぁ。お母さんだったら、何て言ってくれただろう」
それはもう確かめようがないけど、きっと褒めてくれるはずだよね。
あー、ちょっとセンチメンタル。
だけど、こうして私の出番はそこそこ上出来と言ってもいい形で終えられたのでした。
さてさて、レーナちゃんの恋の行方はどうなるのでしょうか。
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