敵
「レーナちゃん」
呼ばれた。トウコが呼んでいる。
「レーナちゃん、起きて」
トウコに起こされている。仕事の時間だろうか。起きて用意しないと。今何時だろう。体を起こそうとするが、経験したことのない吐き気に襲われる。いや、これは吐き気ではない。自己嫌悪だ。生きている自分が恥ずかしい。価値なんてわずかほどもないくせに、生きているなんて……。
「トウコ……」
自分の存在価値を認めてくれるとしたら、彼女だけだ。そう思って名を呼ぶが、返ってきた声は彼女のものではなかった。
「起きた? 大丈夫??」
うっすらと目を開けると、そこにはユズの顔があった。どうやら、彼女の膝に頭を乗せて、眠っていたらしい。さっきまでトウコに呼ばれていたと思っていたが、気のせいだったのだろう。
「私は、何を……?」
戦士としての本能で、自分の状況を確認しようと、彼女に尋ねる。
「安心して。いま呪いを吸い出しているところだから」
彼女の手にはメヂアがあった。さっき見た、黒いメヂアと違う。ちゃんと呪いを浄化するためのものらしい。そう言われてみると、さっきに比べてかなり気持ちが楽だ。ただ、自己否定の気持ちが消えたわけではない。
「……私は、生きていてもいいの?」
誰でもいい。肯定してほしかった。ユズに問いかけると、彼女は頷いた。
「もちろんよ。だって、私はレーナちゃんを必要としているもの」
「……私が、必要?」
ユズが頷くと小さな安心があった。わずかなものかもしれない。でも、染み渡るような温かさがあった。すると、今度はユズが問いかけてくる。
「ねぇ、貴方も分かるでしょ? 私たちがどれだけ苦しい思いをしているのか」
私たち、とはクリエイタのことを指すのだろう。もちろん、それは嫌というほどに理解した。頷くの苦しかったが、少しでも彼女を肯定してあげたくて、わずかに顎を引いてみせる。ユズは理解を得たことが嬉しかったのか、微笑みを浮かべた。
「本当にいつも苦しいの。寂しいの。死にたくなるほどつらいのよ」
ユズが頬を撫でる。冷たい指先が心地よかった。
「お願い。私を助けて。貴方が必要なの」
切迫したような表情で、懇願するユズを見ると、その気持ちに応えたかった。何よりも、必要とされてるならば、応えたい。そうすれば、生きていてもいい。生きる資格を与えてもらえるはず。
「どうすれば……?」
何をすれば認めてもらえるのか。それを確認すると、ユズは目に涙を浮かべて感激しているようにも見えた。
「私のガードに……。ガードになって、守ってほしいの」
「……分かった。ガードになって、ユズを守る」
「……ありがとう」
すると、ユズはレーナの瞳に一枚の紙を映した。
「じゃあ、ここに血判を押して。契約を結びましょう?」
指先に小さな痛みが。どうやら、刃物で傷付けられたらしい。よかった、手間が省ける。そう思うくらい、レーナは契約を結ぶ気だった。
だが、彼女は知らない。これは魔族が使う血の契約。
これを通して約束を交わした場合、いかなる方法を持っても裏切りは不可能となる。つまり、レーナはユズのものになるのだ。ゆっくりと、レーナの指先が契約書に近付くが……。
「あれ?」
レーナの懐で何かが熱を持っている。この感覚、いつかも経験したような……。すると、鈍かった思考が少しずつはっきりする。だるかった体に力が戻り始めた。
「ど、ど、ど……どうなってんだ!?」
レーナは契約書を振り払い、体を起こしてユズから離れる。
「なんだ? 何が起こっていたんだ!?」
自分を確認するように、体の至るところに手を当てるが、異常はない。そうだ、怪我をしたわけじゃない。心を蝕まれていたのだ。レーナは懐から感じられた熱の正体に気付く。
「これ、トウコが渡してくれた……」
そう、出発前にレーナから受け取った、赤いメヂアだ。どういう仕組みか分からないが、レーナを蝕んでいた呪いを吸い取ってくれたらしい。まだ本調子ではないが、思考するにも、体を動かすにも十分だ。まともになった思考で、現状を整理する。そうだ、いま自分はかなりまずい事態に追い込まれていたのだ。
「……そうだよ。あと少しで呪いに飲まれるところで、危うく妙な契約を結ぶところだったんだ」
青ざめながら、自分を追いつめていた脅威を思い出す。
「……お前、私に何をするつもりだったんだ?」
つい先程まで自分を介抱していた女を睨みつける。しかし、彼女は少しも表情を変えない。レーナは確信する。こいつは敵だ。しかも危険な……。
「何者なんだよ、お前は!」
つい感情的に声を上げるレーナだったが、彼女の敵……ユズは膝をついた状態のまま、ただわずかに微笑むだけだった。
感想・リアクションくれくれー!




