心理的瑕疵物件に引っ越したんだが、どうもここに取り憑いてるのはオタクらしい
新生活を控えた三月の末、高橋航はとあるマンションの三〇六号室に引っ越した。
駅から十分、近隣に複合型商業施設とコンビニあり、オートロック付きマンションの三階というそこそこどころでなく良い条件のこの部屋が安いのには訳があった。
事故物件。より正確に言うなら心理的瑕疵物件だったのだ。
以前部屋を借りていた住人が孤独死し、その後新しく越してきた住人も一年も経たないうちに次々と出ていってしまったらしい。
立地の良さから考えれば破格も破格の家賃設定をされてももはや借り手がつかなくなっていたのだが、航はそんなの気にせずに即決で部屋を借りた。不動産屋もこれ幸いとばかりにさっさと賃貸契約を結んでくれた。
なんでそんな明らかな地雷物件に手を出したかというと、単純に航にはそんなに金がなかったのと、オカルトの類を全くもって信じていなかったからだ。
就職を機に職場の近くに引っ越したい、それもなるべく家賃の安いところがいい、という航の要望に地雷物件がぴったりフィットした。心理的瑕疵も霊感ゼロで図太い航にはたいしたデメリットになり得なかった。それだけの話だ。
引っ越して一週間ほどが経ち、航は不可思議な現象に遭遇するようになった。
寝る前に確かに消したはずなのに、夜中トイレに起きるとリビングのテレビが点いている。しかも消してもまたすぐに点く。気味が悪いのでそのまま寝ると、朝起きた時にはすでに消えていた。
さらに昼飯を食べたり風呂に入ったりする間スマホを放置していると、いつの間にか知らないWebページが開かれていたり身に覚えのない検索履歴が追加されたりしている。
ラップ音や金縛りといったわかりやすい心霊現象はないものの、この奇妙な現象にはさすがの航も首を捻った。鍵はきちんと変えてあるし、不審者が知らぬうちに部屋に住み着いていて同居状態になっているわけでもあるまい。
あまりに不気味な出来事の数々に、しかし航がさほど怯えなかったのは単に航が図太いからだけではなかった。
深夜にテレビが点いていた時、テレビのチャンネルは深夜アニメを映していた。
航のスマホで勝手に開かれていたのは、アニメの公式サイトだった。
日曜の朝にリビングのテレビがひとりでに特撮番組を流し始めた時、航は確信した。
たぶんこの部屋、オタクが住みついてるんじゃないかと。
幽霊的なものは何一つ信じていなかった航だが、部屋には隠れられそうな場所などほとんどないことから生身の人間が隠れ住んでいる説は早々に放棄した。となれば残りは幽霊しかない。
正体は以前孤独死した住人なのか、それとももっと前から取り憑いていた何かなのか。どちらにせよオタクなのは確定だ。
「全然話がわからん」
テレビを見ながらぼやくと、ダイニングテーブルに置いていたスマホがずずっと何かに引きずられるように動く。見ればスマホの画面には特撮番組の公式サイトが表示されていた。
「これ見て予習しろってか」
航の呟きに返事は返らない。代わりに公式サイトの「STORY」のページがひとりでに開かれて、簡単なあらすじと各話の概要がずらっと画面に並ぶ。
「ふーん、まだ十話なのか」
それならまだ追いつけるかもな、でも途中の話がよくわかんないしな、などと思っていると、またページが遷移して「ON AIR」の文字が画面上部に現れる。放映局のほかに動画配信サービスでの配信状況なども書き連ねてあるようだ。
「親切だな、お前」
またページが切り替わって、今度は検索画面が表示される。検索ワードを表示するボックスには「どういたしまして」の文字が入力されていた。
その翌日、航は百均でホワイトボードを購入して部屋に置いた。
「言いたいことがあればこれに書いてくれ」と頼めば不可視の同居人はマーカーを宙に浮かせ、すらすらと「了解」の文字を書き綴った。
ホワイトボードを介して意思疎通をするうち、航は不可視の同居人が孤独死した住人だったこと、名前は関口佳央という二十代前半のオタクだったこと、平成の半ばに亡くなったこと、真剣駆☆ガールアカリというアニメをこよなく愛していたことなどを知った。
『マジアカはいわゆる魔法少女ジャンルに近い。主人公のアカリはヤンキーで異世界からやってきた魔法使いに魔法を習って異世界からの侵略者と戦う。ただヤンキーだから戦闘は格闘メインだし、移動もバイク。戦闘シーンの作画はめちゃくちゃ気合入ってるし、ストーリーも骨太でいい。魔法使いとは恋愛はなくてあくまで師弟関係だけど信頼の厚さが泣ける。物語が進むにつれて見かけは強いけど棘のある態度で自分を守っているだけで本当は繊細なアカリが人に優しくする勇気を出せるようになって真の意味で強くなっていく姿は感動できる』
「へーえ」
自然と早口で脳内再生される熱量のプレゼンテーションを文面で叩きつけられて、航は感嘆を漏らすことしかできなかった。
そんなに面白いんなら見てみようかな、とタイトルで検索をかけると、アニメ専門の動画配信サービスで見放題配信されているらしい。
「月額五百円か……マジアカ? だけ見て退会ってのももったいない気がするな」
『それならオススメのアニメをいくつか教える。配信されているなら見ればいい』
「マジで? 助かるわ」
さっそく航はトップページから会員登録のボタンを押し、手続きが終わるや否や「真剣駆☆ガールアカリ」の視聴ページへ飛んだ。
それ以来、航は佳央に勧められるまま様々なアニメを見た。
ロボアニメも見たし、女児アニメも見たし、特撮も見た。十八禁ゲームが原作だというアニメでぼろぼろ涙をこぼしたりもした。
過去のアニメだけでなく今まさに放送されているアニメも録画や配信サービスを使って視聴して、佳央とああだこうだと感想を言い合った。
そして一年が過ぎ、アニメ映画を観て帰宅した航は佳央に『もう潮時だ』とホワイトボードで告げられた。
「潮時って、何が?」
『成仏が近い。この一年すごく楽しかった。久々にアニメを見て、感想を共有できて、充実した時間を過ごせた。マジアカについて熱く語り合える同志ができたおかげでこの世への未練が軽くなった気がする』
「何言ってんだ、まだアニメなんてたくさんあるだろ。プリナイの新シリーズも始まるし、鬼人ライダーや戦隊だってまだ最終回見てないぞ」
『いいんだ。それさえ未練にならないくらいもう満足した。もっと早く出会いたかったって後悔はあるにはあるけど、俺が死ななきゃ航とは出会えなかった。死んだことへの後悔もなくなって、今はここで死んでよかったって思えるようになったんだ』
『今までありがとう』と、それだけを書き残してマーカーがコトリとテーブルの上に落ちる。
それからは何度呼びかけてもホワイトボードに新しい文字が書かれることはなく、ひとりでにテレビが点くこともなくなった。
不可視の同居人が消えて、航は本当の意味での一人暮らしを始めた。
◇◆◇◆◇◆
仕事帰り、ふらりとコンビニに立ち寄った航はレジ前ではたと足を止めた。
レジの真正面の棚に陳列されているプリナイ——プリンセス・ナイツシリーズの一番くじのPOPと、その景品群。最新のプリナイのピンクと初代のレッドとブルーが並んで描かれたイラストに、航の目は自然と引き寄せられた。
「懐かしいな」
航が初代プリナイを見たのは十年前、同居人の佳央に勧められてのことだった。マジアカと同じで女の子が肉弾戦で戦う女児アニメだと聞いて興味を持ったのだが、ニチアサの女児アニメな分マイルドな作風とはいえ己より巨大な敵に拳ひとつで立ち向かう少女達の姿はかなりインパクトがあった。
あれから十年。航は職場でそこそこ昇進し、給料は変わらないのに責任と業務量だけ増やされて疲労困憊で帰る日も増え、アニメを追う気力も減りつつあったが、毎週の特撮とプリナイはリアタイや見逃し配信で追い続けていた。
(カルプリもあるのか。引いてみようかな)
プリナイシリーズの航の推しは、音楽をテーマにしたカルテットプリンセスナイツのブルーだ。景品の中にカルプリの四人がプリントされたキーホルダーがあるのを見て、航はくじの券を三枚レジへ持って行った。
「……まあ、そう上手くいくわけないよな」
店の外で景品を開封し、航は深く溜息を吐いた。
三回くじを引いて、当たったのは全てランダム封入キーホルダーのF賞。そこまではいい。出たのは初代プリンセスナイツがひとつと、フルーティープリンセスナイツがふたつ。明らかなダブりだ。
「もう一回引こうか……いやでもなあ」
カルテットプリンセスナイツが出るまで引こうかと考えて、そこまで安くもないくじの金額とランダム抽選の候補の多さに躊躇する。深追いして余計ダブったら目も当てられない。
仕方ない、諦めよう。佳央はフルプリのレッドが好きだったし、佳央へのお供え物だと思えばダブりも悪くはない。それに自分だってフルプリは好きだ。フルプリの四人がプリントされたアクリルキーホルダーを眺めながら、航は懐かしい思い出に頬を緩めた。
「あの」
不意にかけられた声に、航は驚いてキーホルダーを取り落としそうになった。わたわたとキーホルダーを掴んで振り返ると、そこには一人の子供の姿があった。
背格好からして、歳は小学生低学年くらいか。昔と違って赤黒ではなくグレーのランドセルなせいで男女が判別しづらいが、Tシャツとジーンズというラフな服装はおそらく男の子だろう。小さな手に持ったレジ袋には、航が持っているのと同じランダム抽選のF賞の箱の絵柄が透けて見えた。
「プリナイくじ、ダブりがあるならトレードしませんか。僕、フルプリが欲しいんですけど」
「……トレード?」
「交換です。僕はプリナイ5とカルプリとハープリとラブプリを持ってます」
これ、と少年が袋から取り出した箱を開けて順々に見せてきたキーホルダーの中には確かにカルプリの絵柄のものがあった。
「いいよ。フルプリなら被ってるし、交換しよう」
「本当ですか」
航がフルプリのキーホルダーを差し出すと、少年はぱっと顔を輝かせてそれを受け取る。愛おしげな目でキーホルダーを眺めて、少年は「どうぞ」と航にカルプリのキーホルダーを手渡した。
「君、こんな時間に何してるの? お父さんやお母さんは?」
「内緒です。家は近くなので心配しないでください」
ふとした好奇心と心配からそう尋ねると、少年は澄ました顔でそう答える。今時の子らしくませていて防犯意識が高いようだ。航は質問を変えることにした。
「男の子がプリナイって珍しいね。好きなの?」
「好きです。フルプリのスピリットナイツが特に好きなんです、仲間になるまでのドラマがあって」
その回答を聞いて、航はふと懐かしい気持ちになった。佳央は航にフルプリを勧める時、「ネタバレなので深くは言えないが追加戦士のエピソードがとても良いので見てほしい」と熱弁していた。該当の話を航が視聴した時、佳央はホワイトボードに溢れる思いを叩きつけていた。
「そうか。いいよな、スピリットナイツ。俺はカルプリのブルースナイツが好きだよ。敵だった頃から憎めなかったんだけど、仲間になるとかわいくってさ」
航の言葉に、少年は一瞬はっとしたような顔になって「わかります」と目を輝かせて同意する。いいですよねブルース、ハーモニーとの関係性が特に、と熱く語る様は初めて会うはずなのにどこか懐かしく思えた。
「なんか俺達、仲良くなれそうだな」
「僕もそう思いました。あの、よかったらRINE教えてくれませんか?」
どうやら今時の子は小学生でも親とRINEで連絡を取るらしい。航が連絡先を交換すると、少年は嬉しそうにスマートフォンを抱えて微笑んだ。
「僕、門田礼央っていいます。あなたは?」
「俺は……高橋、航。よろしくな」
友達に追加された礼央のアカウントのアイコンは、好きだと言っていたフルプリのスピリットで。
ああ、あいつもSNSをやっていたらこんなアイコンにしていたんだろうな——と、航はふっと笑った。