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第51話 導きの先に

 月華つきはな皐英こうえいが互いに輪廻の華を求めて対峙する少し前——宿場町の外れで紅蓮寺ぐれんじの住職——雪柊せっしゅうは子供の身丈ほどの大きさの岩を前に立ち尽くしていた。

 その手には美しい紫の桔梗の花が一輪、握られている。

 周辺は町の外れということもあり雑草が生い茂るばかりの何もない場所だった。

(ずっと寂しい想いをさせて悪かった)

 雪柊が寺を出てこの地に来たのは、遠い昔に殺された家族に手を合わせるためだった。

 駆け落ちしようとして身重の妻を連れ東へ向かっていたおり、追手の手によってこの場所で最愛の妻を殺された。

 目を閉じると、その時の無力感と喪失感が同時に襲ってくるように感じる。

 雪柊はその場にしゃがみ込み、花を手向けると墓石代わりの岩に向かって静かに手を合わせた。

「雪柊……?」

 後方から聞こえた声に雪柊が振り返ると、馬から降りたひとりの男が近づいて来た。

 祈りを捧げる雪柊の背中に声をかけたのはよく見知った相手——北条鬼灯ほうじょうきとうだった。

 髪を紐でひとつに括り、武装した彼は物々しい出で立ちで現れた。

 膝の土埃を払いながら、雪柊は立ち上がって鬼灯を迎えた。

「お前が寺を離れるとは珍しいな」

「今日は特別な日だからね」

「……ああ、そうか。今日は義姉上あねうえの命日であったな」

 鬼灯はその場に膝をつくと墓石に手を合わせた。

「今でもあの日のことを忘れたことはないよ。でもやっとこの場に来る気になった」

 雪柊は鬼灯に向かって屈託なく微笑んだ。

 20年経ってやっと、妻と生まれてくるはずの子は亡くなったのだと受け入れることができるようになった。

 婚姻を認めなかった久我くが家を捨て、世捨て人のようになり放浪していた自分を拾ってくれた樹光じゅこうという人は若いながら人を救う僧侶だった。

 説法を解くだけでなく、今生で成し遂げるべき道へ導いてくれる人だった。

 だからこそ、雪柊は樹光の元で修業するようになった。

 家族を亡くし、家を捨てた雪柊に対してそれでも成すべきことがあると説き、僧侶の道へ導いてくれた樹光を、かけがえのない存在だったと思う。

 死にゆく人にまで看取りを行い、希望を与え続けた樹光が今も生きていたなら、自分に何と言葉をかけてくれただろう、雪柊はそんなことを考えていた。

「気持ちの整理がついたのだな」

「そうだね。月華のおかげかな……」

「月華の?」

「死にかけても打ちのめされても立ち上がって、最後には自分の欲しいものを手に入れた。あの子の強さを羨ましくも思うけど、あの子を育てる一助になれたことを誇らしく思うよ」

「そうだな。寺で月華を引き取った時には今のような立派な男になるとは露ほどにも思わなかった」

「そうなのかい?」

「当り前だ。時華殿に頼まれたから引き受けたが、公家のぬるい社会で育ってきたあの子が武家の社会に馴染めるものだろうかとあの頃は半信半疑だった」

「立派な武士になれたのは君が戦場を連れ回して強制的に鍛えたからだろう?」

「だがそれを受け入れたのは月華自身だ」

「……そうだね。意思のない行動は身にならない、か」

 雪柊は苦笑した。

 家を飛び出して身を寄せてきた時、雪柊は月華を受け入れるべきか迷った。

 甥の友人だというから一時的に受け入れたが、公家の社会で育った月華が寺で僧侶になるとは思えなかった。

 感情に任せて飛び出してきたのだとしたら、元の鞘に収めるのが正しい姿だろうと思っていた。

 だが、しばらく暮らすうちに月華が武術を教わりたいと言い出した。

 ただの暇つぶしではないかとその頃は思ったものだが、実際に教えてみると打ちのめしても打ちのめしても月華は立ち上がり、向かってきた。

 ある日、家を飛び出した理由を月華に問いただした時には度肝を抜かれた。

 単に我がままで飛び出してきたわけではなく、公家の社会に自分の生きる道はないと言い切ったからだ。

 だからと言って何をしていいかはわからないと言った月華を何とか導きたい、そう思った時から自分の中で何かが変わったように思う。

 自分も公家の世界を捨てた身である。

 雪柊は、公家の家に生まれ、それが世界のすべてだと思っていたせいで家族を失ったと思っている。

 外の世界にはまだたくさんの希望があると自ら気がついた月華を自分に重ね、何とか彼には望む道を見つけてほしいと思った。

 樹光の教えの通り、月華を導く手助けができたのだとすれば、自分は成すべきことを成せたのだろうと雪柊は思う。

「ところで鬼灯、君はどこに向かっているんだい」

「今、その月華を追っている」

「月華を? どうして? 鎌倉に向かわせるんじゃなかったのかい。この間、紫苑(しおん

が持ってきた君からの文にはそう書いてあったじゃないか」

「向かわせたが、それを執拗に追っている者がいる。月華の命を狙っているかもしれぬ」

「誰が?」

陰陽頭おんみょうのかみだ」

 そう不満そうに言って鬼灯はあっという間に馬に跨った。

断りもなく後ろに乗ってきた雪柊を振り落とさんばかりに鬼灯は馬を走らせる。

「お前、一緒に来るつもりか」

「当り前だろう。月華は私の息子でもあるんだから」

 その言葉に鬼灯は不敵な笑みを浮かべた。

「飛ばすから振り落とされるなよ、雪柊」

「誰にものを言っているんだい? だいたい、忠告するなら動く前に言うべきじゃないか」

「ははっ、冗談だ。よもやお前がこの程度で振り落とされるとは思っていない」

「君が言うとあまり冗談に聞こえないのはなぜだろうねぇ。いつもこの調子に付き合わされている月華と蓮馬れんまに同情するよ」

 互いにそんな悪態をつきながら、旧知のふたりは月華たちの後を追った。



 月華は完治していない右足が限界にきていることを感じていた。

 思うように動かなくなってきている。

 10人ほどの武装した男たちに加え、襲い掛かってくる獅子。

 蓮馬も助けてくれているとはいえ、なかなか好転しない戦況に、月華は疲労と苛立ちを隠せなかった。

 その上視界の端に入ってきた、皐英こうえい百合ゆりに口づけている様子は許すことができなかった。

土御門つちみかどっ!」

 余裕の笑みを浮かべる皐英に月華は一層苛立ちを募らせた。

 柿人かきひとが寄越した家臣たち以上に、月華には皐英が寄越した獅子の方が厄介だった。

 大きな体躯の割にはすばしっこく、太く大きな手から覗く鋭い爪は、何度も月華の体をかすめた。

「九条月華、私が憎いか? まあ憎かろうな。だが、こうして百合殿が我が手中に収まったからには、お前を殺してこの場を去るのみだ」

「っ……、皐英様、離してください! もうこれ以上、月華様に手を出さないで」

 百合は何とか皐英の腕から逃れようとしたが、その足は地に着くこともなく宙をばたつくだけで束縛から逃れることはできなかった。

「あなたはまだわかっていない。異能を持っているというだけで生涯狙われ続けるのだ。今回、近衛このえ家の手を逃れたとしてもまた第2の近衛柿人が輪廻の華の噂を聞きつけてつけ、狙ってくるだろう。そんな時にあの男にあなたを守りきれるとは到底思えぬ。だいたい、これまでもあなたを守り切れたことがあるか?」

「確かに私は異能を引き継いだことによって振り回される運命になりました。でも、私は輪廻の華と呼ばれることを後悔していません」

「なぜ……あなたは以前、茶屋で会った私に利用されることをむなしいと言っていたではないか」

「確かにあの時はそう思っていました。ですが、この異能があったからこそ私は月華様に出逢えたのです。月華様は、私の異能のことは気にしないとおっしゃいました。あの方が私の異能を権力に利用することは生涯、ないでしょう。ですから——」

 百合は1度目を伏せ、再び見開いた目に光を宿して告げた。

「私があなたのもとへ行くことはありえません」

「…………っ」

 百合から言い放たれた言葉が耳に刺さり、皐英は言葉を失った。

 呆然自失する中、月華たちが打ち合う鋼の音だけがむなしく皐英の耳に届いていた。

 そんな時、気がつくと冷たい金属の感触が首に当たっていることに皐英は気がついた。

 固唾を呑んでその方向へ視線を送ると、そこには震える手で刀を構える悠蘭ゆうらんが立っていた。

 柿人に派遣された男が最初に月華に飛ばされた折、地面に突き刺さったまま放置されていた刀を手にしたようであった。

 皐英が繰り出した大蛇の呪縛の中で、その力に逆らえたことに感心した。

「……悠蘭、お前はこの私を斬れるのか」

「わかり、ません……でも皐英様を、止めるには……これしか思い、つかなかった」

「首を絞められ、手足の自由を奪われたそんな震える手で私を止められるのか」

 大蛇の締め付けはさらに強くなり、悠蘭は刃先の焦点を定めていることができないほどの抵抗に、苦悩していた。

 だが、大蛇は所詮、もとはただの紙——この術を放った皐英が集中力を欠けば術は解かれ、自由になるはずだ。

「俺には、あなたのような、力はありま、せん……。でも——」

 悠蘭は大蛇の抵抗と戦いながら刀の柄を握り直した。

「兄上を、殺されては……俺が、困るんです。皐英様、あなたにもこれ以上、罪を、重ねてほしくない……」

 そう言って対峙する悠蘭に対し、皐英は地面に差してあった刀を手に取ると、片腕に百合を抱えたまま悠蘭に向かって構えた——。

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