第36話 異能がもたらす不幸
暗くなる前にと思って紅蓮寺を出発したはずが、気がつけば月が空に浮かんでいる様子を見上げ、月華は深く息を吐いた。
足の傷は思いの外、深いものだったようで休憩をしながらでなければ馬に跨り続けることができなかったのである。
だが、約束の刻限までにはまだ間に合う。
月華はやっとの思いでたどり着いた六波羅門の前で馬から降りると門番に声をかけた。
「鬼灯様に取次ぎを頼む」
「どちら様ですか」
門番は初めて見る顔に眉をひそめた。
それは無理もないことだった。
かつて月華が鬼灯とともに鎌倉に向かってから、京に戻ってくることはなかったため鬼灯の腹心であろうとその顔を知られる由もなかったのだ。
その時、月華の目の前にある門の扉が彼を歓迎するように内側から開かれた。
「月華、よく参った」
扉を開きながら鬼灯は言った。
鬼灯自ら客人を出迎えることなど珍しいことだったため、門番は開いた口が塞がらなかった。
しかし、すぐに我に返ると主人に頭を下げる。
月華も鬼灯に対して軽く会釈した。
「鬼灯様、遅くなりました」
「いや、その足でよく馬に乗って参ったものだ。まさか本当に3日で来るとは思わなかったぞ」
「……俺を試しましたね」
「ふん。弱音を吐く文を寄越してくるようならその性根を叩き直してやるつもりだったが……とにかく中へ」
鬼灯と月華のやり取りを目の当たりに口を開けたままでいた門番が慌てて鬼灯に言った。
「あの、北条様」
「ああ、よい。この者は私の息子のようなものだ」
「っ! ご子息であらせられましたかっ。それは大変失礼を……」
「嘘を言わないでください。俺はあなたの臣下で弟子なだけです」
「つれないことを言うでない。息子のようなものと言っただけではないか。こんなに可愛がってきたというのに」
そう高笑いしながら鬼灯は中へ入っていった。
馬を門番に預けるとその後ろ姿を追いかけながら、
「いつか絶対『おじじ様』と言われるようにしてやる」
と月華は皮肉たっぷりに言い放った。
「何か言ったか?」
前を行く鬼灯が長い髪を靡かせながら振り向いたが月華は黙って首を振るだけに留めた。
六波羅の門を潜ると、そこには書院造の建物がひとつ中央に建っていた。
建物を取り囲むように造られた庭には紅葉や銀杏といった広葉樹が揃えられており、庭の中央には小さな池が配されていた。
京の貴族が住む寝殿造りとは違い、そこにはまさに鎌倉と同じ空間が再現されていた。
6畳ほどの畳敷きの座敷に通された月華は、床の間を背に座る鬼灯と向かい合う形で腰を下ろした。
室内をぐるりと見回すと、月華にとっては見慣れた景色が広がっている。
「……なんだか、鎌倉の邸のようですね」
「まあな。私はどうも京の建築様式が肌に合わぬので、こちらに赴任する際に武家様式に合わせて建てさせたのだ」
その自由奔放さが鬼灯らしいと月華は苦笑した。
大方、住まいが整わなければ京には行かぬなどと、将軍にごねたのだろう。
それをまかり通せるのがまた、鬼灯の幕府での立ち位置を物語っている。
「さて、何の話からすればよいか……お前は何が訊きたい?」
「俺が知りたいのは、なぜ百合が狙われるのかということです。そもそも奥州の生まれである百合をどうして雪柊様がそばに置いていたのか……」
鬼灯は頷くとおもむろに口を開いた。
「ふむ。お前は、雪柊がどうしていつも鈍色の着物を着ているか知っているか。そもそも雪柊は久我家の出身だ。公家であった男がなぜ仏門に入ったのか、本人から聞いたことはあるか?」
「……いいえ、ありません。確かに、喪服として着る鈍色の着物、昔から変わっていませんね」
「ああ。雪柊はもう15年以上、喪に服いているのだ……雪柊が今のお前と同じ年の頃、妻がいてな。その妻は雪柊の子を宿していた」
月華は初めて聞く話に目を見開き、驚きのあまり声も出なかった。
鬼灯は予想していた通りの反応を確認して、話を続ける。
「その妻というのがとある家の出身で——私の妻の姉だったのだが、公家として朝廷に仕えていた雪柊とは身分が違うという理由でふたりの婚姻は一族から認められなかった」
「では、鬼灯様と雪柊様は義兄弟だったということですか」
「まあ、短い間のことだ。一族からだけでなくその後もいろいろあってな。駆け落ちしようとしたのだが、途中でその妻は腹の子ともども殺されてしまったのだ」
「……殺された?」
「百合殿を妻に迎えた今のお前なら、その苦しみが如何様のものかわかるだろう。妻と生まれてくるはずだった子を同時に失った雪柊は自暴自棄になり、暴れては何度も死のうとしていた」
雪柊の心の痛みとはいかほどのものだろう。
言葉に言い表すことができないほどの痛みに違いない。
それは年数とともに薄れていくとも思えない。
雪柊の心中を想うと月華は五体がばらばらに切り刻まれたような心地がした。
自分に置き換えることなど、想像すらできない。
「雪柊が荒んでいた折、偶然、ひとりの僧侶に出会い救われた。それが今回の事件の元凶となった『輪廻の華』に関わる樹光という人物だ。樹光には、人が持つ輪廻の業を無効にできる異能があったらしい。来世もまた人として生まれ、今度こそ幸せになれるよう希望を与えることができる能力だ。それが10年前、偶然の出会いによって百合殿に引き継がれた。雪柊はその現場にいたと先日、証言していた」
「なぜ百合にそんな異能を引き継いだのでしょう」
「詳細はわからぬが百合殿が望んだと雪柊は言っていた。きっかけは何であれ、結果は見ての通りだ。その時の雪柊は異能を引き継ごうとした樹光を止めたのかも知れぬが、それは引き継がれてしまった。雪柊の娘が生きていたならちょうど百合殿と同じような年頃だったろうと思う。ゆえに彼女の願いを叶えてやりたいと思ったのかも知れぬ」
「ですが、それは結果として今、百合を苦しめています」
「そうだな。それを途中で知ったからこそ戦火の最中、奥州まで出向いて行き百合殿を引き取ったのではないか。せめてもの罪滅ぼしだったのかも知れぬな」
雷の鳴った夜、震えていた百合の姿が月華の脳裏によぎった。
あの時、百合は雪柊に拾われたことを話してくれた。
「確かに。百合は戦場から逃げ出したところを雪柊様に拾われたのだと言っていました。百合は偶然と言っていましたが、あれは偶然ではなかったのですね。ですが、なぜ百合が戦場にいたのかがわからない」
「戦は互いの正義や信念がぶつかり合う場だ。互いの信じるもののために戦っているのであって、そこにはっきりと線引きできる善悪などない。それだけに迷いが生じた時の、死と隣り合わせの恐怖感は結束を大きく乱すことになる。結束が乱れた側はどうなるかわかるな、月華?」
「……敗北、しますね」
「そうだ。だからこそ兵たちの恐怖心を和らげるために『輪廻の華』を戦場に持ち込んだ。最初にそれをやってのけたのは他でもない、藤原一族だ」
「……どういうこと、ですか」
「百合殿が樹光から異能を引き継いだことを、藤原家では隠し続けていたようだがどこかでその力を利用し、人心を掴ませて戦に駆り出そうとした者が一族の中から現れた。兵たちは百合殿に安らぎを与えられることを知り、死を恐れなくなったのではなかろうか。まあ、一種の洗脳に近いかも知れぬ。だが、効果は絶大だった。ことあるごとに百合殿は戦場に駆り出されていったことだろう」
「…………」
「『輪廻の華』とはその異能を指しているのではなく、百合殿その人を指している言葉だと私は思う。本来、戦場にいるはずのない女子はまるで荒れ地に咲く1輪の華のようであっただろうし、輪廻の業を断ち切ってくれるその姿はさしずめ天女のようであったろうな」
月華はこれまで百合から聞いた話をつなぎ合わせながら想像する。
百合は人の間に序列があることを嫌っている。
どういう結果を生むか知らなかったのかもしれないが、自分が望んで引き継いだ能力を万人のために役立てられると諭されれば、おそらく百合は断らなかっただろう。
多くの死にゆく者たちを助けられないとわかりながら、その来世のために希望を与える辛さはいかほどのものだったろう。
もし自分が同じ立場にあったなら、すぐに逃げ出していたと月華は思う。
百合は自分を殺すことができない呪いがかかっていると言っていた。
それがまさにこの異能の作用だとすれば、すべて繋がってくる。
耐え切れなくなり戦場から逃げ出した百合を雪柊が引き取り、紅蓮寺へ連れて来た。
自分の存在が争いを助長するとわかっても自分の存在を自分で消すことはできない。
だからこそ、寺から逃げ出した百合を追いかけたあの日、百合は殺してほしいと懇願していたのか。
「では、土御門が百合を攫ったのは——」
「十中八九、戦を起こすつもりであろうな。輪廻の華を利用し、ひとつにまとめ上げて挙兵するつもりであろう。だが、正確に言えば戦を起こそうとしているのは近衛家当主であり、陰陽頭はその駒として使われているに過ぎぬ」
ふたりがそこまで話し終えたところで、月華の後ろの襖が勢いよく開かれた。
開かれた襖の前に堂々と立っていたのは見たことがない薄着の女と、その後ろに呆れ顔で額を抑え棒立ちになっている西園寺李桜だった。




