第31話 黎明の光
「さて、どうしたものかね」
傷だらけの月華を連れて寺に戻ってきた雪柊は愛弟子を離れで寝かせ、自室に戻ってきていた。
致命傷は確かになかったが、満身創痍なことには変わりない。
崖から滑落して担ぎ込まれた時に比べれば軽傷と言えるが、動けるようになるまでには数日かかるだろう。
部屋の中には、再び108段の石段を上る羽目になりぐったりしている李桜、月華を抱えながら同じように石段を上ってきても涼しい顔をしている蓮馬がいた。
「李桜、大丈夫かい? 日頃からもう少し運動した方がいいよ」
「そうですよ、李桜殿」
李桜は雪柊と蓮馬の容赦ない言葉にげっそりした様子で答えた。
「僕のことはしばらく放っておいてください」
そんな彼らのやり取りを知らない紫苑と鉄線が程なくして戻って来た。
「ただいま戻りました」
予想よりずいぶんと早い戻りに雪柊は首を傾げた。
訊けば鬼灯の指示で先に戻されたのだと言う。
「ん? ところで紫苑、鬼灯はどうしたんだい?」
「残りの後始末はするから先に戻ってろって鬼灯様に言われたんです」
「遺体はどこかへ埋めたのかい?」
「いえ、息のない者は崖下へ捨てろって鬼灯様が……」
ことも無げに言う紫苑に李桜は目を見開いた。
「……息のある者はどうしたの」
紫苑と鉄線は互いに見合って首を傾げた。
紫苑の話によると10体以上を崖下に捨てたとのことだった。
まだ息のある者は数人程度だったらしい。
鬼灯に言われるまま先に戻ってきた紫苑たちにとってその後の顛末は知る由もなかった。李桜が二の句を告げずに黙したところで、勢いよく襖が開き鬼灯が戻ってきた。
上機嫌な様子で一同を前に腰を下ろす。
雪柊は目を細めて鬼灯を睨みつけた。
「君、まさかとは思うけど、息のある者を皆殺しにしてきたわけじゃないだろうね」
雪柊の言葉に全員の視線が集中した。
鬼灯は目を細めて傲然と言い放つ。
「あんなところで深手を負って転がっていればいずれ死ぬのだ。むしろ息の根を止めてやった方が親切というものだろう」
当然のことのように言う鬼灯に李桜は驚愕していた。
蓮馬は鬼灯の性格をよく理解しているだけに深くため息をつき、紫苑と鉄線は互いに青ざめた顔を向け合った。
雪柊は腕を組み鬼灯に対して呆れ果てた表情を向ける。
「何だ、お前たちその反応は。あいつらは私の月華に深手を負わせたのだぞ? このくらいの仕打ちは当然。むしろ、報復としてはまだ足りないくらいだ」
鬱憤を晴らしてすっきりした様子の鬼灯はその場の全員が呆れかえっていることを意に介さずふんぞり返った。
「何もとどめを刺すことはないじゃないか」
「何だ、雪柊。お前ならあの者たちを手当てするとでも言うのか?」
「まさか、そんなことはしないさ。首のひとつくらいはへし折るかもしれないけどね」
「叔父上、それは結局とどめを刺しているのと同じでは……?」
そんな頭を抱える紫苑の言葉に、鬼灯を含めた面々は絶句したが雪柊はにこやかに微笑んでいた。
かえってそれが不気味に見える。
飄々としていても、やはり雪柊自身が言葉にしたとおり今の彼は腸が煮えくり返るほどの怒りを抱えているのだとみなが理解するところとなった。
「それはそうと息の合った者たちは何者か吐いたのかい」
「残念ながら誰も口を割らなかった。もしかしたら金で雇われていただけかもしれぬな」
鬼灯の見解に李桜は怪訝な顔を見せた。
「金であれだけのならず者を集められるとすればある程度、財力や権力がなければ難しいでしょうね」
「ああ。そういった力を持っていて、百合殿を必要としていた人物といえば——」
「まさか、左大臣様だと?」
「そう考えれば辻褄が合うと思わぬか? まあ、実際に動いていたのは陰陽頭だろうがな」
「……土御門皐英」
李桜は眉根を寄せた。
「私がここへ来る前、近くの宿場町で四堺祭が執り行われていた。そこに陰陽頭もいたから、その足でこちらへ寄ったことは十分にあり得る」
「でも、月華たちが現れるかどうかわからないのにそんなにたくさんの手勢を連れてここまで攻めてこようとしていたとでも言うんですか」
「この寺の周囲には雪柊の結界が張られている。さすがの陰陽頭でも寺の中までは侵入できなかっただろう」
「まあ、そうだね。侵入を許すほど私は優しくないよ」
雪柊の微笑は一層不気味さを増した。
「でも叔父上、結界なんてどこに? 今まで何も気づきませんでした」
「目に見える物ではないんだよ、紫苑。だが、敷地の中に誰が入ってきたのかはわかる。結界自体には侵入を拒むような効力はないが、侵入されたことがわかれば排除できるからそれで十分なんだ」
「叔父上、どこでそんな怪しい術を……」
「ちょっと訓練すれば誰にでもできるよ。月華は気がついていたと思うよ、私の結界に」
紫苑もまだまだ修行が足りないね、と雪柊は続けた。
「では、寺に入り込むことができない皐英は、百合殿自身が寺の外に出る機会を狙っていた、と?」
李桜の問いに鬼灯は頷いた。
「おそらくな。どうやって彼女が外に出たことを知ったのかはわからぬが、やつの思惑通りにことが運ばれたことは事実だ」
「百合様、ご無事でしょうか……」
悲痛な様子で鉄線は言った。
もっと早く雪柊を連れて戻ることができれば、あるいはこのような結果にならなかったのではないかとどうしても自分を責めることしかできなかった。
「命の危険はないだろう。やつらの目的は百合殿の異能を利用することだ。異能が使える状態でなければ意味がない」
「はい……」
わかってはいるものの、それでも鉄線はうなだれるしかなかった。
雪柊は月華をひとりで向かわせたことを後悔していた。
まさか、この近江の山奥にまで攻め込んでくるとは想像していなかったのである。
百合の抱える闇を受け止めることができるのは月華しかいないと考えていた雪柊は、そのいい機会になると思っていたがそれがかえって仇になってしまった。
だが、最後に月華が語った『妻』という言葉に幾分、救われた気もする。
これまで月華が百合のことをそう表現したことはなかったから、このひと晩のうちにふたりの間で心が通ずる何かがあったのだろう。
あるいは心だけと言わず……。
「雪柊、紙と筆を貸してくれ」
雪柊が考えを巡らせていると、鬼灯は向かいに腰掛ける雪柊に対して無造作に手を伸ばした。
彼が用意した筆を受け取ると、鬼灯はすらすらと文をしたため始めた。
「鬼灯、誰に文を書いているんだい?」
鬼灯は雪柊の問いに答えず筆を進めた。
紫苑はその文の内容を隣から覗いて目を剝いた。
その様子を不審に思い、李桜は紫苑に問いかける。
「紫苑?」
「あ、いや、この文、すごいことが書いてあるなと思って」
口元を抑えながら紫苑は、李桜に答えた。
文の表に鬼灯からの文を意味する『鬼』の文字を書き入れると、彼はそれを無造作に臣下の蓮馬に差し出した。
「え? 俺にですか」
「お前にではない。この文には、一時的に私の権限を早川蓮馬に預けると書いてある」
「えっ!?」
「お前はこれを持ってこれから鎌倉へ戻れ。兵を連れて戻るのだ、よいな?」
「数は……」
「50もいれば十分だろう。公家の腰抜けども相手、少数精鋭で十分だ」
せせら笑う鬼灯に蓮馬は力強く頷いた。
「六波羅に戻って門番に馬を用意させるといい。私が鎌倉との往復に使う、よく慣らした馬がいる。お前が乗って来た馬よりも足が速い」
蓮馬は文を懐へ入れて一堂に礼をすると黙ってその場を立ち去った。
「鬼灯様、これはどういう……」
李桜が目を白黒させながら問いただすと、鬼灯は得意げに言った。
「李桜、私が六波羅探題の任にあることを忘れたか? 私の任務は朝廷を監視することだ。朝廷が不穏な動きをしているとあれば、私の権限でどうするか判断することができる」
「それは……」
「百合殿を攫ったのは倒幕のためだということはもはや明白だ。ということは朝廷の一員である近衛柿人を征伐するのは私の役目だろう?」
「でも近衛家に連れ去られたという証拠はどこにもありませんよ。それに本当に倒幕のために攫ったのかどうかも証明できないのでは?」
「証拠? 証拠などどうでもよい。不穏な動きをしているというだけでよいのだ」
嘲笑しながら言う鬼灯に、朝廷の官吏たちに恐れられている李桜もさすがに肝を冷やした。
この人は証拠がなくても、証拠を捏造して自身の正義を貫くに違いない。
「そんなことより李桜も紫苑も京へ戻らなくてよいのか? 早くここを出ねば勤めの刻限に間に合わなくなるぞ」
そう言われはっと気がつくと、すっかり辺りは明るくなっていた。
「やばいぞ、李桜! 今からじゃ絶対間に合わねぇよ」
「嬉しそうに言わないでくれる、紫苑?」
小突きあうふたりに雪柊は失笑しながら言った。
「喧嘩するほど仲がいいって言うけど、今はそれどころじゃないんじゃないかい、ふたりとも」
若いふたりの官吏は顔を見合い慌てて立ち上がると、挨拶もそこそこに駆け出した。
雪柊は駆けていくふたりの背中に声をかけた。
「紫苑! 石段を下りた先に月華の馬がいるはずだよ。それを使って戻るといい」
大きく頷いた甥を見送る雪柊に鉄線は不思議そうに言った。
「雪柊様、紫苑様は馬に乗れるのですか」
「さあ、どうだろうね」
「えっ……?」
「でも人間、必死になれば何でもできるものだよ。紫苑のあの身体能力があれば何とかなるだろう。李桜が振り落とされなきゃいいけどね」
その厳しい言葉に鉄線は身の毛がよだつ思いだった。
その後、鉄線も朝餉の準備をするために席を外したためその場には雪柊と鬼灯だけが取り残された。
微妙な空気が流れる中で、雪柊は重々しく口を開いた。
「鬼灯、本気で摂家に立ち向かうつもりなのかい」
「……愚問だな、雪柊。私は摂家だから立ち向かうわけではない。幕府に牙を向く者は殲滅する、ただそれだけのことだ」
「でも相手は朝廷に深く関わる左大臣だよ」
「だから何なのだ。幕府に歯向かう者はただではおかぬというのが私の主君の仰せだ。最短で10日もすれば蓮馬も戻るだろう。それまでに月華が回復すればすべての準備が整う」
鬼灯は、月華の様子を見てくると立ち上がり障子を開いた。
明るい日差しが差し込み、雪柊はその眩しさに目を細めた。
「月華と百合殿が夫婦になるためには乗り越えなければならない試練だ。私はあのふたりのためなら全力を尽くすつもりだ。お前のようなことにはせぬよ、義兄上」
そう言って優しく微笑む鬼灯こそが、雪柊には最も眩しく見えた。




