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第30話 惨状の跡

 紅蓮寺ぐれんじでは日付が変わっても男たちの話が尽きなかった。

 雨はすっかり上がり、空も明るくなってきている。

 朝になり明るくなれば月華つきはなたちも戻ってくるだろうが、無事に戻ってくるまで全員、眠りにつくつもりはなかった。

 月華を初め、この場の全員が巻き込まれてしまった発端である輪廻の華とは何なのか。

 雪柊せっしゅうの口から語られたのはあまりにも過酷なひとりの女性の運命に通じていた。

 近衛このえ椿が言っていた、選ばれてしまったとはまさにその言葉通りで李桜りおうはやるせない思いを抱えていた。

 紫苑しおんは月華と百合ゆりが幸せそうに身を寄せ合いながら眠っていた姿を思い出し、ふたりの関係はどうなってしまうのか、心を痛めた。

 蓮馬れんまは、月華が鎌倉を旅立つ際に無理にでも後を追いかけるべきだったと後悔した。

 ひとりでなければ月華が大怪我を負うこともなかっただろうと思う。

 鬼灯きとうはよかれと思って近衛家からの文に書かれた内容を任務として月華に任せたことが正しかったのか自問自答していた。

 百合の数奇な運命を思えば、百合に想いを寄せているだろう月華が不憫でならなかった。

 出逢うことがなかったかもしれないふたりを引き合わせたのは他でもない、鬼灯だったのである。

 雪柊は自分の中に抱えておくつもりだったことをすべて打ち明けてしまったことに自責の念を抱いていた。

 ここに集う全員が図らずも脈々と続く呪いのような輪廻に巻き込まれてしまったことは誤算だった。

 長くこれまで受け継がれてきた異能を次の世代へ受け継ぐつもりが百合にはないことを雪柊は知っている。

 雪柊が百合を初めて紅蓮寺に連れてきた時、百合は自身に課せられた、輪廻を自らの手で断ち切ることができないことを知らなかった。

 樹光じゅこうからすべてを聞いていた雪柊は、ありのままに百合へ伝えたが彼女はなぜかすべてを受け入れた。

 不満ひとつ漏らさず呑み込んだ百合にかける言葉すらなかった自分が不甲斐なく、許せなくもあった。

 もしも月華が百合をその見えない闇から救い出す光になるのなら——雪柊はそう願ってやまない。

「もうすぐ夜が明けるな」

 それぞれの想いが錯綜する沈黙の中、鬼灯はぽつりと呟いた。

障子からは優しい光が漏れていた。

「そういえば月華のやつ、雨はとっくに止んだのにずいぶん遅くないか? どこまで追いかけて行ったんだ」

 紫苑は腕を組みながら首を傾げる。

「確かに……。雪柊様、猟師たちが使っていたという避難小屋はそんなに遠いんですか」

 李桜の問いに雪柊は訝しげに答えた。

「いや、少し離れてはいるが町へ出るほどは遠くないよ。確かにおかしいね。雨宿りしているにしてもそろそろ戻ってきていい頃合いだ」

 雪柊は漠然と嫌な感じがしていた。

 月華には必ず連れ帰れと言ったものの、無事に帰ってくる保証はどこにもない。

 近衛家の者に百合が狙われているのは明らかで、いつ何時、危険が及ぶかはわからない。

 そんな時、襖が壊れるほどの勢いで全開され、足をもつれさせながら鉄線が室内へ倒れこんできた。

 全身泥にまみれ、何度も転びながら走ってきた様子が伺える。

「雪柊様、大変です!」

鉄線てっせん?」

「し、下で月華様がっ! 百合様のあ、足がすくんで動かなくて」

「少し落ち着いてごらんよ」

 そう雪柊に言われても鉄線は言葉をうまく繋ぐことができなかった。

 その尋常ではない様子を見て、鬼灯は刀を手に握りしめた。

「坊主、月華たちに何かあったのだな? どこだ、案内しろ」

 鬼灯は立ち上がると急いで表に出て行った。

 その後を同じように無言で追いかける蓮馬も、状況はまったく理解していなかったが武士の勘とでも言うべき感覚で悪寒を感じ、体が勝手に動いていた。

 ふたりの武士の様子を見て紫苑もその後を追いかける。

 3人が出ていった方へ鉄線も慌てて向かった。

「どうしてこうよくないことばかり続くんだろうね」

 その口調とは裏腹に雪柊は風のごとく勢いで後に続いた。

 李桜は深いため息をついて重い腰を上げるのだった。

 鉄線の案内で4人の男たちが勢いよく石段を駆け下りる様を李桜は少し後方から追いかけた。

 まだ日は昇りきっておらず、薄暗い上に石段はごつごつとしていて走って下るのは至難の業だった。

「あの人たち、本当に同じ人間なの!?」

 そんなことを独り呟きながら李桜は石段を下った。

 最初に飛び出した鬼灯が石段を下り切ったそこには、まさに戦場のような光景が広がっていた。

 辺りには20人以上の男たちが転がっており、まだ息があり呻いている者、すでにこと切れている者など様々だ。

 その中心に月華が刀を握りしめたまま伏して倒れていた。

 転がっている男たちと対峙したのは月華で間違いない。

「……っ、間に合わなかった!」

 鬼灯の後ろから追いかけてきた鉄線はその場に崩れ落ちた。

 鬼灯に続いて駆けてきた蓮馬はそのまま月華の元へ駆け寄っていく。

「坊主、一体何があったのだ」

 鬼灯は鉄線の崩れ落ちた体を支えながら言った。

 後に続いて来た紫苑と雪柊も合流した。

「私がお使いの帰りにこの近くを歩いていたら偶然、月華様と百合様にお会いしたのです。一緒に寺に向かっていたのですが、この石段の手前にたどり着いたところで、この男たちに囲まれて……」

「ここに倒れているのがその全員なのか」

「いえ、もっといたと思います。月華様に、寺に戻って雪柊様呼んできてほしいと言われて……百合様も一緒に寺にお連れしようとしたのですが、足がすくんで動けないとおっしゃったので」

「ではここにいない百合殿は連れ去られた、ということか」

 青ざめる鉄線を尻目に、惨状を目の当たりにした鬼灯は顔をしかめた。

 ここに転がっている者たちが誰の差し金なのかはわからないが、この中に百合の姿がないということは連れ去られたと考えるのが妥当だろう。

 鬼灯はその顔に悔しさを滲ませた。

 一方、蓮馬は月華に駆け寄るなり彼を抱き起しながら必死で声をかけていた。

「月華様!」

 何度か名前を呼んだところで意識を取り戻した月華の体をゆっくりと起こしていく。

 蓮馬が見たところ、全身傷だらけで出血が多かったようだが致命傷はないようだった。

「……蓮馬? なぜこんなところにいる……?」

「そんなこと、今はどうでもいいでしょう! 死んでるのかと思いましたよ」

 意識を取り戻した月華はゆっくりと体を起こしながら手にした刀を杖代わりに立ち上がろうとした。

 蓮馬は自力で立ち上がるのもやっとの月華を支えた。

「その右足……歩くのは無理ではないですか」

 月華は苦笑するだけで何も答えなかった。

 右足に追った深い切り傷のせいか、意識が朦朧としているようにも見える。

 蓮馬は肩を貸し、足を引きずる月華を支えながら鬼灯たちの元に集まった。

「月華様っ!」

 鉄線は月華を前に深く頭を下げた。

 月華が倒れる前に雪柊を連れてくることができなかったことを悔いていた。

「鉄線、頭を上げてくれ。お前のせいじゃない」

「でも百合様は……!」

 そう言った後、鉄線は言葉を詰まらせ嗚咽を漏らした。

「月華」

 泣き崩れる鉄線を支えていた鬼灯は、月華をまっすぐに見据えた。

 鬼灯にとって月華は剣術の弟子であり、戦場では背中を預けるほどの部下でもある。

 彼の実力がいかほどのものかは鬼灯が一番よく理解している。

 鉄線が石段を一往復する短い間に目の前に転がる男たちをひとりで相手にしたとすれば、生きていることが不思議なほどだった。

「……鬼灯様もいらしてたんですか。今日は勢ぞろいだな」

 鉄線を支える鬼灯の姿を見つけた月華は苦笑しながら言った。

「お前ひとりでこれだけの人数を相手にしたのかよ」

 紫苑は半分呆れた様子で言った。

「紫苑、まだ京に帰っていなかったのか。もう夜が明けたのに……こんなに揃っていたのなら、少しみんなのために残しておけばよかった」

「……まったく無茶をする。お前は少し限界というものを考えて行動できないのか」

「鬼灯の言うとおりだよ、月華。君が死にかけなのは2度目だって自覚があるのかい」

 鬼灯たちの背中を追いかけてきた雪柊も合流早々、ため息交じりに言った。

「多分、加減ができないのは師匠たちに似たんでしょうね」

 苦言を呈してきた師ふたりに、月華は精一杯の抵抗をして見せた。

 鬼灯と雪柊はお互いに顔を見合わせている。

 月華は少しずつ全身の力が抜けていく感覚を覚えながら続けた。

「……無茶でも何でも、自分の大事な妻を守るために全力を尽くすのは当たり前でしょう? でも、守り切れなかった……雪柊様、必ず連れ帰れと言われたのに……申し訳……ありません」

「月華様!?」

 体を支えていた蓮馬の肩に、急にその重さがのしかかった。

 蓮馬が耳を澄ませると浅くではあるが呼吸はしている。

 どうやら意識を失ったらしい。

「血を流し過ぎたのかもしれぬな」

 鬼灯は月華の右足の傷を見ながら言った。

「鬼灯様、月華様は大丈夫でしょうか!?」

「とにかく休ませるしかなかろう。意識を取り戻すかどうかは本人の生命力にかかっている。我々にはこれ以上、どうすることもできぬ」

 悔しさを滲ませながら言う鬼灯に、蓮馬も苦々しく頷いた。

「とりあえず、月華を寺に運ぼう。この子を休ませてから、百合を取り戻す作戦を立てないといけないね」

 雪柊の言葉に、その場にいた全員が頷いた。

「お前たちは先に戻れ。私はこの屍の山を処理してから戻る」

「頼むよ、鬼灯。でも言っておくけど、いくら可愛い月華を傷つけた輩だからって息がある者にとどめを刺すようなことはしないようにね」

「雪柊、お前の方こそ本当に僧侶なのか? 死んだ者たちに念仏のひとつでも唱えてやろうとは思わないのか」

「思うわけがないだろう。私の可愛い月華をここまで傷つけた上に、娘同然の百合まで連れて行った奴らだよ? もうすでに腸が煮えくり返りそうなんだから」

「お前、言っていることが矛盾しているぞ」

 物騒なふたりのやり取りを無視して、紫苑と鉄線は鬼灯の手伝いを、月華を支えていた蓮馬は雪柊とともに彼を寺に運ぶことにした。

「ところで——」

 寺に戻ろうと石段を数段登ったところで、雪柊はふいに振り返り誰にともなく呟いた。

先刻さっき、月華は百合のことを『自分の大事な妻』って言ってなかったかな」

「あ……確かに」

 特にその意味を深く考えていなかった蓮馬は、自分の耳に聞こえてきた事実だけを答えた。

 遅れて合流した李桜は、月華の言葉は遠くて聞こえておらず、雪柊の話を聞いて目を見開いていた。

 遺体を運ぼうとしていた鬼灯の顔はぴくりと引きつり、抱える遺体を地面に落としそうになった。

 いつもなら雪柊に食ってかかるところだが、今回ばかりは一瞬の沈黙の後、何事もなかったかのように鬼灯は作業を続けた。

 その様子を微笑ましく尻目に見ながら、雪柊は蓮馬とともに月華の体を持ち上げながら石段を登り始める。

「雪柊様、嬉しそうですね」

 李桜がそう訊ねると、

「まあね。鬼灯もやっと子離れできそうだと思って」

 と満面の笑みで答えた。

 蓮馬と李桜はその意味がまったく分からず、首を傾げていた。

「あのー、雪柊様。まさかと思いますが、またこの石段をこのまま引き返すわけじゃないですよね」

「李桜、まだ100段あるからね。しかも登りだからがんばってついてくるんだよ」

「じょ、冗談ですよね!?」

 その李桜の問いに、雪柊が答えることはなかった。

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