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第3話 華と蝶が出逢う時

 月華つきなはが鬱蒼とした草木をかき分けている同じ頃、近江の山奥に怪しい影がふたつ、うごめいていた。

 人目を忍ぶように移動し、彼らもまた紅蓮寺ぐれんじを目指していた。

 ひとりは陰陽寮の長官で土御門皐英つちみかどこうえいといった。

 紫の狩衣かりぎぬをまとい、身軽な身のこなしで山中を駆け抜けていた。

 切れ長の目には月明りがおぼろげに映っている。

「皐英様、本当に紅蓮寺へ向かうのですか?」

「何を心配している、悠蘭ゆうらん

 皐英についていくのがやっとという様子の九条悠蘭は黒い狩衣を翻して答えた。

「いえ、心配しているわけではないのですが……しかし紅蓮寺の住職、雪柊せっしゅう様は相当な手練れと聞きます。不用意に近づけば、危険なのでは? そもそも何しにこんなところへ……」

 陰陽師として陰陽寮に所属する九条悠蘭は皐英の真意も知らされることなく、ただ紅蓮寺へ向かうとだけ告げられてついて来たのだった。

 悠蘭は皐英が何かよからぬことを考えているように感じていたが、従うしか道はなかった。

「雪柊のことを知っているのか」

「兄が昔、あの紅蓮寺で修業していたらしいので」

「ほう」

 皐英はぴたりとその足を止めた。

 悠蘭から初めて聞く情報に興味を持ったからである。

「九条家といえば公家の名門ではないのか。その九条家の長子が寺で修業していたと?」

 急に足を止めた皐英の背中にぶつかりそうになりながら、悠蘭も足を止めた。

 夢中で走っていたがそこはすでに紅蓮寺の麓だった。

 すぐ近くには山頂へ続く長い石段が見えている。

「兄の月華は元服と同時に家を出奔したので、俺もそれ以来、会ってはいません。ですが、同じ公家の久我くが家に兄と幼馴染の方がいて、しばらくその方と紅蓮寺にお世話になっていたと聞いています」

「ほう。して、今はどうしているのだ」

「今は……存じません。九条家の中では月華の話は禁忌とされています。何でも卒なくこなすことができた兄は将来、九条家の跡取りとして有望視されていましたが、家を出たきり行方不明になってしまって……父は、月華は死んだものと思えとそれ以来兄の話をしなくなりました」

 背中から聞こえてくる声に疑問を抱き、皐英は振り返った。

 月明りを反射した眼光は鋭く、悠蘭は背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 まるで蛇に睨まれた蛙の気分だった。

「それはまたおかしな話だな。紅蓮寺と言えば、知る人ぞ知る武術修業寺。雪柊という住職、どこで身に着けたのか知らぬが武術の達人となって自ら見定めた者を弟子として修業させていると聞く。お前の兄とやらが本当に紅蓮寺で修業したとすれば、今は何をしているのだ」

「存じません……それより皐英様、俺が申し上げたいのは兄の話ではなく、その雪柊様が武術の達人だという点です」

 蛇の睨みに耐えながらごくりと固唾を呑み、悠蘭は脱線した話をもとに戻そうとしていた。

 確かに、悠蘭も兄の月華が行方不明のままになっていることが腑に落ちていなかった。

 最後に消息を追うことができたのは、4年前まで紅蓮寺にいたということだけ。

 どんな情報網を使っても兄の消息を追うことはできなかった。

 悠蘭はしばらく忘れていた兄のことをぼんやりと思い返した。

 幼少期は確かに3つ年上の何でもできる兄に憧れていた。

 いつも兄の後ろをついて歩き、兄もまたそんな自分を可愛がってくれていた。

 しかし、周りから常に兄と比べられるようになり、一族の中では秀才の月華、落ちこぼれの悠蘭と陰口を叩かれることが多くなった。

 そのうち、兄の存在を疎ましく思うようになっていった。

 そんな悠蘭の様子を気遣ったのか、目の上のたんこぶだった兄はどこかへ消えてしまった。

 最初は邪魔者が消えたと思い、すがすがしい気持ちでいたがいずれそれが、兄を追い出したのは自分であるという罪悪感に変わっていった。

 今でも兄の才能に対して嫉妬する気持ちと、居場所を奪ってしまったという罪悪感が悠蘭の中には共存している。

 自分でもこの感情をどう処理していいのかわからなかった。

「悠蘭」

 もやもやと過去を振り返っているうちに、皐英に呼ばれていることにはっと気がついた悠蘭は顔を上げた。

 そんな呆然としていた彼を気にするでもなく、皐英は言った。

「まあよい。今宵は様子を見に来ただけだ。雪柊に手を出すつもりはない。目当ては雪柊ではなく、やつが匿っているという姫の方だ」

 皐英は懐から1枚の式札を取り出した。

 それは蝶の形をした和紙で、揚羽蝶の家紋が端に描かれている。

 皐英がその式札に息を吹きかけると1枚の和紙は2羽の光る蝶の姿となって1羽はひらひらと紅蓮寺の境内の方向へ飛んでいく。

 黄金に輝くもう1羽は、明かり代わりにその場にとどまっていた。

「皐英様、これは……」

「あの紅蓮寺に匿われている姫君を連れ出す機会を伺うためには、様子を探らねばな。何せ守りが固すぎてその姿形さえも知りえないのだ。まあ急いでも仕方のないこと。様子を見ながら気長に機会を待つとしよう」

「この紅蓮寺に何かあるのですか?」

「戦の明暗をわける至宝があるのだ。美しい姫の形をした、な」

 皐英は、くっくっと喉の奥で面白そうに笑ったが悠蘭は彼の言う意味が全くわからず、ただ状況を呆然と眺めていた。



 月華は見覚えのある獣道を辿り、紅蓮寺の近くまで来ていた。

 道は細い上にところどころ崖になっており滑落する危険のある山道だった。

 崖の下には沢があり、水の音が近づいていることで、紅蓮寺の近くまで来ていることを月華は確信していたが、月明りだけを頼りに歩いてきたことを少々後悔し始めていた。

(やはり明かりを持ってくるべきだったか。足を滑らすと崖下へ真っ逆さまだな)

 そう考えていると、かすかに遠くから人の声が聞こえてきた。

 こんな夜更けに人が歩いているはずがない。

 明らかに怪しいと感じ、月華は刀の柄を握りながら体制を低くして静かに声のする方向へ近づいていった。

「——明暗をわける——。美しい姫——」

 はっきりと何を言っているのかは聞こえなかったが、それは確かに人の声だった。

 それもふたりいるようだ。

 月華は足音を立てないように慎重に近づいていく。

 自然と刀を握る手に力が入った。

 あと少し近づけばはっきりと声が聞こえると思ったその時。

 不用意に踏みつけた枯れ枝が割れる音が辺りに響いた。

「誰だ」

 月華の存在に気が付いた相手が少し前に出たようだったが、月明りが逆光となって月華からは相手がよく見えていなかった。

「お前たちこそ、こんな夜更けにそこで何をしている」

 問いただしながら少しずつ距離を詰めた月華は、相手の顔が見えてくるのと同時にここで見るはずのない人物に出くわしたのだった。

 向かい合うふたりは同時に言葉を発する。

「……悠蘭?」

「……兄上?」

 黒い狩衣をまとった様子はまるで陰陽師のようで見たこともない姿だったが、その顔は忘れるはずもない。

 かつて九条家にいる頃に可愛がっていた実の弟だった。

 月華は、この近江の山奥という場所、陰陽師と思しき怪しげな男とともにいる自分の弟、そのすべてを現実として受け止められずに混乱していた。

「やれやれ、噂をすればとはこのことだな」

 ひとり現状を冷静に見ていた皐英は、状況を呑み込めず固まったまま対峙するふたりの間に入り、わざとおどけて見せた。

「あのっ、皐英様……」

 悠蘭は自分の前に出た皐英の背中に続いてかける言葉を失っていた。

 行方不明と思っていた兄が突然現れ、しかも腰には刀を差し、まるで武士のような出で立ちで自分の前に立ちはだかっている。

 それはなぜかまぎれもなく兄、月華だった。

「悠蘭には悪いが、邪魔をされては困るので彼にはしばらく消えてもらうことにしよう」

 悠蘭がはっと我に返って皐英を諫めようとした時にはすでに彼の指先はゆらゆらと動いていた。

 皐英の指の動きに従って先ほど蝶となった式神の1羽が月華に向かってひらひらと飛んでいった。

 その行く末を驚愕しながら目で追っていると、式神は金粉のような光の粉を月華の前にばら撒きながら強い光を放ってその視界を奪い、徐々に崖の淵へと追いつめていった。

 月華は近づいてくる得体の知れない光る蝶から少しずつ後退っていた。

 次第に目の前に金粉のようなものが撒かれ、それがきらきらと月明りを反射して周りがよく見えなくなっていく。

 不用意に刀を振り回して、悠蘭を傷つけるわけにはいかない。

 月華は視界を奪われ、1歩、また1歩と後退るしかなかった。

(これは……)

 そう思った時には1歩引いた右足が崖の淵を滑り落ちていた。

「っ……!」

 次の瞬間、さらに強い光に包まれ視界を奪われると、体は地の底に向かって滑落し、月華は意識が遠のいていくのを感じた。

 滑落する寸前、光の中で絶望を顔に浮かべた悠蘭の顔と差し伸べられた手を見たような気がする。

「兄上!」

 崖を滑落していった兄の姿を目の当たりにした悠蘭は助けようと手を伸ばしたが、その手は宙を掴むだけだった。

 彼はその場に崩れ落ちた。

 式神はすでに役目を終えて消えてしまい、辺りは再び暗闇に包まれた。

 その後、月華がどこまで落ちたのか、どうなってしまったのか知ることも叶わなかった。

「悠蘭、案ずるな。運が良ければお前の兄は生きていよう。この紅蓮寺で修業した身であれば案外無事かもしれぬ」

 無事なはずはない——。

 悠蘭は心の中でそう思っていた。

 どんなに鍛えた体であれ、視界を奪われた上に暗闇の中を奈落の底へ落されたようなものだ。

 この辺りの土地勘がないため、悠蘭にはこの崖がどのくらいの高さなのかもわからない。

「式神はまだ1羽残っている。目的は達した。悠蘭、みやこに帰るとしよう」

「皐英様、なぜこのようなことを!」

「悠蘭、何を怒っているのだ。行方不明になっている者ならば別に問題はないであろう? 縁があればまた会える。崖下で死体となっていても誰も気がつかない。それよりも今宵の我々の目的を邪魔される方が問題だ。邪魔者はいなくなった。すべては計画通りだ」

 くっくっと笑いながら紅蓮寺を背に歩き出す皐英に逆らうことは、今の悠蘭にはできなかった。

 落ちこぼれと陰で罵られ、さして能力もなかった自分を拾って、陰陽道を指導してくれたのは他でもない、皐英だ。

 そんな恩師に牙をむくなど、悠蘭にはあってはならないことだった。

 悠蘭は兄が滑落していった崖下を一瞥すると、改めて心を鬼にして皐英の後を追いかけた。



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