第29話 宿敵の再来
振り下ろされた白刃を受け止めながら月華は叫んだ。
「鉄線!」
「は、はいっ」
鉄線は背負っていた米俵を慌てて下ろすと、隣で呆然と立ち尽くす百合の腕を掴んだ。
「百合様、一緒に寺に向かいましょう! 走れますか」
「あ、足がすくんでしまって……動きません」
百合の青ざめる様子を尻目に、月華は最初のひとりを斬り伏せた。
肩から袈裟懸けに斬られた男は地面に転がり呻いている。
そのまま2人目と鍔迫り合いしながら月華は後ろ手に百合を守るようにして足を踏ん張った。
相手の刀を弾き飛ばすとその腹を蹴りつける。
対峙した2人目がうずくまったところで、月華は再び叫んだ。
「鉄線、早くっ! この人数ではそんなに持たない。一刻も早く雪柊様を連れてきてくれ」
「でも月華様、百合様は——」
「百合のことはいい! お前が戻ってくるまでは俺が守るから」
言い終わらないうちに、月華は3人目の懐に入り込むと肘で鳩尾を突き、4人目の足を薙ぎ払った。
返す勢いで5人目の腹を横一文字に斬る。
その隙に月華の横を通り抜け、百合の腕に手を掛けようとしていた男の背中を刀の柄で思いきり
突くと、6人目もその場に伏した。
そうやって10人ほどの男たちが次々と斬り伏せられていった。
その動きは師匠である鬼灯によく似て流水のように淀みなく無駄がなかった。
鉄線は下唇を噛み、口惜しそうにしながら目の前の石段を駆け上がっていく。
「お前、一体何者なんだ?」
月華と刀を交える11人目の男はそう叫びながら、競り負けて後方に飛ばされた。
その後も12人、13人、14人と斬り伏せたところで多少息切れし始めた月華を百合は心配そうに見つめていた。
「月華様……」
「大丈夫だ、それよりも貴女はそこを動くなよ、いいな?」
固唾を呑んで頷いた百合だったが、相変わらず足はすくんで思い通りに動かない。
立っているのがやっとという様子は、後ろ手に月華も感じていた。
月華は休むことなく戦い続けた。
「多勢に無勢とはまさにこのことだな」
月華が15人目と16人目の刀を同時に受けている時、男たちの後ろから堂々と現れた人物がにやりと不気味な嘲笑を浮かべた。
「土御門皐英っ!」
状況を静観する陰陽頭の登場に、月華以外誰も異を唱えていないところを見ると、首謀者は皐英なのだろう。
笑みを浮かべ、皐英は満足げに言った。
「この場所には互いに因縁があると見える。初めてお前に会った時もまさにこの場所だった」
「お前はなぜ近衛の傀儡となって百合を狙う?」
「九条家の人間とはいえ、朝廷に仕えてもいないお前には関りのないことだ」
月華は鍔迫り合っていたふたりを勢いに任せて弾くと、肩で息をしながら順番に男たちを斬った。
気がつくと月華の足元には15体以上の屍が転がっていた。
「なぜ俺たちが寺の外にいるとわかった?」
月華はすでに体力の限界を超えており、気力だけでそこに立っているような状態だった。
それでも百合を守るために、再び刀を構え直す。
「先日、姫と茶屋で会った時に印をつけておいたのだ。紅蓮寺の敷地は雪柊の結界が強くてさすがの私にも手出しができぬのでな。だが、こんなに早く寺の外に出てくれるとは思わなかった」
百合ははっとして自分の左手の甲を見た。
気がついた時には現れていたという黒い蝶の形をしたあざのことを皐英は言っているに違いない。
結局、自分の存在が再び大事な人を危険に晒している——百合には、それが耐え難い苦痛だった。
かつて百合が偶然出会った僧侶から受け継ぐことになってしまった異能には確かに死にゆく者に安らぎを与える力がある。
その力を政治的に利用しようとする輩に振り回され、百合はこれまで何度も心身ともに傷ついてきた。
だが、何よりも一番辛いことは自分のせいで大切な人たちが不幸になることである。
この異能は確かに相手の輪廻に干渉する力があるが、自分の輪廻には干渉できない不条理なものであった。
人の業を無効にすることができる代わりに自分の命を自分で自由にすることができない。
後に雪柊からこの異能について詳しく教えられるまで、百合は何度となくこの異能を受け継いでしまったことを呪い、自ら命を絶とうとしたが見えない強い力に阻まれ、死ぬことができなかった。
この異能は雪柊によれば、誰かに受け継げばその法則から解放されるとのことだった。
だが百合は、受け継がれた相手も同じように辛い思いをするかもしれないと思えばこそ、到底受け継ぐことはできなかったのである。
「九条月華、輪廻の華は我らがお預かりする。お前の出る幕はない」
皐英が片手を動かすと、10人ほどの男たちが月華の後ろ手に控えている百合を連れて行こうと強引にその腕を掴んだ。
月華がそれを阻止しようとすると、残りの10人ほどが一斉に彼に襲い掛かってきた。
ひとりふたりと残る力を絞り出して斬って、斬って斬り続けたが、一太刀、二太刀と襲い掛かってくる敵の切っ先が月華の体のあちこちをかすめ、最後に深く斬りつけられた右足から流血していた。
百合は自分に迫ってくる複数の男たちを前にして息を呑んだ。
指示を出している皐英は自分の異能のことを知っているようだ。
月華を今の危機から救うには、大人しく皐英に従えばいいと頭の中ではわかっていても、心がそれを許さなかった。
守る、と言ってくれたことを信じてすべてを月華に委ねるべきではないのか。
「百合殿、手荒な真似をしてすまないが京へ着くまでの辛抱だ」
「…………い、嫌です。私は、月華様の元を離れません」
百合が男たちの手を逃れようと後退さると、石段に足を引っかけ、後ろに尻もちをつきそうになった。
その腕を強く掴み引き寄せたのは皐英だった。
複数の男たちの相手をしていて手が離せない月華は叫んだ。
「待て、土御門っ! 百合は……百合は渡さない、絶対に」
掠れた声で途切れ途切れになりながら、それでも月華は諦めずに刀を振り続けた。
とにかく目の前の敵をすべて片付けなければ皐英には手が届かない。
白刃に朝日が反射し、眩しさに目を細めた時、連れ去られる百合が半分諦めた表情を残していったのを見たのが、月華の覚えている最後だった。
——百合……!
屈強な男たちに囲まれ、百合は前方を歩く皐英に黙って従った。
月華のことが心配で胸が張り裂けそうだったが、自分が付き従ったことで男たちは月華には目もくれず、その場を離れてくれた。
それが何よりも救いだった。
間もなく、鉄線に呼ばれた雪柊が山を下りてくることだろう。
そうすれば月華は彼らの手によって助けられるはずだ。
今はこの方法でしか夫となった相手を助けることができない。
少し山を下るとそこには牛車が停められていた。
「さあ百合殿、これに乗っていただきましょう」
「……私をどこへ連れて行くおつもりなのですか」
「今は申し上げられませぬ」
「……あなたの目的は何?」
「あなたは知らなくてよいのです、百合殿」
百合は皐英を睨みつけたが、彼はまったく動じる様子もなかった。
皐英が背を向け、牛車に先に乗り込もうとした隙に百合は囲む男たちのひとりに体当たりし、開いた隙間から山の中へ走り出した。
「おい待て、女!」
雨上がりの地面は落ち葉で滑り、昨晩ひねった足もまだ思うように動かなかったがそれでも百合は必死に走った。
「百合殿!」
皐英は叫んだがあっという間にその姿が木々に隠され見えなくなった。
しかし油断した男たちを攻めるでもなく、彼は懐から1枚の紙を取り出すと何やら言霊を唱えて宙に放った。
うっすらと光を放った紙は大きな熊に化け、百合が走り去っていった方へ駆け出す。
その場にいた男たちの中には腰を抜かす者もいたが、皐英は気にも留めなかった。
ほどなくして戻って来た熊の口には百合がくわえられていた。
百合は気を失っているようで、皐英の前に彼女を降ろすと熊は光とともに消え去り、元の紙に戻った。
「百合殿……寺の外に出たのがあなたの運の尽きだ」
皐英は地面に横たわる百合の体を大事そうに抱えると、牛車に乗り込んだ。




