第27話 本心を暴く焔
暗雲が立ち込める空を見上げながら、月華は百合の背中を追いかけた。
いつから雪柊の部屋の前にいたのか、どこから話を聞いていたのかはわからないが、月華たちが話していた百合に関する話を聞いて飛び出していったのは間違いなかった。
紅蓮寺の敷地を飛び出し、百合はあっという間に108段の石段を駆け下りた。
着物の袖を振りながら一心不乱な姿を後ろから見て、月華は百合が転げ落ちはしないかと肝を冷やした。
「……意外と足が速いな」
そんなことを呟きながらも少しずつ百合との距離は詰まっていく。
どのくらい走ってきたのか、夢中になって追いかけていると紅蓮寺からはどんどん離れていった。
まだ夕暮れ前だというのに分厚い雲が光を閉ざし、辺りは徐々に薄暗くなっている。
昨晩の雨のせいで足元はぬかるみ、濡れた落ち葉の敷き詰められた地面は滑りやすい。
こんなところで転んでしまえば全身泥だらけになることは確定だろう。
あと少しで百合に手が届くところまで追いつくと、月華は手を伸ばした。
百合が足元の枝につまずいて足をひねりながら前のめりに転びそうになっていたところを、ぎりぎり後ろから抱き留める。
「間一髪、だな」
後ろから力強く抱き留められた百合がはっと我に返ると、見慣れた赤茶色の髪が視界に入った。
振り向くと、鼻が触れるほどの距離に月華の顔があり、驚きのあまり百合はすぐに顔をそむけた。
「は、離してくださいっ」
百合は月華の腕を振りほどこうともがいたが、一層強く抱えられるだけで、そこから抜け出すことは叶わなかった。
「足を捻ったように見えたがひとりで歩けるのか?」
「……月華様には関係ないことではありませんか」
そう百合が俯いて呟くと、ふたりの上にぽつぽつと雨粒が落ちてきた。
「この雲行きでは通り雨ではなさそうだな。本降りになるかもしれない。昨夜のように雷が鳴り始めても、ひとりでいられるのか」
「っ……!」
昨夜のことを思い出したのか、百合は赤くした顔を上げたがすぐに背けてしまった。
月華は捕まえた百合を離さないように横抱きに抱えなおすと、ゆっくりと歩き出す。
「月華様、降ろしてください!」
「駄目だ」
「どうして……」
「その足じゃ、今は走れないだろう。紅蓮寺からは遠く離れすぎた。どこかで雨宿りするしかないから、とりあえずそこまでは我慢してくれないか百合殿」
紅蓮寺とは反対方向になってしまったが、ふたりが前進した先にひとつの小さな小屋がぽつんと建っていた。
地元の猟師たちが使う避難小屋のようだった。
月華は百合を抱えたまま、勢いよく引き戸を開ける。
窓もないその小屋は多少、壁の間から隙間風が入りそうだったが、雨宿りには十分だった。
土間の向こうには板間が広がっており、中央には囲炉裏がある。
囲炉裏の中に残された灰を見るに、長い間使われた形跡がないようだ。
月華はそっと百合を床に下ろす。
「足は痛くないか」
百合は顔を背けたまま黙って頷いた。
安堵した月華は、
「火を熾す物を探してくるから、貴女はそこに座っていろ。いいか、絶対にここを離れるな」
そう言いおいて小屋を出た。
外に出た月華は小屋の周りを確認し、ひとまず危険がないことを確認すると手早く濡れていない枯れ枝や落ち葉をかき集めて、火打石を片手に小屋の中へ戻った。
薄暗い小屋の中では入口に背を向けて膝を抱える百合の姿がうっすらと見えた。
月華が戻ってきたことは物音で気がついているだろうが、振り向く気配はない。
(引き留めた俺に対するささやかな抵抗……か)
彼女なりに思うところがあって飛び出していったのだろうがそれを引き留めたのは、雪柊に命じられたからではなく、自分の我がままだからだ。
百合をあのまま放っておくことはできなかった。
月華は土間で履物を脱いで板間に上がると集めてきた物を使って囲炉裏に火を熾し始めた。
戦に向かう行軍の途中で野営をすることもある月華にとって火熾しは、お手の物だった。
もし武士になることなく朝廷で官吏として仕えていたなら、こんなことはおそらく一生できなかっただろう、と月華は思う。
たとえ父の手によって導かれた道だったとしても、鬼灯に出会ったことはやはり月華の人生を大きく変えた。
鬼灯の臣下として働いていなければ、百合に出逢うこともなかった。
そう考えると、すべてが必然のように月華には思えた。
囲炉裏の中で炎が上がり始め、小屋の中を明るく照らす。
「百合殿、もう少し火に近づいたらどうだ? 秋雨に濡れたままにしておくと風邪を引く」
「…………」
百合は何も答えなかったが、囲炉裏の方に向かい居住まいを正した。
暖かい炎の明かりに照らされた百合の横顔は口を一文字に結び、固い表情をしていた。
腰元から刀を鞘ごと引き抜いて床に置き、月華も百合の隣に座り直す。
ばちばちと火が弾ける音が響く中、月華は何も言うことなくただそばに寄り添った。
すると百合はおもむろに口を開いた。
「……月華様はなぜ、私を追いかけて来られたのですか」
正座する百合の姿は、月華にはいつも以上に小さく映った。
その瞳には赤い炎がぼんやりと揺らめき、百合の心の揺らぎを反映しているようだった。
「私の近くにいらっしゃると……禍が降りかかります」
月華は黙って百合の話を聞いていた。
「私が奥州にいた頃、大きな宴があって、京からたくさんの貴族の方々が招かれました。その中に近衛家の三の姫、椿がいたのです。年も近かった私たちはすぐに仲良くなり、近衛家が奥州に滞在している間、多くの刻を一緒に過ごしました。その後、会うことはなかったけれど、私が奥州を離れるまでの長い間、よく文を送り合いました」
「よほど仲が良かったんだな、椿姫とは」
「はい……私の心の支えでした。でもその椿が、私のために望まぬ人の元へ嫁ぐことになってしまったなんて」
「……百合殿」
少しずつ感情的になってきている百合に月華は声をかけたが、まったく聞き入れる様子はなかった。
さらに百合は話を続ける。
「私の存在が、いつも誰かを傷つけるきっかけを作っているのです」
「百合殿」
「私がいなくなれば、みんな幸せになるのに」
これまでひとりで抱えてきたのだろう負の感情を、百合は目の前の炎に向かって吐き出した。
月華は百合を落ち着けようとその手を掴んだが、百合は乱暴に振り払った。
「月華様だって、私を探しに紅蓮寺に来なければ大怪我をされることもなかった」
月華は振り払われたことを気にも留めず、逆に今度はその手首を掴むと強く抱き寄せた。
月華の胸の中にすっぽりと収まってしまった百合は、涙を流しながら訴える。
「ごめんなさい……私のせいで大切な月華様にも怪我を負わせてしまった。私がいなくなってしまえばいいのに、私には自ら命を絶つことができない呪いがかかっているから自分ではどうしようもないのです」
百合は抱きすくめられた月華の胸の中で、強くその着物の襟を掴んだ。
抗いようのない何かに縛られている、月華はそんな彼女の秘密に少し近づいたような気がした。
「月華様……お願いです。その刀で私を殺してください」
そう縋って訴える百合にどうしようもなく切なく心が打たれ、月華は百合に口づけた。
何度も角度を変えて口づけるうちに、月華の着物の襟を掴む百合の手からは力が抜けていった。
唇を離すと潤んだ百合の瞳がまっすぐに月華を映していた。
「俺には殺すことはできない。貴女のことを愛しく思うから……だから、その願いは叶えてやることができない、すまないな」
月華は抱きすくめる百合の肩にあごを乗せ、彼女の艶やかな髪の中に顔をうずめた。
かすかに甘い香りが月華の鼻をくすぐり、衝動的に百合を抱く腕に力を込めた。
「月……華…さ…ま……」
「どんな事情を抱えているのかわからないが、俺が全力で貴女を守る。だから、いなくなればなんて言うな。少なくとも俺は貴女に出逢ったことで禍を被ったとは思っていない。むしろ出逢えたことに感謝している。俺には貴女が必要なんだ——百合」
これまで何度言っても絶対に百合の名を呼び捨てることのなかった月華が、初めて望んだとおりに呼んでくれたことにはっとして、百合は顔を上げた。
「……本当に?」
百合の頬を伝う涙を、月華は優しく指先でぬぐった。
雨に濡れて冷たくなった頬に月華が手を当てると、百合は半分泣きながら微笑返した。
その微笑みがこの上なく美しく、愛しく、月華は再び百合に軽く口づけた。
その後はもう、制御が効かなかった。
百合の後頭部を強く自分に引き寄せながら、月華はより深く深く、息もできないほどに何度も口づけていた。
だが百合は拒絶しなかった。
そのまま、月華は静かに百合を床へと押し倒していく。
床に百合の背中が付いたところで月華は唇を離した。
百合の顔の横に両腕を付きながら見下ろすと、彼女の長い髪が床に広がり、荒い息使いの百合が潤んだ瞳で月華を見上げていた。
「……私も、お慕いしていました」
百合は、赤茶色の髪を垂らし自分を見下ろす月華の頬に手を充てて言った。
「私はあなたを不幸にしてしまうかもしれないのに……何度もこれ以上、あなたに想いを寄せてはいけないと自分に言い聞かせたのに……でもやっぱり本当はあなたから離れたくない」
月華は、はにかみながら言う百合の頭を撫で、額に口づけるとそれをきっかけに頬、首筋へと口づけていった。
百合の着物の袷を乱しながら、鎖骨へと口づけを落とすと百合は月華を受け入れるように彼の背中へ腕を回した。
「月華様」
「ん?」
月華は時折、声にならない声を漏らす百合の体に触れ続け、百合の着物は徐々にはだけて、その素肌が少しずつ露になっていった。
「本当は、追いかけてきて下さったこと、嬉しかった……」
身じろぐ百合の体を力強く抑えると、月華は百合の帯に手をかけた。
結び目をほどき、長い帯を引き抜くと、百合はすべてを暴かれたかのように恥じらって顔を背けた。
「百合」
月華は彼女の耳元で囁いた。
「愛している……何よりも今は百合のすべてが欲しい」
顔を背けたままの百合は赤面しながら頷いた。
百合は月華と繋がる快楽に溺れながら彼に突き上げられる度、背中に爪を立てた。
そうして何度も何度もふたりは愛し合った。
まるで離れることを恐れるかのように——。




