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第26話 輪廻の華

「『輪廻の華』って何ですか」

 紅蓮寺ぐれんじの書院——雪柊せっしゅうの部屋に集まった李桜りおう紫苑しおん蓮馬れんまの3人は固唾を呑んで雪柊の答えを待った。

 雪柊は特に動揺した様子も見せず、黙って李桜を見つめた。

 なかなか答える素振りを見せない雪柊に業を煮やした李桜はさらに強い口調で続けた。

「雪柊様はひょっとして『輪廻の華』が何を指しているのかご存じなのではないですか」

 李桜がそう言うと、雪柊の片眉がわずかに動いた。

 そんな雪柊にその場にいた3人の視線が集中したが、彼は苦笑するだけで何も答えようとしなかった。

「椿姫が言っていました、百合ゆり姫は『輪廻の華』だからって。百合姫は選ばれてしまったって」

「選ばれてしまったってどういう意味だよ」

「僕だってわからないからここへ来たんだ。ちょっと黙ってなよ、紫苑」

 いつも通りの官吏たちのやり取りを前に、雪柊は一息入れるかのように立ち上がって障子を静かに開いた。

 とうとう降り出した雨は本降りになりつつあり、昨夜に続き今晩も嵐が近づく気配だった。

月華つきはな様たち、大丈夫でしょうか。こんなに雨が強くなってきているのに」

 外の様子を見た蓮馬が呟くと、雪柊は雨を見つめながら呟いた。

「大丈夫。少し離れたところに猟師たちが使っていた避難小屋がある。今は使われていないようだが、雨宿りくらいはできると思うよ。ふたりとも雨が上がれば帰ってくるだろう」

「雪柊様、話を逸らさないでください。これから朝廷で何かが起ころうとしているのに、その中心にある『輪廻の華』とは何なのか、僕たちは何ひとつ掴めていないんです。話していただけるまで、ここを離れませんよ」

「李桜は毒吐きな上に頑固だねぇ。君、性格悪いって言われないかい?」

「余計なお世話ですっ!」

「……まぁ、図らずも君たちは巻き込まれてしまったわけだから、知る権利はあるよね」

 そう雪柊が言うと突然、先ほど月華が出て行った襖が勢いよく開き、優雅な身のこなしの男が刀を片手に現れた。

「その話、私にも聞かせろ、雪柊」

鬼灯きとう様!?」

 紫苑と蓮馬は驚きで半分腰が浮いた状態になり、李桜は深くため息をつく。

 雪柊は鬼灯を睨みつけた。

「君、人の家に勝手に入り込んだのかい?」

「火急の用件だ、許せ」

 鬼灯は招かれていないことを認めながら、その場に胡坐をかくと頬杖をついた。

 四堺祭しかいさいの立ち合いを終えた鬼灯はその足で紅蓮寺へやって来た。

 滞りなく執り行われた祭祀は予定通り終了し、その場で大臣たちと別れた鬼灯は、もともと訪れる予定だった紅蓮寺へ足を向けたのである。

 鬼灯は訝しげに雪柊を見つめ、話の先を促した。

 以前、自ら問いただした百合に関する核心について、鬼灯は逃すまいと思っていた。

 雪柊は大きく息を吐くと諦めて語り始めた。

「……10年以上前のことだ。この近江に樹光じゅこうという僧侶がいた——私の恩人でね。その樹光様がひとりの少女を助けたんだ、それが百合だよ」

「まさか、ことの発端はそんなに前から?」

 雪柊は頷いて先を続けた。

「百合は藤原家の姫として何不自由なく暮らしていたが、邸の外へ出かけたある日、その一行が賊に襲われたんだ。百合は助かったけれど、供の者がみんな瀕死の状態になってしまってね。その場に偶然出くわした樹光様はどうやっても助からないと見てひとりずつ看取っていくことにしたんだ」

「……看取る、とは?」

「樹光様は、魂を浄化する異能の持ち主だった」

 その場にいた若者たちは互いに顔を見合わせていたが、鬼灯だけは黙って雪柊を見据えていた。

「人は死ぬと後に生まれ変わると言われている。だが、再びこの人間の世界に生まれ変われるかどうかは、現世での行いによって決まるとされていてね。現世で殺生したものは魂が汚れ、その業を抱えて死んでいくことになる。樹光様は、その汚れた魂を浄化することで、業を無効にし、これから死にゆく者に再び人として生まれ変われるよう安らぎを与える異能をお持ちだった」

 雪柊はさらに続けた。

「樹光様が死にゆく者の手を握ると、その手は淡い光に包まれてその者たちは苦痛から解放され、とても安らかな顔つきに変わるんだ」

「見てきたようなおっしゃりようですね……」

 李桜がそう呟くと雪柊は満面の笑みで答えた。

「私もその場にいたんだよ、樹光様とともに」

「やはりそういうことだったか」

 自分の膝の上で頬杖を突く鬼灯は不機嫌そうにしていた。

 なぜもっと早く教えなかったのか、そう責めているのである。

「だが、そこで百合殿がどう関わってくるのかが解せぬ」

「話には続きがあるんだ、鬼灯。樹光様がその者たちを看取っている時、百合は泣きながら懇願してきた。自分の命と引き換えにこの者たちの命を助けてほしい、と。当然、いくら樹光様と言えどときを戻したり死人を生き返らせることなどできない。でも百合は引き下がらなかった。そこで樹光様は百合に異能を引き継がせることにしたんだ」

 雪柊は降り続ける雨を見つめながら、当時のことを思い出して目を細めた。

「助けることはできないが、安らかに眠らせ、また生まれ変われるように導くことはできる」

「異能を引き継ぐ、ですか?」

 李桜は眉間に皺を寄せながら言った。

「この異能は樹光様も人から引き継いだそうでね。誰とは言っていなかったが、もう何100年もそうやって人から人へ密かに引き継がれてきた。まるで輪廻のごとく」

「それじゃあ叔父上、選ばれてしまったっていうのは、その異能を引き継ぐ者として選ばれたってことですか?」

「そういうことになるね。百合はその場で樹光様から看取りを教わった。この異能のことは、百合が賊の襲撃から唯一生き残ったという話と一緒にあっという間に奥州中に広まったと聞く。百合に看取られると、安らかに永眠できるとね。だからそのうち藤原の一族は悪用されるのを恐れて百合を邸の奥深くへ隠してしまったんだ」

「そうか、それで時華ときはな殿は奥州で会うことができなかったと言っていたのだな」

「百合は長い間、邸の外に出されることもなく過ごしていたが、ある時、戦場に連れ出されてしまった」

「戦場に? なぜだ」

「兵たちを戦に駆り出すためさ」

「……どういうことだ」

「藤原氏の中に百合の力を活用しようと言い出した者がいたんだろうね。兵たちに、死しても百合が安らぎを与え、また生まれ変わった後は幸せになれると吹聴し、戦場で百合に看取りをさせた。そうすることで士気は高まり、戦を有利に運ぶことができたらしいよ。戦では一丸となって統率が取れていなければならない。だが、人の恐怖心がそれを乱す。だから百合を戦場に連れていくことで一種の洗脳のような効果を与える道具として利用したんだ」

女子おなごを戦場に連れて行くというだけでもあり得ぬのに、そんなことをさせていたとは外道だな。戦場で死にゆく者など10人や20人では済まぬ…………相当な数を看取ったに違いない」

「百合がそんな扱いを受けていると風の噂で聞いた私はずっと百合を探していたんだ。あの子が異能を引き継ぐことになった現場にいた者として、放っておくことができなかった。そして、奥州征伐の戦から逃げ出した百合をやっと見つけた。その時にはすでに心身ともにぼろぼろだったよ。もうあの子にあんなことは2度とさせたくない」

「では近衛柿人このえかきひとは倒幕の戦で士気を高めるために百合殿を利用しようとしているというのだな」

「そんなところだろうと思う。百合を探していた時に、戦場で倒れていた兵のひとりに訊ねたらこう言っていたよ——戦場には1輪の華が美しく咲いている、自分たちを安らぎに導いてくれる輪廻の華だ、と」

 ついに雪柊から語られた真実に、全員が言葉を失った。

 激しく降る雨の音だけがむなしく部屋の中に響いていた。



 四堺祭を終えた皐英こうえい悠蘭ゆうらんとともに祭壇の片づけを行っていた。

 無事にことなきを得たことに安堵していたのは悠蘭だった。

 父である右大臣は、祭祀を補佐する悠蘭のことにはまったく見向きもしなかった。

 気がつくと、大臣たちを乗せてきた牛車は去った後で、突然登場した北条鬼灯もいつの間にかいなくなっていた。

 誰もいなくなった辺りを見回し、悠蘭は小さく息を吐いた。

「どうした、悠蘭?」

「……いえ、何だか緊張していたみたいです」

「そんなに父上の前に出るのは嫌か?」

「……嫌というか、相手にされていないだけですよ。あの人は俺が陰陽師になったことを未だに納得していないんでしょう。家でも顔を合わせることはないですし」

「そうか……」

 皐英は悠蘭を気の毒に思う一方、祭祀の間、ずっと考えていたことに再び思いを馳せた。

百合を闇から救い出す方法はないものか。

 いずれにしてもそばにいなければその方法を見つけることすらできない。

 あの邪魔な九条月華を早く始末して……そう考えていた時、皐英の頭の中にはひとつの映像が浮かんだ。

 それは百合が寺の敷地を離れ、山林を走る映像だった。

(……動いた)

 悠蘭は1点を呆然と見つめる皐英の肩に手を置き、声をかけた。

「皐英様、どうされました」

「あ、いや、何でもない。悠蘭、悪いが柿人様に伝え忘れたことがある。私はこのまま、柿人様の牛車を追いかけるゆえ、ここの片づけを頼めるか」

「はい、それは構いませんが……柿人様が立たれたのはだいぶ前のことですよ。今頃はもうみやこに着かれたのでは……」

「それならそれで好都合というもの。頼んだぞ」

 そう言い置いて、皐英は走り出した。

(やっと百合殿が寺の結界の外へ出た)

 皐英は不気味な笑みを浮かべながら、京へ向かった。

 あっという間に遠くなった皐英の後姿を呆然と眺めながら、悠蘭は首を傾げたのだった。

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