第25話 四堺祭に集う
神無月の初め。
西園寺李桜たち3人が紅蓮寺を訪れた同じ頃、土御門皐英と九条悠蘭は四堺祭の祭祀を執り行うため、近江の町に来ていた。
古来より京で流行る疫病は外からやって来るとされ、陰陽寮はその疫病を祓うための祭祀を執り行う重要な任務を担っていた。
特に四堺祭は京に繋がる4つの方角で疫病の侵入を防ぐ最大の祭祀であり、中でも近江との境は、陰陽頭が担当する要所であった。
皐英は昨日、この近江で出会った百合のことを思い出しながら祭壇の準備をしていた。
——そんな人生、むなしくはありませんか。
その百合の言葉に皐英は心を打たれた。
まさに自分のことを言い当てられているかのようだった。
自分の能力を見出し、土御門家に養子縁組してくれた近衛柿人には恩義がある。
その期待に応えようとこれまで柿人の影となり、様々な悪事を働いてきたが今回ばかりは本当に柿人に手を貸していいものなのかどうか、悩んでいる。
式神を通して見てきた百合は常に明るく、献身的に周りの人間に尽くしていた。
とても過酷な運命に身を置いているとは思えない彼女の前向きさに、いつの間にか皐英は惹かれていた。
実際に会ってみると、その心に闇が潜んでいることを知った。
何とか百合を解放する方法はないものか。
(らしくないのはわかっているが、やはりあのまま彼女を戦の道具として使うのは憚られる……)
皐英がそんなことを考えていると、悠蘭はそれを手伝いながら言った。
「皐英様、ずいぶんと顔色が悪そうですが」
「心配ない、体調が悪いわけではなく機嫌が悪いだけだ」
「……もしかして、大臣たちが立ち会われるからですか?」
「そんなところだ」
四堺祭は例年、水無月と師走の年に2回、執り行われているが今は神無月。
師走にはふた月も早いが、この時期に前倒すと言い出したのは左大臣だった。
京に疫病が流行る兆しがあるという名目で朝廷を説得し、異例の時期に執り行うことを強行した。
左大臣がそんなことを言い出したのは、貴族を重んじ、武士の社会を快く思っておらず倒幕を目論んでいるためだと皐英は知っている。
だから行事が前倒されることを反対しなかった。
柿人が成そうとしていることを知っていて手を貸している皐英にとって、四堺祭の時期が変わることなど大した問題ではないからであった。
対して右大臣は親幕派と言われており、左大臣の動きを知ってか知らずか、四堺祭の前倒しには反対していたという。
だが左大臣は、権力を盾に自らの都合を押し通したのだろうと、皐英は思う。
そこまでは皐英も想定していたが、まさか両大臣が四堺祭に立ち会うと言い出すとは考えていなかった。
ただでさえ犬猿の仲と言われるふたりを前に祭祀を執り行わなければならなくなるとは、先が思いやられる。
大事にならなければよいが——皐英は憂鬱だった。
「お前の父上は、なぜこの祭祀に立ち会うことにしたのであろうな」
「……さあ、俺は父とは話をすることがないので理由はわかりかねます」
不機嫌そうに答えた悠蘭の様子を見て皐英は苦笑した。
皐英とは違う意味で悠蘭もこの場に大臣が揃うことを快く思っていないのだろう。
噂をすれば2台の牛車とそれらを取り巻くお付きの者たち一行が、祭壇の付近で動きを止めた。
それぞれの牛車からは恰幅のよい左大臣——近衛柿人と、すらりと長身で赤茶色の髪をした右大臣——九条時華が降りてきた。
二人は睨みを効かせながら用意された席に向かって歩き出す。
「近衛殿、立ち合いは私が参るゆえそなたは朝廷で待たれるがよろしいと申し上げたこと、お忘れかな」
「九条殿、そなたこそ本来、師走に執り行われるはずの四堺祭がこの神無月に前倒しされたことをお忘れか。国の一大事であるぞ。左大臣の私がおめおめと京で待っておるはずがなかろう」
犬猿の仲であるふたりのやり取りを見て、悠蘭は小さく息を吐いた。
「相変わらず、お前の父上は柿人様のことを目の敵にしておるな」
「柿人様もとんだ狸ですよ。四堺祭を早めよと仰せだったのは柿人様ではありませんか」
声を潜めて言う悠蘭の肩越しに皐英が大臣たちのやり取りを呆れながら見ていると、その後ろから馬で駆けてくる武士の姿があった。
いななく馬を落ち着かせて馬上から優雅に降りた男は北条鬼灯だった。
皐英は先だって式神を斬られたことを思い出し、目を細めて鬼灯を見据える。
「北条鬼灯……なぜあやつがここへ……」
睨み合いながら離れて向かいに座る大臣たちの様子を尻目に、鬼灯は皐英に近づいて来た。
「陰陽頭殿、六波羅から参った北条鬼灯だ。私も幕府の代理として立ち会わせていただこうと思うが、構わないか?」
「異論はありませぬ、北条殿」
「それはありがたい。普段、あまりに自由に動きすぎて鎌倉の将軍より朝廷の行事にもっと立ち会うよう仰せつかってな。では私は……右大臣殿の後ろに座するとしよう」
ふわりと長い髪を凪かせて踵を返すと、鬼灯は時華の後ろへ腰かけた。
皐英は突然現れた鬼灯を不審に感じながらも、それを問いただす立場にないことを歯がゆく思いながら祭祀の準備に戻った。
鬼灯が腰掛けるなり、時華は誰にも聞こえないように、囁いた。
「鬼灯殿、なにゆえここに? どうせ将軍がどうのという話は嘘なのだろう?」
「さすがは時華殿、お見通しでしたか。実は紅蓮寺に向かう道途中でして……ですが珍しく左大臣殿がおられるようなので動向を探るよい機会かと」
時華は呆れたように深くため息をついた。
「そなた、自由が過ぎるのではないか。重要な儀式を何だと思っておるのだ」
鬼灯は苦笑するだけだった。
そんなふたりのやり取りを遠目に見ながら、悠蘭は手を止めて数日前の九条邸内で聞こえてきた時華と松島の話を思い出していた。
——もしも近衛家と関わる所業に悠蘭も1枚噛んでいるのだとしたら、私は悠蘭を許すことができぬかもしれぬ。
近衛家と九条家が犬猿の仲であることは悠蘭もわかっている。
しかし近衛家と関わっているのは陰陽頭である皐英であり、自分ではない。
そう説明して、あの父が納得してくれるだろうか。
ただでさえ、父が信頼を置く兄の月華を九条家から追い出したのは自分と思われているに違いない。
おまけにあの夜に月華は崖を転がり落ちて以来、消息もつかめていない。
もしも月華があのまま死んでしまって、その一端に自分が関わっていると知ったら父は自分をどうするのか。
考えただけでも悠蘭は背筋が凍る思いがした。
ただ、九条家に必要な人間として認めてもらいたかっただけなのに、その想いが兄を追いやり、自分の居場所さえ失わせようとしている。
悠蘭はやるせない想いをぶつける先がなく、白く色を変えるほど掌を強く握りしめていた。
一方、皐英は腰掛けた柿人に手招きされ、近づいて腰を屈めた。
周りには四堺祭の詳細を左大臣が陰陽頭に確認している様にしか見えなかったが、実際は私的な話をするために呼び寄せたのだった。
誰にも聞こえないような声で柿人が皐英に言った。
「皐英、こちらの準備は着々と整っておる。例の姫はどうなったのだ」
「柿人様、これから四堺祭を始めるというのに今はそれどころではありませぬ……と言いたいところですが、昨日、姫に印をつけましたので紅蓮寺の結界の外へ出ることがあればすぐに居場所を突き止め、捕獲することができましょう」
「そうか。ではできるだけ急げよ」
「……はっ」
それぞれの思惑が水面下で錯綜しながら、四堺祭は滞りなく執り行われた。
祭祀が終了し、左大臣一行が京へ帰っていくのを見送ると右大臣である時華も重い腰を上げた。
「おや、時華殿。もう京へお戻りですか」
「私はそなたのように自由がきく身ではないのだ、鬼灯殿」
鬼灯の自由人ぶりに呆れかえった時華はそう答えた。
「左大臣殿ですが、特に怪しい様子はありませんでしたな。本当に四堺祭を見届けに来ただけなのでしょうか」
「いや、表向きはそうだろうが何やら陰陽頭に耳打ちしていた様子。何かを企んでいるのは明らかだろう……そういえばそなた、紅蓮寺へ向かうと言っていなかったか」
「ええ、そのつもりですが」
「早く発った方がよいぞ。昨夜の嵐もなかなかのものだったが、この調子では今夜も嵐になりそうだ。雪柊殿や月華によろしくな」
時華はそう言い置いて、左大臣を追いかけるように京へ帰っていった。
鬼灯は旧友を見送ると繋いであった馬を回収し、一路、紅蓮寺へ向かった。
見上げた空は確かに薄暗く、昨夜の嵐を思い起こさせるには十分だった。




