第23話 疑惑と真実
着替えた月華が雪柊の書院の襖を静かに開くと、そこには先ほど境内にいた面々が顔をそろえていた。
ゆっくりと見回すとそれぞれ思い思いにその視線を月華に向けた。
上座に正座する雪柊は珍しく無表情で腕を組み、考え事をしているようだった。
こちらに視線を向けた李桜は訝しげに月華を見据え、その目は説明を求めている。
李桜に向かい合って腰を下ろしている紫苑は弁護できないとまでに呆れ顔で月華を見ていたし、蓮馬は何があったのか事情を探りたくてうずうずとする好奇の目を向けた。
部屋に1歩入り後ろ手に襖を閉めた月華は、刀を足元に置くとその場に腰を下ろした。
「で、月華。あれは一体どういう状況だったの」
李桜はおもむろに口を開いた。
「あれは深い意味はなく——」
説明しようとした月華の言葉を遮るように、李桜は不信感を露にする。
「深い意味がなくて、夜着の女の子が君の着物を肩にかけてるわけ?」
「李桜、着物を肩にかける前はふたりで抱き合って眠ってたんだ」
「だ、抱き合ってって……!?」
紫苑の言葉に顔を真っ赤にした蓮馬はそれ以上、言葉が続かなかった。
「見たの? 紫苑」
「ああ、この目ではっきりと見たさ。膝の上にあの子を乗せて大事そうにしてた月華の顔があまりにも幸せそうで」
「ひ、膝の上!?」
「いちいち反応するなよ、蓮馬……って子供には刺激が強すぎるよな」
紫苑が蓮馬の頭を、子供をあやすように撫でると蓮馬は苛立たし気にその手を振り払った。
「子供扱いするのはやめてくださいよっ!」
月華と李桜は違った意味で同時にため息をついた。
それまで静観していた雪柊は正面に座る月華を見据えた。
その目はいつもなら開いているかどうかわからないほど細められて垂れ下がっているが、この時ばかりはしっかりと開けられた目に鋭い光が宿っており、月華は背筋が凍る思いで見つめ返した。
「して、月華。真実はどうなのかな」
「紫苑が言っていることはすべて真実です」
月華はまっすぐに雪柊を見据えて答えた。
「ですが、誓ってやましいことがあったわけではありません」
腹をくくったように月華は続けた。
「昨夜の嵐の中、雷が鳴り続けていた頃に、百合殿が俺の部屋の前で怯えてうずくまっていました。あまりにかわいそうだったので朝まで一緒にいてやろうと思ったのですが……寒さで震えた百合殿があまりに不憫だったので……その、抱き寄せてしまって」
「そのまま朝を迎えた、と?」
雪柊の問いに月華は小さく頷いた。
「そんなわけあるかよ。あんな美人を前に手を出していないなんて」
「手を出すだなんて……紫苑殿、月華様はそんな乱暴はなさいません」
「まあ、無理やりにすれば乱暴とも言うよな。でも同意の上なら……」
「あんたたち、何の話をしてるの? 全然かみ合ってないよ」
紫苑、蓮馬、李桜がそんな不毛なやり取りをしているところへ、勢いよく襖が開き、着替えてきた百合が顔を赤くして立ち尽くしていた。
「月華様のお話は本当です! 私が、雷が怖くて足がすくんで動けなくなっていたところを、月華様が助けてくださったのです、雪柊様」
じっと雪柊を見据える百合はその口をきつく結んでいた。
ふたりの無言の問答はまるで言い訳する娘とそれを問い詰める父親のようであった。
「……そうか」
先に口火を切ったのは雪柊だった。
一同が固唾を呑んで見守る静寂を破って、その深刻さを打ち消すかのように妙に明るい口調だった。
「百合はまだ、あの日のことを忘れていないから、辛かっただろう? わかった、疑って悪かった! 百合もこう言っていることだし、この話はこれで終わりにしよう」
全員が雪柊の言葉に拍子抜けし、責めを負う可能性もあった月華も言葉を失っていたが、そんな周りの様子を気にするでもなく雪柊は百合に茶を淹れてくるよう指示した。
百合が去った後、雪柊は再び真剣な表情をして月華に言った。
「月華。百合は昨晩、何か話さなかったかい」
「……雷が鳴ると昔の恐怖が蘇ると、そう言っていました」
「他には?」
「戦場から逃げ出したところを雪柊様に拾われた、とか。雪柊様、これは一体どういう意味ですか。なぜ彼女が戦場にいたのか、訊きそびれてしまったんです」
「なるほど」
「これは先日の戦の道具とか何とかいう話と繋がっているのではないですか」
「……」
「雪柊様っ!」
「そんなに大声を出さなくても聞こえているよ」
「ではお答えください」
「……今はまだ、あの子が心に深い傷を負っている、とだけ答えておこう」
答えになっていない。
月華は眉間に皺を寄せて反論しようとしたが、ほどなくして人数分の茶を淹れて戻って来た百合に話の腰を折られた状態になり、二の句を継ぐことができなかった。
その場にいる雪柊以外の全員がその意図するところを理解できず首を傾げたが、雪柊はあっという間に話題を変えてしまったのだった。
「それで、君たちは何しにここへ来たのかな? まさか、月華を冷やかしに来ただけじゃないんだろう」
雪柊は月華以外の3人を見渡し、不気味な笑みを浮かべた。
急に振られながらも我に返った李桜は雪柊を見据えて答える。
「騒がしくして申し訳ありませんでした、雪柊様。実は僕たちは月華から文を受け取ってから、朝廷で陰陽師のことを探っていたのですが思わぬ事実にたどり着き、ご相談に来たのです」
「李桜、思わぬこととは?」
月華が訊ねると、李桜はここに至るまでのことを語り始めた。
雪柊に頼まれ、客人たちに茶を淹れた百合は、話し込む彼らの邪魔にならないように自室として使用している離れに戻っていた。
紅蓮寺の離れには月華が使っている部屋の隣に対になる部屋がもうひとつある。
百合はそこを使用していた。
鼻歌を歌いながら、鴨居にかけてある仕立て途中の着物を手に取って百合は畳に正座した。
それは何日か前に町で買い求めた反物で仕立てた、月華のための新しい着物だった。
百合は何種類か迷った挙句、やはり最初に手に取った柿渋色の反物を買っていた。
月華に早く着てほしくて、百合の針はこれまで仕立てたことのない速さで進んでいた。
夢中になって仕立て始めた着物は、気がつけば袖をつけるところまで完成している。
身頃と袖を合わせて待ち針を打ちながら、百合は昨晩のことを思い出していた。
雷の音に足がすくみ、月華の隣に腰を下ろしたところまでは良かったがその後のことを冷静に振り返ると、思い出しただけでも恥ずかしく体中に月華の体温が呼び起こされるかのようだった。
今でも速くなる鼓動を抑えることができない。
「私……なぜあのようなことを……」
強く拒絶すれば、月華もすぐに手放してくれただろう。
しかし、百合自身も月華のそばを離れがたくて、その安心感と心地よさに酔いしれていたのだと今になって気がついた。
縫い進めてはまた手を止め、思い出してはため息をつき、再び針を進める。
そんなことを繰り返しているうちに、いつの間にか袖はしっかりと身頃に縫い付けられていた。
完成した月華のための着物を広げて見て、百合はその仕上がりに我ながら満足していた。
月華の髪と同じ色だと感じて選んだ反物で出来上がった着物を、まるで月華であるかのように優しく抱きしめる。
思い返せば、月華の師匠が紅蓮寺に来た時にも、月華は苦しみながら怯えていた百合を優しく抱きしめてくれた。
町へ一緒に買い物へ出かけた際も、最後には優しく百合を抱きしめてくれた。
いつも月華は百合のそばに寄り添い、常に身を挺して守ってくれた。
俺は最後まで百合殿の味方でいようと思う——。
そう告げてくれた昨晩のことを思い出すだけで、顔が火照ってしまう。
(どうしよう……。私、月華様のことが好きなんだわ。月華様も、同じ気持ちでいてくれるのかしら……それとも私を守って下さるのは、他に理由があるから……?)
百合はぼんやりと奥州にいた頃のことを思い出した。
奥州―それは百合にとって生まれ故郷である。
幼い頃には多くの家臣や女中たちに囲まれ、何不自由なく暮らした。
だがある時を境にその生活は一変することになった。
邸の奥へ隠され外にも出ることを許されず、何年もの間、隔離されたような状態で過ごした。
そんな中で唯一、百合の心の支えとなっていたのは隔離される前に奥州で出会った近衛椿との文のやり取りだった。
互いの近況を報告し合う他愛のないやり取りであっても、外の世界と繋がるたったひとつの存在。
百合にとって椿はかけがえのない友人であった。
自分の味方は椿しかいない、そう思っていたが今度は月華も味方になってくれるという。
月華のことを想うと心が満たされる半面、自分の存在が争いを助長することを知っている百合は、これ以上月華に近づくことは許されないという自制心に支配される。
(月華様への想いをこれ以上、大きくしてはいけない。あの方を私の運命に巻き込みたくない)
そう考えてはいても、もうすでに手遅れであることを百合自身はまだ知らなかった。
「あっ、そろそろ皆さんに替えのお茶をご用意しないと」
ふと気がつき、仕立てあがったばかりの着物を衣紋掛けに引っかけると、鴨居にかかったそれを満足げに眺め、百合は厨へ向かった。




