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第15話 主人と家臣

 九条家の重臣である松島は、主人のための薬を求めて近江の宿場町に来ていた。

 心の蔵を患っていると思われる主人——九条時華くじょうときはなのための気付け薬を手に入れるためである。

 時華は絶対に薬を飲むことを承諾しないだろうが、少しずつ食事に混ぜることで1日でも長くこの世にとどまってほしいと松島は考えていた。

 せめて、次期当主となるべき月華つきはなが九条家に戻ってくるまでは。

 過日の時華の話では月華は武家に預けたとのことだった。

 六波羅探題ろくはらたんだいとしてみやこに常駐している北条鬼灯ほうじょうきとうのことは、松島も知らないわけではない。

 鬼灯はめっぽう腕は立つとのことだが、面倒なことが嫌いらしく、朝廷の重臣たちが集まる朝議にも顔を出さないことで有名であった。

 噂をまともに受け取れば、そんなだらしない人物のもとに預けられていることが月華にとっていいことなのだろうか、と松島は思う。

 松島はもう何年も会っていない息子のような主人がどのように成長しているのか不安を覚えながら、薬屋ののれんを潜った。

 店の店主に用向きを告げると、店主はふたつ返事で薬を出してきた。

「お求めのものはこちらです」

「京ではなかなか手に入らないものもやはりここまで足を伸ばすと手に入るのだな。ここまで来た甲斐があった」

 気付け薬を手に入れた松島はほっと胸を撫でおろした。

一刻も早く京へ戻り、主人へ準備しなければと思っていたところ、松島は薬屋の近くでにぎやかな男女のやり取りを目撃し、驚愕した。

 近くの反物屋で買い物をしているらしい男女が楽しそうに会話をしていた。

 ひとりは藤色の着物を着た長い黒髪の女子で顔は見えなかった。

 そしてもうひとりは、赤茶色の特徴的な髪を後ろでひとつにまとめた長身の男で腰に刀を差している。

 その顔には見覚えがあった。

「月華様……?」

 どんなに消息を追っても掴むことができなかった、探し求めていた人物がなぜか反物屋の前で若い女子と微笑み合っていた。

 つい最近、鎌倉にいるはずだと主人から教えられたばかりだ。

 こんなところにいるはずはない。

 だが、視界に入っているのは紛れもなく探し求めていた人物だった。

 何年も会うことが叶わず、別れた時からはずいぶんと容姿が変わっているようだが、その赤茶色の特徴的な髪と、何よりも横顔ですら主人の顔に瓜2つに成長した月華を見て、松島は駆け寄らずにはいられなかった。



「月華様!」

 茶屋に向かって百合ゆりと歩き出した月華は、茶屋の前まで来たところで呼び止める声に振り返った。

 目を凝らすと、その先から昔懐かしい顔が息を切らしながら向かってくるのが見える。

「……松島?」

 松島は月華のそばまで追いつくと、膝に手を当てながら体をかがめて肩で息をしていた。月華は苦しそうにしている松島の顔を覗き込む。

「松島、大丈夫か!? なぜここに……」

「はっ。この松島、月華様に再びお会いできるまでは、死ねないと覚悟を決めておりました」

「……相変わらず大げさだな」

 月華は小さく息を吐き出し、苦笑した。

 その優しい顔はやはり松島の知っている月華であることを確認すると、彼は道端であるにも関わらず、その場に片膝をついて月華に頭を下げた。

 この機を逃しては2度と会うことが叶わないような気がしたからである。

「月華様、どうか家にお戻りくださいませ!」

「こんなところで何をする。立て、松島」

 月華は松島を立たせようとするが、頑として聞き入れないかつての家臣に対し、自分も膝を折り同じ目線になって答えた。

「どうしたんだ。何かあったのか」

「家に……九条家にお戻りいただくまでここを動くことはできませぬ」

 まったく目を合わせようとしないかつての家臣に、よほど切羽詰まったことがあるのだろうと月華は大きくため息をつきながら答えるしかなかった。

「松島。何か事情があるんだろう? 話は聞くから、こんなところで膝をつくのはやめないか。俺は逃げも隠れもしないから」

 はっとして顔を上げた松島の目には微笑む月華が映った。

 その瞳の奥に覚悟を持った意志を見て、松島は月華に促されながら立ち上がると、深く頭を下げた。

 その慈悲深い面影を、松島は一生忘れることはないだろうと、その時強く思うのだった。

 松島は月華に誘われ、近くの茶屋へ向かうことになった。

 1歩前を歩く月華の隣には先ほど、彼と話をしていた女子が並んで歩いている。

 月華とはどういった関係なのか、なぜこの町にいるのか、訊きたいことは山ほどあったが松島は黙ってついて行った。

 小さな平屋建ての茶屋は客入りも多くにぎわっていた。

 外には日よけの傘を備え付けた腰かけがあり、間口の狭い入口から覗いてみると中にも同じように腰かけがいくつか並んでいた。

 百合が気を使って外の席に腰掛けると言うので、月華たちは店の中に入っていった。

 月華が中から百合の様子を見るとおいしそうに団子をほおばっている。

 少しの間であれば、そばにいなくても大丈夫だろうと月華は肩の力を抜いた。

「ご立派になられましたな」

 向かいに座った松島は、目に光るものを溜めながら月華に感慨深げな眼差しを送った。

 武家に預けられどのように変貌しているのかと不安だっただけに、かつてと変わらず家臣を思いやる月華の優しさに松島は感服した。

「お前はどこを見ている? 見ろ、このぼろぼろの様子を。ひと月前には崖から滑落して死にかけたばかりだ」

 月華は百合の手によって繕われた着物の袖を大げさに広げて見せながら、苛立たしげにしていた。

 そんな強がる様子すらも松島には懐かしく感じられ、静かに笑った。

「何がおかしいんだ……。で、なぜ松島はこんなところに? というかむしろお前にとっては俺がなぜこんなところにいるのか知りたいだろうな」

「お話しいただけるので?」

 その先を促すように好奇な目を向ける松島に対し、諦めた様子の月華はそっと茶をすすりながらおもむろに語り始めた。

「家を飛び出した後、近江の紅蓮寺ぐれんじに世話になっていたがそこで今の主君——北条鬼灯様に拾われ、鎌倉に行ったんだ。鬼灯様はほどなくして六波羅に住まわれることになったがな」

「存じております」

「? 俺が鬼灯様とともに鎌倉に向かったことを知っていたのか」

「いいえ、知り得たのは最近のことです。時華様が、北条様に託したのだと教えてくださいました」

「……それはつまり、父上が俺の保護を鬼灯様に頼んだ、ということか?」

 松島は微笑んだまま、特に返事をするでもなく茶をゆっくりとすすった。

月華は盛大なため息を吐き出し、額を片手で押さえながら半分後悔するようにうなだれた。

「そうか、父上が……。おかしいと思ったんだ。ある日突然、鬼灯様が俺の前に現れて、武士になる気はないかと言い出した。すべて父上のはかりごとだったとはな」

「しかし、時華様のご判断は間違っておられませんでした。月華様はこんなにもご立派になられた。奥方まで娶られて……この松島、感無量でございますっ。ところで、奥方のことはいつご紹介いただけるのですか」

「勘違いするな。あの方は俺の妻ではない」

「…………? まだ、ということですかな」

「っ、だから」

「この松島には、仲のいい夫婦に見えましたが」

 涼しい顔で茶をすする松島の誤解を訂正しようと身を乗り出した月華だったが、松島の穏やかな表情を見てすっかり戦意を失ってしまった。

「で、松島はなぜここに?」

 気だるそうに団子を食みながら月華は言った。

「それが……時華様がどうやら心の蔵を患っておわられるようで、心配なので気付け薬を買い求めていたのでございます」

「父上が心の蔵を患っている?」

 松島は頷くと神妙に続けた。

「今はまだ時々胸を押さえて苦しそうにされるくらいですが、年々その頻度が増しているように感じるのです。月華様、今の九条家にはあなた様が必要なのです。お戻りいただくわけにはまいりませんか」

「…………」

悠蘭ゆうらん様も陰陽寮にお勤めになられてから、邸宅に戻られることがほとんどないのです。陰陽寮には最近、あまりよくない噂も聞きますゆえ」

「やはりそうか。俺も最近、近江の山奥で悠蘭に偶然会った。確かに陰陽師のようだったが、様子がおかしかった。朝廷に務める友に事情を教えてほしいと頼んだがまだ返事がないんだ。松島、朝廷では今、何が起こっている?」

「あくまで噂ではありますが、左大臣殿が陰陽師を呼び寄せ、夜な夜な何かを画策しているようなのです」

「左大臣といえば、近衛柿人このえかきひと殿か。父上とは犬猿の仲だな」

「はい。近衛家と言えば倒幕を目論んでいるという黒い噂が絶えないお家柄。六波羅にも常に目をつけられているようではありますが、今はまだ何も進展がございませぬ」

「そうか、その話があったから、鬼灯様は鎌倉へ足をお運びなったのか」

 倒幕を目論む近衛家は陰陽師を使って何かをしようとしている。

 もしかして百合を朝廷で保護したいと言い出した摂家というのは近衛家なのではないのか。

 雪柊せっしゅうは百合が戦の道具にされようとしていると言った。

  その理由はわかっていないが、それを求めているとしたら、陰陽師が狙っているのは百合であり、百合を必要としているのは近衛家、そしてそれは倒幕の道具として利用するためなのではないか、月華は次々と可能性のかけらを繋いでいった。

(つまり百合殿を近衛家に渡すことになれば、倒幕のための戦が起こるということか?)

 そう思案していた月華の目に、外で茶を飲んでいた百合に対してひとりの男が話しかけているのが見えた。

 その姿をまじまじと見るにつけ、月華は血の気が引いていくのが自分でもよく分かった。

 おもむろに立ち上がった月華は、刀の柄を握ると静かに鞘から抜き放ちながら松島に言い捨てた。

「松島、すまないが続きは後だ」

 月華の刀は銀色に煌めき、その目はまっすぐに獲物を狙っていた。



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