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第14話 はじめての逢瀬

 月華つきはなが鎌倉で鬼灯きとうの命を受けてから早くもひと月が経とうとしていた。

 季節も神無月へと移り変わり、あと半月もすれば木々が紅葉し始める頃だろう。

 鬼灯が紅蓮寺ぐれんじを訪れてからすでに7日が過ぎている。

 寺の離れで療養していた月華は、百合の介抱のおかげですっかり傷口も塞がり、動くには支障がないほどに回復していた。

 日が高くなってきた境内で肩慣らしのために刀を振っていると、雪柊せっしゅうが月華に近づいてきた。

「月華、久しぶりに手合わせしないかい」

「嫌です」

 月華は刀を鞘に戻し腰に差すと、雪柊に向かって即答した。

 過去にこの紅蓮寺で修業していた折、手加減なく鍛えられたことを忘れていないからだった。

「何だい、冷たいね」

「この間の鬼灯様と同じで、どうせ手加減しないんでしょう」

「当り前じゃないか。戦いは常に真剣勝負」

「あなたたちは加減という言葉を知らないんですか」

 月華の拒絶をまったく気にするでもなく、雪柊は急にかつての弟子に対して拳を突き出した。

 月華は間一髪でその拳を防いだが、矢継ぎ早に繰り出される突きや蹴りを受け流すと、後ろに退き、無意識のうちに雪柊との距離を取る。

 眼光鋭く、月華は雪柊を見据えた。

 それに満足したのか雪柊は、再び月華を攻めながら言った。

「どこかの摂家がどうして百合ゆりを必要としているか、考えたことはあるかい」

 月華は繰り返し出される雪柊の攻撃を防御するのが精いっぱいで、訊きたいことはたくさんあったが言葉にする余裕はなかった。

「おそらく百合を戦の道具として使おうとしているんだよ」

 瞬間、月華が見せた動揺を雪柊は見逃さなかった。

 繰り出された拳は月華の目の前で寸止めされる。

 月華の額からは一筋の冷や汗が流れた。

「油断は禁物と教えたじゃないか、悪い子だね」

 月華は目の前で止められた雪柊の拳を掴むと、眉間にしわを寄せた。

「戦の道具とはどういう意味ですか」

「言葉の通りだよ」

 開いているのかどうかもわからないほど細い雪柊の目尻は相変わらず下がり、その笑みの真意を探ることができない。

 月華にはかえって不気味に映っていた。

 掴んでいた雪柊の手を離した月華はしばらくかつての師匠を凝視していたが、やはりその言葉の続きを聞くことはできなかった。

 ふたりがそんな緊迫したやり取りをしているところへ、話題の渦中にある百合が静かに近づいてきた。

「雪柊様、少し町に出かけたいのですが、よろしいですか」

「町に? 何か欲しい物でもあるのかい」

「はい。暗くなる前に帰りますので」

 百合の言葉を受け、雪柊はじっと月華を見つめ、もの言いたげにしていた。

 月華はその視線の意味が分からず、目を白黒させている。

「君、女の子が出かけようとしているのに、ひとりで行かせるつもり?」

(まあ、確かに)

 寺の近くの町とはいえ、百合をひとりで寺の外に出すのは不安だというのはわかる。

 しかし、百合は自分が同行することを望んでいないかもしれないのに、ついていくというのも憚られる気がしていた。

 答えに迷っていると百合が言った。

「お元気になられたようなので、月華様も気分転換にご一緒しませんか?」

「俺がついていっても邪魔ではないのか?」

 百合は満面の笑みを浮かべ、むしろ喜んでいるようだった。

 その様子を見てなぜか月華は浮足立った。

 嬉しそうにする百合を見ることができたからなのか、百合とふたりで出かけられるからなのか、自分でもよくわからなかった。

「ふたりとも、暗くなる前に帰るんだよ」

「はい!」

 雪柊の言葉に素直に答えた百合はそのまま歩き出してしまった。

百合の後ろを追いかけようとした月華の肩に手を置いた雪柊は、声を低めて言った。

「くれぐれも百合を頼んだよ」

 月華はそれを聞いて、寺の外に出ることは百合にとって危険であることを察した。

 確かに、寺には雪柊の結界があるが、外に出ればその加護は得られなくなる。

 以前、陰陽師が狙っていたのは百合なのかもしれない。

 そう考えると、月華は百合を必ず守らなければならないことを改めて理解した。

 月華は力強く頷くと、百合の後を追いかけた。

 町は、紅蓮寺の麓から馬で半刻ほど駆けたところにあった。

 もとは民家が集まる集落のような場所だったが、行商人がみやこへ向かう中継地点として使うようになり、宿屋や露店が次々とできて宿場町として発展していった。

 月華は紅蓮寺の麓に繋いでいる鎌倉から乗ってきた馬に百合を乗せ、自分もその後ろに跨ると静かに馬を走らせた。

 紅蓮寺は山の山頂にあり、境内までは108段の階段を上らなければならない。

 そのため、寺の敷地内には馬をつないでおくことができないのである。

 月華は紅蓮寺にやって来た最初の夜に離れたところに馬をつないでいたが、しばらくは鉄線てっせんがその世話をしてくれていた。

 月華は馬を走らせながら、雪柊の言葉の真意を考えていた。

(百合殿を戦の道具に使おうとしている……)

 これは一体どういう意味なのか。

 その意味は、未だによく分からない。

 自分が鬼灯から受けた命は、百合を朝廷に送り届けること。

 それを依頼してきたのは摂家だと言う。

 百合を保護するため、ということだったが、実際は百合を戦の道具として必要としている……?

 朝廷がもし、本当に戦の道具として百合を必要としているのなら、自分が百合を送り届けるまで待ちきれずに、誰かを寄越して攫いに来る可能性もある。

 朝廷の中には幕府をよく思っていない者もいるという噂は絶えないし、倒幕のための戦を起こす者がいても不思議はない。

 なぜそこで百合が必要なのかはわからないが、みすみす朝廷の手に渡していいのか。

 保護するという名目で実際のところは利用するつもりだったなら……。

 そう考えると月華は急に恐ろしくなり、百合の腰を強く抱き寄せた。

(百合殿を朝廷に渡すということは、その身を危険に晒すということか……?)

 鬼灯の命に背くことになっても、世話になった百合に危険が及ぶというのであれば、それはやはり月華にとって承服できないことだった。

 そんなことを考えながら到着した町の入口に馬をつなぐと、月華は百合を馬から降ろして並んで歩き出した。

「百合殿は何を買い求めに来たんだ?」

「反物です」

「反物? 新しい着物でも仕立てるのか?」

「はい、月華様の着物を仕立てようと思って……」

「?」

 隣で歩く月華が目を白黒させている様子を見ながら、百合は微笑んで言った。

「少し繕いはしましたが、月華様の着物はぼろぼろではありませんか」

 月華は自分が着ている黒い着物をまじまじと眺めた。

 確かに、崖から滑落した際に着物のあちこちが破れてしまい、百合が繕ってくれたとは言え、傷んでいることに変わりはなかった。

 もともと百合を朝廷に送り届ければすぐに鎌倉に帰るつもりだったため、着替えもほとんど持ってきてはいない。

「いや、今はこれしかないが鎌倉に帰れば着物はいくらでも……」

「ですが、今はないのですから、もう1着あってもよいではないですか」

 そんなやり取りをしているうちに、立ち並ぶ店の中から反物屋を見つけると、百合は走り出した。

「百合殿!」

 月華は慌てて追いかけた。

 百合は店先に所狭しと並ぶ反物の中から柿渋染めの1反を手に取り、月華に充ててみせた。

「月華様、見てください! この柿渋の色、月華様の髪の色に似ていませんか。あら、こちらもお似合いになりそう」

 百合は楽しそうに次から次へと月華に反物を充てていった。

 月華は日ごろ寺では見ることができないそんな素の百合を見て、心が躍った。

(そんな楽しそうな顔で笑うこともあるんだな)

 ここへ来るまでの道中、考えていた不安が脳裏をよぎり、何としてもこの笑顔を守り抜かなければならない、月華はそう思った。

「お客さん、いらっしゃい。いいのが揃ってるから好きに広げて見てってくれよ」

 店の奥から出てきた店主は気前の良さそうな男だった。

「京から離れたところなのに、ずいぶんと品揃えがいいんだな」

「そりゃそうさ。お武家さん、知らないのかい? ここはいろんな人や物の流れる中継地点なんだ。京へ運ぶ物も、この町を通っていくことが多いんだぜ」

 反物屋の話によると、反物だけでなく、薬や食料など各国から京に集まる物はこの町に1度集めれら、その後京へ運ばれていくらしい。

 逆に、京から希少なものを求めて買い付けに来る者も少なくないという。

 月華は急に不安を感じていた。

 人が集まる場所ということは、やはり百合に危険が及ぶ可能性が高いということだ。

 出かけに雪柊が念を押してきたことを実感し始めた。

 楽しそうにしている百合を再び寺に閉じ込めるようで心苦しいが、この場所に長く留まるのは得策ではない気がする。

 百合に声をかけようとした時、彼女が突然、1つの反物を選び店主に差し出した。

「決めました! これにします。これを下さいな」

「毎度あり! おふたりさん、新婚さんだろ。うらやましいねぇ。奥さんに新しい着物を仕立ててもらうなんて、お武家さんも愛されてるねぇ」

 支払いを済ませ反物を受け取った百合は、驚きのあまりそれを落としそうになっていた。顔を赤らめた百合が店主に反論する前に、月華が叫ぶ。

「ち、違う! 俺と百合殿は……そういう関係では、ない」

「そうなのかい? お似合いに見えるけどねぇ。まあ、またご贔屓に」

 そういうと男は再び店の奥へと行ってしまった。

 その先をよく見ると、赤ん坊を抱えた女がおり、店主は子育てを手伝いながら店番をしているのだとわかった。

 自分が憧れてやまなかった普通の家庭の生活がそこにはある。

 朝から日が暮れるまで汗を流して働き、家に帰ると愛する妻と子供が待っている。

 月華はそんな家庭に憧れていた。

 摂家に生まれた自分には絶対にない環境だ。

 少なくとも九条家の中には、人の顔色をうかがいながら暮らす人々の煩わしい世界しかない。

 月華は百合の手前、店主に対して全力で否定したがこの人が自分の隣にずっといてくれたらどんなにいいだろう、と最近はよく思う。

 百合のために1日働き、夜になると百合の隣で笑いながら食事をし、1日あったことを報告し合い、ともに並んで寝る。

 そんな何の変哲もない毎日が続いていく。

 そういう人生であったらならどんなにいいことか。

 そんなことを考えながら店主を眺めていると、百合は遠慮がちに月華の袖を引っ張った。

「月華様、何か反物屋さんには誤解されてしまったようですが、目的の物は買えましたので少し休んでから帰りませんか」

「あ、ああ、そうだな。百合殿、すまなかった。俺が一緒に来たばかりに変な誤解を受けて不快な思いをされたのではないか」

「いえっ! 不快だなんて……むしろ嬉しかったというか」

 百合の言葉の後半は消えゆくように小さく発せられ、月華の耳には届かなかった。

 月華は辺りを見渡しながらすぐ近くに茶屋があるのを見つけると、百合を誘って早速その茶屋へ向かった。

 少し休憩したらすぐに寺に戻ろう、月華はそう決めていた。


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