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第12話 夕暮れの六波羅門で

 六波羅ろくはら御所の前で久我紫苑くがしおんと遭遇した2日後、西園寺李桜さいおんじりおうは京都御所の書庫で調べ物をしていた。

 月華つきはなが事情を探ろうとしていた陰陽師について、李桜はあまり詳細を知らなかったためである。

 陰陽寮は中務なかつかさ省に属しているものの、その実態はよくわかっていない。

暦道や天文道を司っているが、怪しい研究をしていると常に黒い噂が絶えない部署でもある。

 特に、陰陽寮の長官である陰陽頭おんみょうのかみ——土御門皐英つちみかどこうえいに関する資料はほとんど存在しない。

 李桜が朝廷に出仕するようになった時にはすでに陰陽寮に身を置いており、代々陰陽頭を務めた公家の出身であるということ以外、何一つ情報がなかった。

 水面下でまことしやかに囁かれる噂には、皐英は土御門家の養子であり、妖の化身であるというものまであるほどだった。

 だが、どれも確証のある話ではない。

「おい、聞いたか」

 李桜が手元の書物に目を落としていると、書庫に入ってきた若いふたりの官吏の会話が耳に入ってきた。

 彼らは李桜の存在には気づいていないようだった。

「何の話です?」

近衛このえ家の三の姫の話だよ」

「ああ、椿姫様がとうとう帝の側室になられるという話ですか」

「みな御簾越しにしかお会いしたことがないから誰も見たことはないらしいが、近衛家に務める女中の話によると、絶世の美女らしいぞ」

(なんだ、どうでもいい話か)

 李桜は若い官吏たちの話を聞き流した。

 九条家と並ぶ有力な近衛家には三人の姫がいるが今は三の姫だけが家に残っていた。

三の姫は名を椿といい、近衛家当主と側室との間に生まれたことで家の中では他の姉妹とは身分に差をつけられていると言われている。

 しかしながらその美貌ゆえに、帝の目に留まり側室に迎えられることになったらしいということは、李桜も朝廷の中で噂として耳にしていた。

「だが、不思議なんだよな。噂では三の姫は気が強く、帝への輿入れ話も断っていたらしいんだ」

「へぇ。なんでまた話を受けることにしたんでしょうか」

「何かの契約をしたらしいって話だ」

「契約? 帝とですか?」

「誰かを守るためとかなんとか……」

「なるほど……そんなことより、近衛家と言えば!」

「ああ、幕府に反旗を翻そうとしている、という噂のことだろう?」

 黒い朝服をまとった若いふたりの官吏は書庫に誰もいないと思い込んでいるようで、よく通る声で話を続けた。

「何と言っても対立している同じ摂家の九条家は親幕派。近衛家としては裏で実権を握るためには幕府は邪魔だろうさ」

「有能な九条家の嫡子は行方不明、頼りない弟君は今や陰陽師に成り下がったと言いますしね」

「陰陽師と言えば、その近衛家に最近、よく陰陽師が出入りしていると言う」

「陰陽師がですか」

 李桜は書物を勢いよく閉じるとつかつかとふたりの官吏に近づいた。

「その話……」

 ふたりの官吏は後ろから話しかけられ、勢いよく振り向いた。

書庫に誰もいないと思い込んでいただけに、ぎょっとした様子だった。

「さ、西園寺様!?」

「い、今の話を全部……聞いていらっしゃいました……よね?」

「ああ、全部聞こえたよ」

 ふたりとも一気に血の気が引いた様子だった。

一般の若い官吏からすると中務少輔なかつかさしょうゆうと言えば、雲の上の存在である。

 よりにも寄って人の情けが通用しないと噂される人物を前に、絶望しかなかった。

 どういう処分をされるのか想像するだけで彼らは吐き気がしていた。

「今の話、詳しく説明してくれれば聞かなかったことにしてあげるよ」

 恐ろしく冷たく見下ろす李桜に、ふたりの官吏は震えあがった。

 蛇に睨まれた蛙とはまさにこのことを言うのだろう。

 ふたりは従う他、選択肢を持ちえなかった。

 何度も頷き、聞かれるままに知り得る情報をすべて吐き出すのだった。



 日も暮れ薄暗くなってきた時分、早川蓮馬はやかわれんまは4日かけてやっとみやこに到着した。

 京に来るのは久しぶりだったが、記憶にある地図を元に、六波羅御所を目指すことにした。

「確かこの辺りだったはず……」

 蓮馬が馬上からきょろきょろと辺りを見回していると、後ろから声をかけられた。

「なんだ、蓮馬。京観光か?」

 振り返るとそこには北条鬼灯ほうじょうきとうが立っていた。

 薄明りの中で立つその姿の後ろには長い影が伸び、一層不気味さを増している。

「鬼灯様っ!」

 慌てて馬から降りると、蓮馬は鬼灯の前に片膝をついた。

 鬼灯は目の前の蓮馬が全身汚れている様子を見て、眉をひそめる。

「観光……というわけではなさそうだ」

「鬼灯様、観光なわけがないでしょう!? 鎌倉からどのくらい離れているかは鬼灯様が1番ご存じではないですか。俺だって、ぷらぷら観光しているほど暇じゃないですよ」

「それとも月華がいない鎌倉にひとりでいると不安でしょうがなくて追いかけてきたか」

 子供をあやすように頭を乱暴に撫でられ、蓮馬は嫌そうにその手を払いのけた。

「髪が乱れるからやめてください! って、そんなことよりそうじゃなくて、月華様の危機なんです!」

 蓮馬は立ち上がると懐から文を取り出し、鬼灯に差し出した。

 おもむろに文を開いた鬼灯は顔色ひとつ変えず、目を通している。

「鬼灯様に事の次第をお伝えするようにと、俺宛の文には書いてありました。まだ鎌倉のお邸にいらっしゃると思っていたのにいつの間にか鬼灯様は京にお帰りになったと聞いて急いで追いかけてきたんです。鬼灯様、月華様は山寺にいらっしゃるようなので、どうか月華様の元へ……」

「もう紅蓮寺には行ってきた」

 鬼灯は無造作に文を差し戻すと、蓮馬を促しながら六波羅御所への道を歩き始めた。

蓮馬は馬を引きながら慌てて主君の後を追いかける。

「えっ?」

「鎌倉を出た後、ついでだから遠回りして帰ろうかと思ってな。今、紅蓮寺に寄ってきた帰りだ。馬がばててしまったゆえ、途中から歩いてくる羽目になってすっかり戻りが遅くなってしまった」

「あのっ……、月華様はご無事なのですか」

「気になるか?」

「もちろんです」

「どんなに愛しくても月華はお前のものにはならないぞ」

「どういう意味ですか!」

 くっくっと笑い、鬼灯は蓮馬をからかって楽しんでいた。

 そうこうしているうちに、六波羅門の前にたどり着いた蓮馬は、見知らぬふたりの男が門の前でこちらを向いていることに気がついた。

「鬼灯様、門の前に誰かいますね。こちらを見ていますが、誰でしょう」

「……ああ、あれは月華の友人たちだ。まったく、月華はみなに愛されている」

 前方のふたりは恭しく首を垂れ、鬼灯を迎えた。

 蓮馬は初めて見る前方のふたりを凝視していた。

 ひとりは朱色の朝服を身に着けた体格のいい男で、鬼灯に紫苑と呼ばれていた。

 もうひとりは訝しげにこちらを見ている男で浅黄色の朝服を身にまとった優男、李桜と呼ばれていた。

 ふたりとも確かに年の頃は月華と同じくらいに見える。

 月華がもともと京の公家の出身であることは知っているが、あまりに雰囲気が違うために月華の友人であるということを、蓮馬はにわかには受け入れられなかった。

「鬼灯様、ずいぶん遅いお戻りでしたね。鎌倉はやはり遠いと見える」

 李桜は多少の皮肉交じりに言った。

「そうですよ、鬼灯様。お借りした物を返しに来たのに、お会いできなかったので今日、出直してきたところですよ」

「これでも予定を切り上げて戻ってきたというのに、若者たちはせっかちだな」

 鬼灯は門番に軽く挨拶しながら、門を開けさせた。

きしむ音を立てながら門がゆっくりと押し開かれる。

「ふたりとも、紹介しよう。こちらは私の臣下で早川蓮馬という。月華と同じように私の仕事を任せている。今、鎌倉から到着したようだ」

「鎌倉から? それは挨拶が遅れて失礼した。俺は久我紫苑という。兵部ひょうぶ省に務める官吏だ」

 紫苑は初めて会った蓮馬にも屈託のない笑みを向け、手を差し伸べてきた。

固く握手をする。

「月華が弟のようにかわいがっているというのは君か。僕は西園寺李桜だよ。以後よろしく」

 蓮馬が軽く会釈すると鬼灯は目の前の3人に言った。

「さ、自己紹介はそのくらいにして、みんな中へ。李桜も紫苑も、月華のことで来たのだろう」

「ご存じでしたか」

 李桜が言うと、鬼灯の顔から笑みが消えた。

「月華には、もう会ってきた。かろうじて生きていた。まあ、心配はないだろう」

「か、かろうじて……?」

 朝廷を監視する役目の武将と朝廷の官吏ふたり、その後ろをついていく若い武士ひとりの奇妙な4人が邸の中へ入っていく後姿を見送りながら門番は静かに六波羅門を固く閉ざした。

 すっかり日も暮れ、4人が月華の話を始める頃には辺りはすっかり暗くなっていた。

 長い夜の始まりであった。


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