第11話 絡み合う光と影
「結局、君は何しにここへ来たんだい? まさか月華をいじめるためじゃないんだろう」
雪柊は、月華が使っている離れから移動して鬼灯を仏堂に隣接する書院に案内すると、静かに襖を閉めた。
外はさらに薄暗さが増し、ぽつぽつと雨が降り始めていた。
変わらず不機嫌な様子の鬼灯は刀を手元に置くと雪柊の向かいに腰を下ろす。
「遊びに来るほど私は暇ではない」
「まぁ、そうだろうね」
雪柊は奥から茶器を持ってくると、茶菓子とともに鬼灯の前に差し出した。
「鎌倉で妙な噂を聞いた。朝廷の中に幕府に反旗を翻す動きがあると」
「朝廷の中に?」
鬼灯は頷くと茶をひと口すすり、続けた。
「正確に言うと摂家の中に、と言うべきだな。月華に任務を伝えた後、大倉御所の中で同じ北条家の人間に声をかけられた。月華の動きに気をつけた方がいい、と」
摂家5家のうち、どの家が不穏な動きをしているかまではわかっていない。
だが、月華が九条家の出身であることを知っている者からすると、幕府の様子を探っているのではないかと不審を抱いてもおかしくはなかった。
「月華が九条家と連絡を取っていないことは君が1番よく知っているはずじゃないか」
「もちろんだ。この紅蓮寺から鎌倉に移動して以来、月華は京に戻ることがなかった。問題は月華ではなく、月華に与えた任務の方だ」
「ああ、そういえば事前に鬼灯からきた文には百合を朝廷に送るための護衛に月華を寄越すとかなんとか書いてあったね。だけどここに来た月華は満身創痍の状態で鉄線に担がれて来たよ」
「やはり何かあったか……」
鬼灯は腕を組みながら首を傾げ、考えていた。
「何だい、何か気になることがあるならあんな登場の仕方をしなくとも、素直に月華に直接訊けばよかったじゃないか」
「まさかここにまだ月華がいるとは思っていなかった。お前に話を聞きに来たというのに、月華ときたら女子とよろしくしていたから風紀を正そうと……」
鬼灯はそう言いながら自分を落ち着けようと、一息ついて話を元に戻した。
「ひと月ほど前のことだ。朝廷が百合殿を保護したいという文が私のもとに届いた。月華には、ここから彼女を朝廷に送り届けるよう命を下したのだが」
「百合を、ねぇ」
鬼灯は頷いた。
茶のお代わりを淹れようとする雪柊に阿吽の呼吸で空になった湯飲みを差しだす。
「百合殿のことを依頼してきたのは摂家だ。ある日、六波羅の私の元に摂家の使いがやって来た。どこの家の者かは名乗らなかったが使いが持ってきた文には近衛牡丹の家紋があった」
「……近衛家か」
公家として摂政関白に任じられる5家の中でも由緒ある近衛家と九条家は対立する間柄にあった。
朝廷の中でも絶大な権力を持つ摂家のひとつ、近衛家が百合を朝廷で保護しようとしていることに不審を感じてはいたものの、鬼灯は断るための確たる理由がなかったため渋々引き受けたのだった。
「真意のわからない内容ではあったが、無下にすることもできなかった。だが鎌倉で、摂家が陰で暗躍しているらしいという噂を聞いた時に、もしかして今回のこともその一端なのかもしれないと考えた」
「だから京に帰る前に事情を探りに来た、と?」
雪柊の言葉を聞いて忘れていたことを思い出した鬼灯は、勢いよく湯飲みを置くと苛立たし気に言った。
「もしかして百合殿を朝廷に連れていくことはそれだけでは収まらない何かが裏にあるのではないかと思い、急ぎ鎌倉を立った。ところがだっ! 私が寺の境内に着いた時、縁側で呑気にふたりは肩を抱き合っていたっ」
刀を手に取り再び月華の元へ戻ろうとする鬼灯を雪柊は諫め、その場に無理やり座らせた。
鬼灯のことを優雅な公家のようだと表現する者がいるが、雪柊は彼の中には紛れもなく武士の魂があることを知っていた。
優雅に見えるのは外見だけで、その中身は固く揺るがない信念で埋め尽くされ、苛烈なまでに激しい感情の持ち主。
戦場で鬼灯を見た者は夜叉のごとくと揶揄する者もいるほどだった。
「誤解だよ、鬼灯」
「誤解?」
「そうさ。先刻も言ったけど、月華は半月前の早朝、崖下の沢で倒れていたところを百合と鉄線に発見され、この寺に運び込まれたんだ。全身傷だらけだった……崖から滑落したらくしてね。その時はさすがにもうだめかと思ったよ。百合はそれ以来、月華をずっと介抱してくれているんだ」
「なんと情けない……それでも私の弟子か」
やはり仕置きが必要だ、と再び刀を握る鬼灯を何とか思いとどまらせる雪柊。
「陰陽師が絡んでいるらしいんだ」
「…………何だと?」
「目覚めた月華は言っていたよ。寺の麓で深夜にふたりの陰陽師と遇ったと」
雪柊は静かに障子を開き、降り始めてきた雨の降る境内を眺めていた。
「陰陽師と?」
「ひとりは月華の弟、悠蘭だったと本人は言っていた。妙な術を使う男がそばにいて、気がつくと強い光に包まれ前が見えなくなっていたらしい。その後のことは覚えていないと」
「……もうひとりの術を使う陰陽師というのはおそらく陰陽頭、土御門だ。妙な術を使うと聞いたことがある。しかしなぜ陰陽寮が関係しているのか……」
そう言って鬼灯は刀を取り素早く抜くと、雪柊の顔のすぐそばを切り裂いた。
一瞬のことだったが、雪柊は目の前で蝶が真っ二つに斬られるのをまじまじと見ていた。
斬られた蝶は床に落ちる前に金粉のように粉々になって消えていく。
「これは……式神?」
「そのようだ。だ。こんな季節に蝶が1羽だけ飛んでいるのはおかしいと思っていた。やはり陰陽師が何らかの形で関わっているな」
刀を鞘に戻すと鬼灯は立ち上がった。
長い髪がゆらりと揺れ、その間から垣間見える瞳には鋭い光が差していた。
「事情を伝えようと思って数日前に君に文を出していたけど、すれ違ってしまって意味はなかったね」
「急ぎ京に戻り、探ってみるとしよう」
「そうしてくれると助かるよ。まぁ、若いふたりのことは我々が守ってあげようじゃないか」
「そうだっ! 京に戻る前に一度、月華に仕置きをしてから……」
まだ忘れていなかった鬼灯は離れの方に向かおうとしたが、雪柊は慌ててその手を掴んだ。
「邪魔だって何度言ったらわかるんだい、君」
「うら若い女子に中途半端に手を出したとあれば、親としては見過ごせないのだっ! 嫁にするつもりならまだしも―」
「近い将来、嫁になるかもしれないじゃないか。うん、うん。百合の保護者としては、月華になら嫁にやってもいいかな。何と言っても実家は名門の九条家、職業が武士とあれば百合を生涯守るにはうってつけだ。舅代わりの君とは久しぶりに親戚になれるし、嫁入り先としてこれ以上の良縁はないな」
「…………」
鬼灯は虚を突かれ言葉が出なかった。
「まだお互いに気づいていないようだけど、あのふたりは似た者同士。早晩、惹かれ合うとは思っていたさ」
納得はできなかったが最も信頼する友が言うことが間違っているはずはなかった。
鬼灯は大事にしてきた月華を百合に取られたような気がして寂しかったのかもしれない。
「ところで、雪柊。なぜ摂家が百合殿を必要としているのか、お前、もしかして知っているのではないか」
普段はへらへらとしている雪柊から、一瞬表情が消えた。
が、すぐに元の表情に戻り、何事もなかったかのように答えた。
「知っている、と言ったらどうする?」
真意を測ろうと鬼灯はしばらく雪柊を凝視したが、結局、何も読み取れず根負けしてしまった。
「……京に帰る」
すっと踵を返すと、とっとと部屋を出て行ってしまった。
あっという間に外に出た鬼灯は雨をものともせず優雅に歩き出す。
そんな鬼灯を、軽く手を振りながら雪柊は見送った。




