学校現場の疲弊と私のビジネスについて
最近、定時を過ぎても延々と働かされる医療従事者の方や、教員の方、エッセンシャルワーカーの方がニュースによく登場し、私も心を痛めています。幸いにも、そこそこのレベルと、駅伝による知名度を持つ大学に通っているので(もうこの時点で私がどこの学生か特定できると思いますが、もし同じ大学・学部・学科の方がいたらそっとしておいてください、妄想を語っている小説です)、あまり思いつめることなく過ごしていますが、私がこのような仕事についたら、働きすぎて倒れてしまうと思います。
事実、私は統合失調症の診断を受けており、まだ完治には時間がかかりそうなので、会計士試験に出願するときも別室にて受験するだろうし、会計士になった後は異動と出張、勤務時間の面でご配慮いただくことになると思います。このようなことを言うと、他の同じ病気と闘っている方に対して申し訳ないのですが、このような配慮が必要であると先方に伝える以上、それを上回る貢献をする必要があると感じます。大学でも、一部の人には病気のことを話していますが、そのような人たち(病気であることを理解している人たち)に対しては気を使いますし、なるべく面倒を見るように心がけています。
話を戻すと、法定労働時間を超えて働いていらっしゃる方に対して、社会は「よそよりも総賃金が良いのだから我慢すべき」「公益のために犠牲を払うべき」という、彼らの良心に期待する声が後を絶ちません。私個人の意見としては、そのような資格を持っている人の中にも、楽をしていたりスキルが低い人も大勢いるのだから、労働条件をよくしてそのような人達を活用することが必要だと感じます。
例えば、教員は7時間半勤務、45分休憩ですが、これを担当コマ数を3分の2にして、その穴埋めを正規の教員を増やして行わせることで、8時間勤務、4時間休憩というように変えることもできると思います。そうしたら、朝7時半に学校に出勤し、部活動の終わる夜7時半に帰路に就くことも可能でしょう。部活動で指導する日は勤務時間として打刻すればいいし、同じように勤務時間として打刻するのであっても、打ち合わせや課題の採点、学校行事の監督、担任業務などをする時間があってもよいと感じます。学校に滞在する時間は変わりませんが、学校の先生は途中に休憩を多く挟めるし、夏休みや冬休みは仕事の量が少ないのだと大学生が判断すれば、教員にももっと良い人材が流入してくるのではないかと感じます。
また、体育の前後は余裕がなさすぎると感じます。体育は運動ができない人が一生さらし者になるし、それでいて着替えなどの時間もあまりとれず、汗がべたつくなどの状態を保たせるのは残酷であるように感じます。昨今の猛暑の中行うのも、雷雨や暴風の中強行されるのもしんどいですよね。他教科も同様で、やはり高校までの教育課程ではどうしても日頃の取り組みがきちんと評価されづらい傾向にあります。教員が増えて余裕ができれば、透明性のあり、生徒がやる気を保って授業に参加できるような成績評価基準が整備できると感じます。また、生徒間のトラブルや心の問題も、教員がサポートできるようになると感じます。この点に関しては、児童相談所や医療機関、場合によっては警察が積極的に関与できるようになれば良いですね。
悪意があって何か人を傷つけようとする人と、やむにやまれず人を傷つけてしまった人の違いは、経験のある教員にしかわからないはずです。もし前者であれば、今私が小中学校・高校までで一緒だった人たちにしているように、厳しい態度をとる必要があると感じます。悪質度によっては退学処分でもよいと考えます。後者であれば、傷つけた当事者から直ちに距離を取り、問題に向き合って新しいコミュニティに入ることを目標とすべきです。いくら仕方のないことだとしても、傷つけた事実は受け入れて、相手のためにも関わらないことが大切です。その後、小中学校でも高校でも、委員会や学校行事である程度忙しい役職を割り当て、仕事を一緒にしている人たちと仲良くなることが大切だと思います。私は部活動の同級生とトラブルになってしまったので(後輩も実はあまりよく思っていなかったのかもしれないですが…)体育祭で一緒になった人と仲良くなり、その人と会えるというモチベーションによって何とか卒業にこぎつけました。そのようなケアも、学校現場にお金をかければできると思います。
即効性のある施策に対して大金が動く現代ですが、大切なことを見失わないようにすることが大切だと感じます。私の計画している事業では、100京円の売上高を計上し、80京円の純利益(税引き前)が発生する予定です。そのため、純利益の10%である、8京円を社会貢献事業に支出し、うち2京円を教育現場の改善に充ててもらう予定です。内容としては、校舎の建て替え、放課後補習事業、教員の増員、設備の購入、部活動の振興、学校給食・修学旅行の無償化などです。日本に割り当てる予算は4000兆円で、そのうち1000兆円をこの事業に支出します。年間1000兆円あれば、教員1名にかかるコストを年5000万円と試算した場合、2000万人が雇用できそうですね。そのため、200万人の教員増員を実施しても、100兆円にすぎません。このような取り組みを通じて、世界を少しでも希望のある場所にしていくことが私の願いです。
残りの6京円の使い道もすでに決めています。これは、エッセンシャルワーカーの方々への給料増額分として2京円、そのような事業を行う設備の更新等について2京円、経済的に困難を抱えていて、進学などができなかったり、ヤングケアラーになっていたりする人たちや、有益なボランティア活動が募金なしで成り立つようにするなどの補助金として(有害なボランティア活動を根絶します)2京円を配分します。日本には3000兆円を配分するため、1000兆円が4000万人のエッセンシャルワーカーの方に配分されれば、1人当たり追加で年間2500万円になりますね。経済発展は、やはり人々に余裕をもたらすと感じます。私が国際経済を専攻した理由もそのためです。