悪夢
山奥の一本道。そこを1台の白のクライスラーが昇って行った。
この山は、東京都と神奈川県の県境に位置する所でギリギリ東京内にある。
クライスラーの通る道の周りは高い木で覆われてはいるが、道はある程度舗装されており、走る分には特に不満はない。
道を進むにつれ、次第にアクセルを踏む足にも自然と力が入る上り坂になり、舗装されていた道も平らではあるが、砂利道へと変わった。
やがてクライスラーの左側に岩壁が姿を現し、道を進むにつれ徐々に岩壁の高さも低くなっていく。
道の途中、トラック同士でもほぼ余裕ですれ違いができる程、不自然に広くなっている所が現れた。その広場の岩壁の高さは7メートル近く、その上には建物が少しだけ見える。
そこを通り過ぎると、すぐに再び上り坂になり、U字型の左カーブを進むと、広い敷地と佇む一軒の家が現れた。
家は2階建て、大きさは40坪程あるだろうか。正面から見て左側に玄関があり、その真上はバルコニーになっており、玄関のそのさらに左には車庫が完備されていた。
ちなみに玄関の右側には建物の端までウッドデッキになっており、近くには長さ15メートルのプールまである。
クライスラーは、その車庫の中へ入って行った。
車から降りてきたのはホワイトウィッチ。
そう、ここは彼女の隠れ家だ。
彼女は車庫から直接家の中の玄関へ通じるドアから中へ入ると、玄関に1人の初老の男が立っていた。
真面目そうなこの男は、ホワイトウィッチの執事・野々原 竜馬。
60代、髪の毛は完全に白髪、前部分が少しハゲ上がり、それ以外の髪はオールバックになっている。見た目は年相応だが、背筋はきちんと伸びており、体はまだまだ衰えている様子は感じられない。
縦線模様が入った小豆色のワイシャツに黒のベストは皺は1つも無く丁寧に仕上がり常に手入れを怠っていないことが分かる。
彼女の身の回りのことは勿論、装備品の開発及びメンテナンスなどをしている。
まるで彼女が帰ってくることを知っていたかのようなタイミングで玄関に立っていた野々原だが、別に不思議なことではない。車で通る途中にあった不自然な広場、あの近くにカメラがセットされており、誰かが来ればすぐに分かるようになっている。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
そう言うと野々原は彼女に向かって深々と丁寧にお辞儀をした。
「ジイ、白摩埠頭の周辺を調べておいて。それとこのお金、要らなくなったから」
彼女は競馬場で一度森岡の手に渡ったお金の封筒を野々原に渡した。
「シャワー浴びてくるね」
「はい、お嬢様」
野々原にそう言うと室内用の靴に履き替え、真っ先に浴室へ向かった。
シャワーを浴びると、彼女の金色だった髪はみるみる真っ白に変わり、シャワーの湯が金色に染まって排水口へ流れていった。
続いてボディソープを使いながら体を洗っていると、肌の色も雪のように真っ白へと変わっていった。
異様な光景だが、これが今の彼女の真の姿。
浴室から出ると脱衣所の小さなタンスに仕舞われていた大きなバスタオルを体に巻き、ドライヤーで長い髪を乾かすと、小さなタンスから自分の下着――さすがにこれは普段自分で洗濯している――を取り出し、タンスの上に置かれていた白のブラウスに灰色の短パン、とあまりセンスが良いとは言い難い服装に着替えた。
着替えを終えると、2階にある自分の部屋へ向かった。
8畳近い広さに、壁紙は白と茶色の縦縞模様。出入口のドアの正面にはバルコニーに出る引き戸がある。
家具は窓の真下にシングルのベッドがあり、その左側に置かれた背の低い本棚、バルコニーへと出る引き戸の近くには、木製のチェストがベッドへ向くように置かれ、その上には5枚の写真が立てられていた。
出入口のドアの真横に引き戸タイプのクローゼットなどはあるが、ドレッサーなどの女性が使うような家具は見当たらなかった。
ホワイトウィッチは夜の襲撃に備え少しでも体力を回復させておこうとベッドに横たわり、目を閉じた。
とある研究室――
パソコンや何かの資料、何やら薬品の入った瓶が並ぶガラス張りの棚。他にも様々な機材が設置されている。
暴力団という印象を与えるスーツを着たガラの悪い2人の男が、それぞれ女性を人質にとっていた。
女性の1人はホワイトウィッチだが、金髪で肌は白いが白人系の肌色だ。
もう1人の女性は40代後半、白人系でホワイトウィッチと同じ髪の色、顔が似ていることから彼女の母親だろう。
4人の視線の先には恐らく研究主任だろう白衣を着た男がパソコンを操作していた。
年は50代、髪は黒髪より白髪の方が多くなり、研究熱心なのか顔は少々やつれ皺も深くなってはいる。
男の顔はこわばり、汗を流しながらパソコンを操作している。
彼はホワイトウィッチの父親の勉だ。
その男の側には、もう1人白衣を着た若い研究員と組員の男が立っていた。
若い研究員も人質なのかと言えばそうではない。拘束されている訳でもなく、主任の男を見ている顔は欲をむき出したようにヘラヘラしている。恐らく組員とグルなのだろう。
主任の男はデータの転送が終わったフラッシュメモリーをパソコンから抜くと、側にいた組員に渡した。
組員は納得したように頷くと、懐から拳銃を取り出し、男の心臓を撃った。
「パパ‼」
「ツトムゥ‼」
ホワイトウィッチと母親の叫びがむなしく響いた。
どこかの地下室――
10畳ほどの狭い空間に天上に吊り下げられた電球が1つしかないので、部屋は薄暗く、コンクリートむき出しの壁と床は黒く変色していた。
部屋の隅に組員に抑えられたホワイトウィッチ、その足元には彼女の母親が両手足を後ろで縛られた状態で横たわっていた。今のホワイトウィッチのように白い姿と変わって。
それだけなら今の彼女と同じだが、決定的に違うのは母親の顔中にはミミズ膨れのようなものが現れており、悲鳴は上げていないが、歯を食いしばっていることから何らかの苦痛を受けていることは誰の目から見ても明らかだ。
2人の離れた所には、両端に組員を立たせ、のうのうと椅子に座る黒富士が苦しむ母親を見ていた。その顔はまるでショーか何かを楽しんでいるかのように。
「お願い助けて‼」
必死に訴えるホワイトウィッチの叫びも黒富士の耳には入っていない。それよりも視線の先に居る母親にしか眼中にないのだ。
何とかしたいが組員の力にはとても敵わない。
「キャァァァー‼」
部屋中に響く母親の悲鳴に、ホワイトウィッチは母親の方へ目を向けてしまったその瞬間、想像を絶する光景を目にすることになる。
まるで引き裂かれるかのように、母親の全身の皮膚が破れ、真っ赤な血が飛び散ったのだ。
近くにいたホワイトウィッチの足元には、床を真っ赤に染めるように母親の血液が広がっていった。
突然のことで何が起こったのか理解できず呆然としていたが、変わり果てた母親を目にするうちに事態を理解し、彼女の心に絶望感と恐怖が波のように押し寄せた。
「……いや、いやぁぁぁー‼」
「――‼」
カッと目を見開いて目を覚ましたホワイトウィッチ。
呼吸は荒く、寝汗が彼女の体を濡らしていた。
上半身を起こすと、そのまま両手で顔を覆った彼女の目から自然と涙が溢れる。
「パパ……ママ……」
両親が死んだ夢を見るのは初めてではないが、その度に自分の無力さを悔やんだ。
そして、いつか自分も母のような酷い死に方をする、という恐怖も感じた。
涙を拭うと、競馬場で目の当たりにした武のことを思い出した。
武が組員の弾を素早い動きで避けながら銃を撃ったり、自分が飛ばした杭を銃のグリップの底を使って弾いたりしたあの光景を。
人間離れした能力。谷からも話を聞いた時は正直、何かのトリックだと考えていたが、間近で見たことでそれが本当だったことも、その凄さも分かった。
あの力を味方にできれば、それだけでも大きな戦力になるのは間違いないだろう。
ホワイトウィッチはベッドを降りると、すぐに部屋を出た。