6話 女の正体
武は切り傷の男を追って地下に通じる階段を慎重に下って行く。
サングラスを外し、音を立てないように階段の踊り場まで来て、さらに下ろうと先を覗き込むと、階段の先に切り傷の男が立っていた。
(やべっ!)
武は慌てて顔を引っ込めた。切り傷の男は女たちに注意が行っていたせいか、武には気づかなかったようだ。
「いいだろ。18時に白摩埠頭に到着する。それで警備状況だが――」
男の声が聞こえる。周りが静かな為、武の耳にもよく入った。恐らく女と一緒だったスーツの男の声だろう。
間もなくスーツの男が女に話すだろう内容に武は隠れながら耳を澄ませた。
ところが――
「――まだしゃべるか森岡?」
頬に切り傷がある男が会話を遮った。森岡というのは恐らく女と一緒にいたスーツの男の名前だろう。
切り傷の男は、女と森岡の方へ歩き出した。
「俊山の兄貴‼」
森岡の声が聞こえた。恐らく切り傷の男が俊山なのだろう。
武は今まで俊山がいた所まで移動すると、俊山たちの話に耳を傾けた。
バンッ!
突然の銃声に武は耳を抑えた。耳鳴りなどは起こらなかったが、行き成りの大きな音、もっと言えば建物内での銃声はさすがに驚く。
その銃声の後に男のうめき声が微かに聞こえる。恐らく森岡のものだろう。
そして何かが地面をすべる音と共に、武の近くにある物が転がって来た。シルバーのオートマチック拳銃だ。
おそらく改造拳銃だろうが、見た目はしっかりと作り込まれているようだ。
「この鼠が!」
俊山の声の後に、バンッ! と銃声が響いた。
応援を呼ぶべきだろうが時間がない。ここで女が殺されてしまってはホワイトウィッチにたどり着くチャンスが無くなってしまう。
幸い武の側には拳銃が落ちているため、能力を使うことも可能だ。
覚悟を決めた。
武は階段から飛び出し、転がっていたシルバーの銃を拾うと、素早く俊山たちに向けて構えた。
「警察だ、全員武器を捨てろ‼」
「何!?」
突然現れた武に俊山と組員の注意が逸れた瞬間、女はその隙に地面に素早く伏せた。
「撃て!」
俊山がそう言うと、組員が武に向けて銃弾を放つが、すぐに能力を発動し、飛んでくる銃弾を避けながら武も銃弾を放った。
肩を貫かれた組員は受けたことのない痛みからか、地面に横たわり右へ左へと転がりながら苦しんでる。
あと1人、俊山を残すだけとなった時、まだ弾は残っているはずなのだが、引き金を引いても武の拳銃から弾が発射されなくなってしまった。
「くそっ!」
拳銃をよく見ると、薬莢が排莢口に挟まり、次弾が装弾できない排莢不良の状態になっていた。
「化け物か、てめぇは⁉」
銃弾を避けるという武の人間離れした動きを目の当たりにした俊山は、武に銃口を向ける。避けられてしまうかもしれない、と思いながらも危機感が残る今、何かをしなくてはいられなかったのだ。
実は武も同じだ。集中が途切れたことで能力が止まった今、危機に瀕している。
銃を握っているとはいえ、ジャムを起こした銃でも能力が発動するのかを試したことがないからだ。
武の能力の再発動か、俊山の銃弾が武を捕らえるか、どちらが倒れても不思議ではない状況だ。
そして――
「うっ‼」
膝をついて倒れたのは俊山だ。武の能力が再発動し――いや違う!
「これは!?」
武が俊山の背中を見ると、ある物が刺さっていた。後端部分に安定翼の付いた3センチ位の太さの金属製の丸い杭だ。
その杭には見覚えがある。鑑識の資料で見たホワイトウィッチの武器の1つ。
まさか、と思い武は俊山の向こう側に目を向けると、ゆっくり立ち上がる女の姿。伏せた勢いで帽子は脱げており、女の顔もハッキリ見える。
その女の右手には、2つの銃身が横に並んだソードオフタイプ(銃身やストックを切り詰めて短くした銃)のショットガンのような発射銃が握られていた。
何で女がホワイトウィッチの武器を持っているのか?
それを考えたのは一瞬だ。
それは彼女自身が――
ホワイトウィッチ。
女は発射銃を武に向ける。
「――銃を捨てろ!」
排莢口に薬莢が挟まったままの銃を構えた。もちろん能力が発動するかは分からない。
女は武に向けて、杭を飛ばした。
飛んでくる杭を睨みつける武。恐らく女は肩を狙ったのだろう、だいぶ高い位置に杭が飛んで来たが、武は拳銃のグリップの底を使って、杭を横に流すように弾き、杭の弾道を逸らした。
どうやらジャムを起こした拳銃でも能力は発動できるようだ。
そして銃のスライドを左手で鷲掴みにすると、スライドを引き、挟まった空薬莢を取り除いた。
そして拳銃を女に向けて構えた。
「……どうなってるの?」
女は当然ながら何が起こったのか状況が理解できず、呆然としていた。
「残念だったな。俺にその手の武器は通用しな――」
武が言いかけた時、女の後ろで武が肩を撃った組員が拳銃を女に向けていた。
すかさず能力を発動した武は、組員の握る拳銃に向け銃弾を放ち、組員の拳銃を弾き飛ばした。
拳銃を飛ばされた組員は銃を持っていた手と武に撃ち抜かれた肩の痛みから歯を食い縛る表情を浮かべたまま横たわった。
「――動くな!」
武は銃を構えたまま、横たわる組員に向けて言うと、組員は素直に両手を上へ――正確には横だが、上げた。
それを確認した武は拳銃を再び女に向けると、さらに女に問いかけた。
「それよりお前、ホワイトウィッチだな⁉」
その問いかけに、組員も「えっ?」と驚き、女を見た。
女は武を見たまま何も答えない。だが武にとっては、その沈黙が答えのようなものだ。
ホワイトウィッチと分かった途端、武の中に憎しみが沸々とこみ上がった。
「よくもオヤッさんを殺したな!」
恩師を殺した相手が目の前に居る。その憎しみが引き金に掛ける指に自然と力を加えた。
今の武は完全に殺意の塊と化している。構えている拳銃も、何時撃鉄が降りて銃弾が発射してもおかしくない状態だ。
本来なら仲間の誰かが武を止めに入るところだが、今は誰もいない。
するとホワイトウィッチは視線を下げると、静かにつぶやいた。
「……そう……亡くなったのね、谷さん……」
武は引き金から指を離した。
「お前、オヤッさんを知ってるのか?」
思いもよらない女の一言によって、先ほどの憎しみは何処かに消えてしまった。
「……ええ、谷さんには色々お世話になったから」
「なんだよそれ? どういうことだよ⁉」
武の理解が追い付かない、刑事である谷が暗殺者のホワイトウィッチと繋がっているのか? 武にとって、あの刑事の鏡ともいえる谷が犯罪者と。
ホワイトウィッチは視線を武に向ける。その目は武が襲撃現場で目にした獣のような鋭い目ではなく、寂しさや申し訳なさを感じさせる悲しい目をしている。
刑事としてまだまだヒヨッコの武だが、今のホワイトウィッチが嘘をついているとはとても思えなかった。
「実はね大下刑事。谷さんは――」
ホワイトウィッチは武に何かを伝えようと口を開いた。
カタッ!
ホワイトウィッチの向こう側に倒れていた組員が、武に飛ばされた拳銃に触れていた。
「動くな!」
物音を聞いた武は、反射的に組員の方へ拳銃を向けた。
会話を邪魔されたホワイトウィッチは舌打ちし、ショルダーバックから何かを取り出し、自分の足もとに投げた。
すると白煙が発生し、あっという間に武の視界を奪った。襲撃の時と同じ煙幕だ。
煙はすぐに晴れたが、ホワイトウィッチの姿は何処にも無い。
それどころか武にとって最悪なのは、生かしておいた組員が心臓近くに刺し傷を残して死んでいたことだ。恐らくホワイトウィッチが口封じの為に殺したのだろう。
目の前でホワイトウィッチに逃げられ、さらには組員とはいえ目の前で人が殺された。武は自分の無力さにその場に座り込んだ。
結局、武が正確にホワイトウィッチと森岡の会話で聞き取れたのは、「18時に白摩埠頭に何かが到着する」ということだけだった。恐らく何かを密輸するのだろうが、それが何なのかは分からないままだ。
だが、何よりも武が受けた大きなショックは、谷とホワイトウィッチとの関係が浮上したということだ。