3話 天海競馬場
翌日の朝。
白摩署の刑事部屋には課員が集まり大騒ぎになっていた。
「おはよう」
出勤してきた宮元が刑事部屋に入るが、課員は誰も気づいていない。
「どうした⁉」
宮元が少し大きめの声で言うと、課員全員が気づき宮元の方へ向いた。
鹿沼が宮元に慌てている理由を説明する。
「大変です課長! 大下が行方不明です!」
「何? 寮には居ないのか?」
「はい。車両係から聞いた話では、朝早くに覆面車でどこかに行ったみたいですが」
「連絡は取れないのか?」
「ダメです。携帯も覆面車の無線も切られています……」
菅原が答えると、宮元は自分の席に静かに座ると、深くため息をついた。
「……早く大下を見つけ出すんだ」
宮元は怒りを抑えるように小さく言った。
恐らく武はホワイトウィッチを追って単独行動を取っている。
自分や課員に内緒だったのも、相談したところで止められることを分かっていたからだ。
とはいえ、相手は未だ何の手掛かりも掴めてない暗殺者、どんな手を使って来るか分からない。仲間のバックアップもなしに行動すれば、それだけ捕まるか殺されるリスクは大きくなる。
それに下手したら、武の行動1つで警察の信用問題にもなりかねない。宮元はそれを一番に気にしていた。
〇
その頃、武は日下の情報を頼りに競馬場の駐車場に居た。
今週、神川県内でレースが開催される競馬場は、幸い白摩署の管内にある、この天海競馬場だ。
天海競馬場の建物は1号スタンドと小さめの2号スタンドに分かれており、駐車場は大きなコースの内側半分を占め、トンネルを潜ってコースの内側へ入る仕組みになっている。
コースが大きい分、車も700台は止められるくらい広い。
コース内中央にはスタンドへ抜ける為の地下通路。そして駐車場の反対側は、芝生の広場や内馬場、イベント用のバーベキューエリアなどがある。
武の覆面車は、駐車場の奥から2番目のレーン、通路のすぐ横の場所に止められていた。
出入り口のトンネルから少し離れている場所だが、それは相手に気づかれてしまうリスクを減らすためだ。
離れていても双眼鏡を持っているので、入って来る車を確認することはそれほど難しくはない。
「……頼むから現れてくれ」
武は祈るような思いで静かにつぶやいた。
問題は日下が言っていたクライスラーの女が現れるかどうかだ。
例え現れたとしても、目的の女とは限らないうえに、もしかしたら、噂が女の耳に入って、別の車に変えている可能性もある。
そんな不安を何とか振り払い、駐車場に入る白い車のエンブレムのチェックを始めた。
クライスラーのエンブレムは知っているので、あとは見つけるだけだ。
駐車場も徐々に車が埋まり、空きよりも車の数の方が多くなった。
さすがに長い時間、同じところを見ているのは辛い。
双眼鏡から目を離し、腕時計を見た。
時間は「10:40」を表示している。
駐車場に来てから1時間近くたっているが、未だクライスラーは現れない。
それでも武は、再び双眼鏡を覗いて駐車場に入ってくる車を確認した。
やがて11時になり、最初のレースがスタートした。
競走馬たちが、コースの砂ぼこりを上げながら疾走している。
駐車場の中は空きを見つけるのが難しくなるくらい車の数が増し、車の中から疾走する馬を見ている人も居た。
その中で唯一、馬を見ていないのは武だけだろう。
外車は少なからず入ってくるが、どれもクライスラーではない。
加藤の武器工場の時もそうだったが、長い時間、何の進展もないことに、ただでも短い武の忍耐に限界が迫っているが、「谷の仇を打ちたい」という気持ちがその限界を伸ばしている。
すると――
「……!」
武の目が大きく見開いた。
1台の白い車が駐車場に入って来たのだ。車のフロントにはエンブレムがあり、そのエンブレムこそ――
来た!
武にとって待ちに待った車、クライスラーだ。
クライスラーは武の覆面車の横を通過し、一番奥の列に止まった。
武は覆面車のルームミラーを動かして、クライスラーの様子を窺う。
運転席のドアが開き、中から降りてきたのは――
金髪ロングヘアーの……男。
日焼けしたように黒い肌に、派手なピアスやネックレスなどを身に着け、服装は上下ブルーのジーンズで統一されている。真っ先に出るイメージはチャラ男だろう。
さらに助手席からはチャラ男と似た服装のギャルが降りては、男と腕を組み、満面の笑みでスタンドへ続く地下通路へ向かった。
「なんだよこの野郎……」
武は口を尖らせて言った。
糠喜びした悔しさもそうだが、まるで自分たちのラブラブぶりを見せつけるかのように歩いて行ったカップルに対してでもある。
内心、武も恋人は欲しいと思っているが、刑事の仕事を理解してくれる女性でなければ、付き合うどころか会ってもくれない。
この時ばかりは刑事という職に嫌気を感じるが、それでも自分を刑事にしてくれた谷のことを考え、本音を押し殺して車のチェックを再開する。
以前、覆面車の中で車のチェックを続ける武。
カップホルダーにあった残り少ないペットボトルの中身を飲み干し、それをカップホルダーに手荒く置いた。
せめて現れるかどうかだけでも分かれば、気持ち的に余裕を持てるのだが、話し相手も居ない、ずっと座ったまま車を探している状態に、武の気力も限界に来ていた。
やがて駐車場は空きが殆ど無くなり、満車と言ってもいいほど車で埋まった。
武の腕時計が「12:00」を表示し、コースでは第3レースがスタートした。
「くそっ、今日はダメか……」
全く進展のないことに今日の張り込みを諦めた。
白摩署に戻った時の言い訳をどうするか頭を回転させるが、鬼のような形相の宮元に怒られ、最悪クビにされることしか想像できない。
血を抜かれるように次第に武の顔色が悪くなっていく。
何とか、「俺が悪い、自業自得だ」と自分を説得し、今から向かうであろう駐車場の出入り口にふと眼を向ける。
すると、1台の白いセダンタイプの車が駐車場に入ってくるのを見つけた。
日本車とは違う特徴のその車を双眼鏡で覗き、フロントにあるロゴを確認した。
クライスラーだ。
クライスラーは武の覆面車へと近づいてくる。まるで武の覆面車に向かって来るかのようだ。
「やべっ!」
武は慌てて横に倒れる形で隠れた。何故ならそのクライスラーは、武の覆面車の真ん前に駐車されたからだ。
ギリギリ見える程度体を起こして様子を窺う。
期待と同時に、またハズレではないか、と不安も押し寄せる。
クライスラーの運転席のドアが開き、中から降りてきたのは金髪ロングヘアーの――
白人系の女性。
ついに本命が現れた。
武もガッツポーズを取る。
女の服装はクリーム色のスタンドカラーコート、その下からは足首が見えないほどの白いロングスカートを履いており、腕を覆うほどの白いイブニング・グローブのような手袋をしている。
風に舞う女の長い金髪は、まるで黄金のカーテンのように輝いていた。
目つきはあまり良いとは言えないが、横顔だけでも顔立ちはまるで絵に描いた女神のように美しかった。
「結構、美人だな……」
今までテレビか雑誌でしか見たことがないような美女を間近で見た武。
こういう人と一度は付き合ってみたい、と妄想ともいえることを頭に浮かべ、完全に目的を忘れ――
(って、俺のバカ‼)
突然武は我に返り、首を左右に振って何とか自分を正気に戻した。
女は警戒しているのか周りをキョロキョロ見回しており、武は何とか女の視界に入らないように体を横に倒して隠れる。そして、女が周りを確認した頃合いを狙って再び体を起こして女を注意深く観察した。
怪しい人間が居ないと判断したのか、女は大きめのショルダーバックを肩にかけ、白いつば広帽子を被ると、車のドアを閉め、スタンドへ抜ける地下通路へ向かって歩き出した。
ついに谷を殺した奴の手掛かりが掴める。
武の中で期待が膨らんだ。
尾行する為、変装用に色の濃い黒のサングラスを着用した。安物なので見栄えはそこまでカッコイイとは言えないが、正体を隠すには十分だ。
武は女が十分に離れたことを確認すると、覆面車を降りて尾行を開始した。