11話 潔白
翌日、神奈川県警の一室では、大混乱の真っ最中だった。
何故なら先日、大戸野に横須賀のヨットハーバーに向かうように指示を出した時のブラックウィザードの声を科捜研が分析した結果。
なんと、電話の声は、武の声と一致したのだ。
ところがだ。その電話が掛かってきた頃、武は寮に居ることは西嶋たちも確認している。
アリバイがあるのだ。
「何か方法を使って電話をしてきたのよ。それしかない」
しかし、大戸野は武がブラックウィザードだという考えを変えない。
「大下はどうしたの⁉ 何時になったら来るの⁉」
大戸野は直々に武を取調べようと呼び出しをしていた。
すると、部屋のドアが開き、西嶋と一緒に武が入って来た。
「遅かったじゃない⁉」
ヒステリックな大戸野を見て西嶋と武も思わず目を点にする。
そもそも、寄り道をしていたわけではないので理不尽だ。
「ところで、どうしで自分が呼び出され――」
「――惚けるなー‼」
武が言い終わる前に、大戸野の怒号が遮った。
「アンタ、昨日どうやって西嶋たちの目を欺いたの⁉」
「……えぇ……」
開口一番で完全な容疑者扱いに、武は目を細めた。
事実、欺いたのは本当だが。
「『欺いた』ってどういうことですか?」
「トリックを使って寮から抜け出したでしょう⁉」
「なら調べてくださいよ。寮にも防犯カメラがあるんですから」
「そんな手には乗らないわ!」
武が無実を証明する方法を訴えるが、大戸野は全く聞く耳を持たない。
そんな理不尽なやり取りが続いていると、部屋のドアが開く。
「ちょっといいかな?」
木暮が橘と一緒に部屋に入って来た。
「これを聞いて欲しい」
そう言って木暮は、近くのパソコンにSDカードを入れ、ある音声データのファイルを開き、音声を再生する。
――コンテナヤードについてネタがある。
武の声だ。
「大下の声じゃないですか!」
大戸野が言った。
「そう。これは前にブラックウィザードが捜査一課に掛けてきた電話の音声の一言だ。勿論、掛かってきた時は変声していたがね。科捜研で分析してもらったら、この声だった」
「じゃあ、やっぱり大下がブラックウィザードで確定じゃ!」
「ところが、そうとも言えないんだ」
大戸野とは打って変わり、木暮は穏やかな口調で否定した。
「この電話を私が受けた時、大下君は白摩署の刑事部屋に居たことが、刑事課の課員たちによって証明されたよ。科捜研の見解では、大下君の声になるように音声を偽装し、更に音声のピッチを下げた二重の偽造をしている、ってことらしい」
「それなら、わざわざピッチを下げなくても、最初から大下の声に偽装すればいいのでは?」
大戸野の言う通り、声による正体の発覚を防止するにしても、武の声に偽装するだけでいいはずだ。
「それがね、大戸野君。自分の声を他の人間の声に機械で変換するには、今の技術では限界があるらしい。恐らくブラックウィザードの声が、大下君の声に変えやすかった可能性が高いんだ。だが、科捜研の意見では、分析次第で本当の声が分かる可能性があるらしい。ピッチを下げたのは、更に分析を困難にさせる狙いがあるそうだ」
「しかし、それ自体が大下の工作ということも!」
木暮の説明にも、納得できないのが大戸野だ。
大戸野の言う通り、これ自体が武の偽装工作の可能性も有る。武が潔白だという確証にはならない。
話が平行線になっていると、突然電話が鳴った。
「誰か、早く取りなさい‼」
大戸野の声に反応して刑事の人が受話器を取った。
「はい……何だって⁉」
「どうしたの⁉」
「ブラックウィザードから電話です!」
「何ですって⁉」
大戸野は、刑事から受話器を受け取った。
武もどさくさに紛れて、近くの電話の受話器を取る。
「もしもし?」
『〈大戸野だな〉』
間違いなくブラックウィザードだ。
他の刑事が、急いで逆探知と録音を開始する。
「誰なのアンタ⁉」
『〈世間では、ブラックウィザード、って呼んでいるみたいだけど〉』
「そんな訳ないでしょ! ブラックウィザードはここに居る!」
そう言って大戸野は武を指差した。
指された武は、ムスーとした顔で大戸野を睨んでいる。
きっと、このブラックウィザードの電話もトリックだ。
そう、予め録音をして、仲間がそれを流している。それでアリバイを証明しようとしているに違いない、と。
「それで、何の用かしら、偽大下君?」
『〈……。どうでもいいけど、一山市の港街にある『シンプソン』っていう店を調べな。表では海外雑貨店に化けているが、裏では武器の密売をやってる。鬼柳のライフルもそこからながれているかもよ〉』
(こうなったら、ここで……)
ブラックウィザードからの電話が切れる、と思った大戸野は、この電話がトリックであることを証明するために、仕掛ける。
「ところでアナタ、サッカーはお好きかしら? ――」
予想もしないことを言えば、録音では答えることができないだろう。
このブラックウィザードの声もトリックだということが証明出来るはずだ。
『〈――俺はサッカーより、野球の方が好きなんだけど?〉』
「えっ……?」
『って言うか、今の刑事は犯人に逆ナンするのか? 言っておくけど大戸野刑事、アンタは俺のタイプじゃない〉』
「あ、あのー……」
大戸野は言葉を失った。
明らかに録音では出来ない返事だ。
まさか本当に武とは別人なのか?
「ちょっと言わせてもらっていいか?」
『〈んっ? 大下か?〉』
「そうだよ。――って言うか、俺の声を使って好き放題やってくれた所為で、俺がお前と間違えられてんの! 冤罪吹っ掛けられた容疑で逮捕てやろうかぁ⁉」
『〈それは悪かったな。今度はその女の声にするよ〉』
「いや、それは止めなよ……」
『〈……。それもそうだな……〉』
大戸野が鋭い眼光で武を睨みつけた――他の刑事は笑いを堪える為に口を両手で抑えていたが……。
『〈それより言ったこと、忘れるなよ。それともう一つ、横須賀の住宅街にある貸しガレージで鬼柳らしき人間が出入していたと聞いた。そこも調べてみな〉』
そう言い残すと、電話は切れる。
「一体どういうことなの……?」
「俺の潔白は証明されましたね?」
大戸野は悔しそうに歯を食い縛ると、西嶋に命令を出した。
「西嶋、大下を留置場へ!」
「何の容疑ですか?」
「何でもいい。早く入れなさい!」
「横暴ですよ、警視‼」
「命令よ! 従わないなら、あなたを解雇に――」
ドアが開くと、部屋に居る全員がその方へ顔を向け、そして一気に顔つきがこわばる。
入って来たのは、県警本部長の坂東だ。
「本部長!」
流石に坂東が相手では、大戸野もデカい態度は取れず、姿勢を正した。
「大戸野君、キミには失望したよ」
「どういうことでしょうか……?」
「キミが例の二人組を追うことに必死になっている、その熱意は素晴らしい。しかしだ。今の大下君や西嶋君に対しての横暴な態度、それだけじゃない、他の刑事に対しても同じようなことをしていたようだな?」
「……そ、それは」
大戸野は口を小刻みに震わせた。
「内部調査の結果で分かっている。キミがこれまでしてきたことを副本部長の早乙女が全部揉み消していることも、キミと早乙女の内縁事情もね。他の刑事が捜査をしているのに、キミという奴は……。キミを全ての担当から外す。これは命令だ」
大戸野は崩れるように膝をついた。
〇
大戸野が他の刑事に連れられて部屋を出て行った。
――えっ、副本部長とデキてたの?
――俺たちが働いている最中に何してんの!
など、部屋に残された刑事たちが陰口を言っていた。
「みんな不満だったんですね」
武が橘に向けて言った。
橘も「当然」と言うように、頷いた。
「それより大下君。すまなかった」
橘は武に向けて頭を下げる。
「いや、待ってください。橘さんが謝ることじゃないですよ。むしろ――あのオバさんからの謝罪が無いのが不満ですけどねっ!」
武の顔は般若と化していた。
「ところで、何があったんですか昨晩?」
武の質問に橘が答える。
昨晩、大戸野――本当はホワイトウィッチ――の連絡で葬儀場を張っていた時に武装した外国人と遭遇、最終的には自決されたことと、黒富士組本部付近で鬼柳と魔法使い二人組が交戦。
埠頭では、頭部が吹き飛んだ女の死体が発見され、総合公園では鬼柳の射殺体が発見されたことを話した。
「鬼柳が殺された⁉」
「残念だがな。犯人は分かっていない」
「やっと谷さんを殺った犯人が分かると思ったのに……」
悔しそうに俯いた。