第9話 人外公爵の気遣いは斜め上
屋敷で見た魔法陣が足元に現れる。そこからジュリアスの居城までは転移魔術で一瞬だった。
水仙の湖畔と比べ、ここには深い濃緑の針葉樹林ばかりだ。錫色の煉瓦造りの冷厳な古城の周囲は、閑静な雰囲気を帯びている。
この古城は王国内最古の建造物だと歴史書に書かれていた。
千年以上前に精霊族の王が作ったものを、ヴィルヘルム公爵家が維持しているのだという。
王都にある王城の半分ほどの横幅だが、高さは塔を含めて優に三倍はありそうだ。こんなに高さのある建造物は王都でも見たことがない。
それにしたって、とエルヴィアンカはいまだに転移魔術での移動の衝撃を受けていた。
「すごい、こんなに一瞬で……」
「先ほども一瞬だっただろう。そう驚くことでもない」
「で、でも昔、家庭教師から『この世界で転移魔術を習得している人間はまだいない』と習いました。確か、転移の魔術式が完成しても、召喚魔術のように宮廷魔術師の一部が扱える程度だって……」
ヴィルヘルム公爵領は王国の最北端にある土地だ。王都から馬車で向かうなら一週間はかかる。
だと言うのにジュリアスは、たった数十分のうちに、ここヴィルヘルム公爵領から王都にあるオディーリア伯爵家へ転移して、今度はエルヴィアンカを連れた状態でヴィルヘルム公爵領の『最北の楽園』へ転移し、さらに古城の前へ転移……と転移魔術を連発していた。
「僕は純粋な精霊族だからな。生きている時間が違えば、魔力の上限も自ずと異なってくるだろう」
「それにしたって桁違いだと思います……!」
エルヴィアンカは改めて彼が人間ではないのだと感じた。
見た目はほとんど人間に見えるが、その高貴な美貌が神々しく近寄りがたいのは、彼が精霊である証拠だ。
だが同時に、冷血な人外公爵という噂は嘘なのだという思いを抱いた。
(だって、きっと途中で『最北の楽園』を経由したのは、転移魔術の経由地点だからではなくて、私にあの景色を見せるためよね?)
名前のことといい、人間離れした彼には不器用な優しさがある。
なんだか、くすぐったくて、嬉しくてたまらない。
エルヴィアンカは彼の腕の中で、とくりとくりと幸せを感じる心臓を抑えるために手のひらを当てようとして――
「あれ? は、羽ペン??」
自分が羽ペンを握っていたままだったことに気がついた。
(契約書にサインをしてきた時に借りたものだ。まさか魔法陣に驚いた時から握っていたなんて)
「君のものか?」
「いえ。屋敷の……お兄様のものです」
「それならこの先に持ち込むのはよそう。貸してくれ」
「はい。あの、どうするんですか?」
「召喚魔術の応用で、この羽ペンと君の必要なものを交換する。君が城で過ごすためのものは僕が全て用意するつもりだが、なにか屋敷から持ち込みたいものはあるか?」
「それなら、祖母のドレスを……。一着しかない大切な形見なんです」
「わかった」
そう言って彼は骨ばった長い指先で羽ペンを持ち、一瞬で消し去った。
(召喚魔術の応用ということは、ここにドレスが召喚されるのかしら?)
それなら自分でドレスを抱えたいので、お姫様抱っこ状態を解除してほしい。
そう思った瞬間、身体が光に包まれる。
「わっ! ……え、えええ、お祖母様のドレスになってる……!!」
「せっかくだから着ていくといい。今まで身に纏っていた衣服では、お祖母様にいらぬ心配をかけるだろう」
簡素なワンピースが一瞬で祖母の黒い古典的なドレスに早変わり、という現状に、エルヴィアンカは目を白黒させる。
(ちょっと待って! お祖母様のドレスを召喚してもらえたことは嬉しいけれど、これってどういう状況なの? まさか私、ジュリアス様に抱っこされたまま、き、き、き、着替えたってこと!?)
エルヴィアンカの頬がかぁあっと赤く染まる。
(み、見えたのかしら? 大丈夫だったのかしら? とにかく、淑女としてあるまじき行為ではっ)
と、彼女が熱い頬を両手でぱちんと押さえる頃には、首から耳の先まで真っ赤になっていた。
前世の記憶と違って、ワンピースの下がすぐに下着ということはない。が、感覚的には下着みたいなものだ。婚約者とはいえ、殿方に見られるなんて恥ずかしいし困る。
(そもそも魔術なのだから杞憂というかっ。殿方の腕の中で着替えてしまったという概念自体が、間違っているのかしらっ)
「あ、あの」
「なんだ?」
「……い、いえ、その……。み……見えました、か?」
「ん? 見えたとは?」
羞恥心でいっぱいの茹で蛸のような顔でエルヴィアンカが問うも、とうのジュリアス本人は『意味がわからない』というお顔をしている。
「〜〜〜っなんでもありません!」
エルヴィアンカはどうして私だけが恥ずかしいと思っているの、と精霊と人間の感覚にギャップを感じつつ、次々に襲い来る羞恥心に堪えたのだった。
※ジュリアスは人外なので魔術で着替えるのは普通だろう?くらいの感覚です(ちなみに見えていません!後で従者に叱られますのでご安心ください!)
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