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第8話 不器用な優しさ


 透明な朝露が芽吹いたばかりの新芽につるりと滴っている時の、澄んだ森の匂いがする。

 眩しい光に目を瞑っていたエルヴィアンカは、そろりとそろりと瞼を開き、そして驚いた。


「わ、あ……っ」


 普段より高い視界から最初に見えたのは、湖畔一面に咲き誇っている水仙だった。


(まるで黄色い絨毯が敷かれているみたい)


 太陽のように輝く水仙の花のそばで、蝶がひらりひらりと舞い、湖面を撫でる穏やかな風が吹く。


 どこからか、聞いたことのないほど綺麗な小鳥の鳴き声が聞こえてくる。高らかに伸びる(さえず)りは、王都とは違う空の高さを感じさせた。


(王都の空は夕焼けに染まり始めていたのに、早朝のような青空が広がっているわ)


 空だけではなく、季節もまるで違う。王都はまだ冬の終わりだ。しかし、ここはすでに春だった。


「もしかして、ここが……『最北の楽園(ノアナエデン)』? ……すごく、綺麗……」


 幻想的な景色は、寝物語にお祖母様が語っていた『最北の楽園(ノアナエデン)』の風景そのものだった。


「いつの時代も人間は皆そう呼ぶ。僕にとっては何百年と見慣れた光景だが」


 独り言に対して頭上から降ってきた美声に、エルヴィアンカはびくりと肩を揺らす。


「あっ、えっ!?」


 見上げると、猛禽類のような金色の瞳とかち合った。

 たった数十センチの距離で見つめるにはあまりにも神々しすぎる澄んだ金色が、長い睫毛の奥でやわらかく細められる。


(そ、そうだった。私、ヴィルヘルム公爵閣下に抱き上げられてたんだわっ)


 異性に抱き上げられた経験などもちろん皆無なエルヴィアンカは、羞恥心で顔を真っ赤にした。

 お姫様抱っこという体勢も十分恥ずかしいが、こうやって彼の手を煩わせているのも申し訳ない。


(これから何日間を『最北の楽園(ノアナエデン)』で過ごすのかはわからないけれど、相応の覚悟はできてる。今さら逃げたりなんかしないのに)


 どうやら信頼されていないらしい。

 なにより体重を軽減する魔術など習得していないので、彼の腕にはそれなりの負担がかかっているだろう。


「あ、あの、ヴィルヘルム公爵閣下? 一人でも歩けますので、どうぞ下ろしてくださいませんか?」

「…………僕は一応、君の夫になる男なのだが」

「え??」


 少しだけ不機嫌そうに眉を寄せたジュリアスに、エルヴィアンカはきょとんとした表情で返す。


 夫となるのは知っている。

 なにせ王国で行われている婚約とは違う、かなり強引な手法……ではなく、かなり高等魔術を用いた方法で、婚約を結んだばかりだ。


 しかし、それが精霊族の末裔が魂を奪うための方便であるということも知っていた。


「…………君には、僕をジュリアスと呼ぶことを許す」


 ジュリアスはそう言ってからふいっと顔を正面に向けると、スタスタと黄色い水仙の群生地の中を歩き出す。


(えっ? ええ?? もしかしてさっきのは、名前の呼び方のことを気にして?)


 結局エルヴィアンカを抱えたまま進む彼は、エルヴィアンカを信頼していはいないが、婚約者として名前で呼ぶことを許可してくれたようだ。


 生贄にも真摯に接してくれる彼に、エルヴィアンカの胸にはあたたかい気持ちが広がった。


「……ジュリアス様」

「なんだ?」

「……ありがとうございます」

「それは城に着いてから言うべきだな。君に感謝されるようなことを、僕はまだ成し遂げていない」


(そんなことはないのに)


 エルヴィアンカは彼は長い年月を生きているからこそ、そう思うんだろうか? と思った。


(だってあなたは……不吉令嬢と忌避されていた私と婚約をしてくれたし、フランチェスカの嘘も見抜いて庇ってくれた。さっきはあなたの名前を呼ぶことも許してくれたし、……――『最北の楽園(ノアナエデン)』にも連れてきてくれた)


 あのままフランチェスカがジュリアスと婚約していたら、兄はその事実を隠蔽しただろう。


 エルヴィアンカは自分を蔑み、お祖母様の大切な葬儀の場で婚約破棄をしてきた元婚約者と()()()()()()()()()()添い遂げなければいけなくなっていたかもしれない。


『お前のような女は幸せになる資格などない』というあの言葉は、今も強烈にエルヴィアンカの胸に焼き付いている。


 けれどジュリアスは、なにも言わずにただ魂だけを奪い去りにきた。こうして代わりに、たくさんのものをエルヴィアンカに与えて。


 百八十センチを越える長身の彼に抱き上げられた視界から見る幻想的な風景は、最期の時に相応しい。

 幸せだと思わずにはいられなかった。



 小鳥の囀りが聞こえる。湖面は陽にきらめき、あたたかな風が頬を撫で、水仙の花を揺らしていく。


 ジュリアスはエルヴィアンカの重さを感じていないのか、まるで散策でもするように湖畔を通り抜ける。


 そしてエルヴィアンカを片腕で支えたまま、おもむろに高台の上にある古城を指した。


「エルヴィアンカ。今日からあの城が君の家だ」



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