第7話 フランチェスカの嘘
(彼が精霊族の末裔の、ジュリアス・ヴィルヘルム公爵閣下……。冷血と恐れられるひとには見えない)
あまりにも美しい青年のため、神々しさからくる畏れはあるが、命の恐怖に怯えるほどじゃない。
長い年月を生きているという噂だが、見た目も二十代後半に見える。もっと細かく例えるとすれば、二十七歳くらいだろうか。
美青年は騎士のような所作でエルヴィアンカの前に跪くと、エルヴィアンカの手を取り、そっと口付けた。
跪いたままこちらを見上げた彼の、さらさらの前髪がこぼれる。
鋭い目元の、けれど慈しみや優しさが滲んで見える透き通った金色の瞳にまっすぐ射抜かれて、エルヴィアンカは頬が熱くなるのを感じた。
(この方が不吉令嬢と婚約を? 信じられないわ。なにかの、)
「――なにかの間違いでは!?」
エルヴィアンカの思考と、フランチェスカ声が重なった。
姿勢を正したジュリアスの元へ、真っ赤なドレスを纏ったフランチェスカが歩み寄る。
「ジュリアス・ヴィルヘルム公爵閣下、お初にお目にかかりますわ。私が、エルヴィアンカ。エルヴィアンカ・オディーリアでございます。そちらは私の双子の妹、フランチェスカですわ」
フランチェスカはそう言って、たおやかな微笑みを浮かべながら優雅にカーテシーをした。
「フランチェスカ、なにを言っ」
「双子ですので、よく見間違えられますの。本日はジュリアス様との婚約に備え、正装をさせていただきました」
エルヴィアンカの言葉を遮るように、フランチェスカが大きな声で嘘の状況説明をする。
絶世の美貌を持つ人外公爵の美しさに目が眩んだフランチェスカは、魂を奪うという言い伝えを一瞬で忘れていた。
人外だろうが関係ない。
そんなことより、この男性を落としたいと……自分こそが彼に愛されるべきだと思った。
あの婚約者はもともと姉のものだ。
彼に姉の悪評を流し、庇護欲をそそるように甘えてすり寄る日々は甘美なものだった。
姉から奪ってやったという事実に毎日酔いしれ、禁断の恋は熱く燃え上がったし、自分に溺れたあの男が、姉を大勢の前で断罪するさまを眺めるのは最高の気分だった。
……でも、もういらない。あの婚約者はもともと姉のものだ。
――だから、もう一度交換したって構わないでしょう?
フランチェスカはか弱く見えるよう、庇護欲をそそるよう、ジュリアスにすり寄る。
双子の姉妹はよく似ているが、瞳の色や表情、仕草が異なるので簡単に見分けがつく。
しかし初めて会った者が、双子のどちらがエルヴィアンカだなんて知るわけがない。フランチェスカはそれを上手く利用した。
「君が、エルヴィアンカだって……?」
「ええ、ええ。私ですわ!」
ジュリアスが長い睫毛に縁取られた二重瞼をやわらかく細める。
フランチェスカは頬を真っ赤に染めて、やっぱりお姉様じゃなくて私が選ばれた、と内心歓喜に打ち震えていた。
(違う、違うの。私が、)
見つめ合う二人を見て、エルヴィアンカはそう言い出したくても、唇が細かく震えて声がでない。
開花したてのみずみずしい紅薔薇のようなフランチェスカの、宝石のような眩さに圧倒され、脳裏には婚約破棄されたあの日浴びせられた言葉の数々が蘇ってくる。
気にしないフリをして前向きにつとめていたが、あのとき向けられた言葉のナイフは、じわじわとエルヴィアンカの心を蝕んでいた。
それにフランチェスカの言う通り、彼女だけがジュリアスとの婚約の場に相応しい装いをしている。
そんなフランチェスカが嘘をついているようには、誰にも見えないだろう。
(もしかしたら私が名乗り出ない方が、彼にとってはいいのかもしれない――)
切なく痛む胸を、エルヴィアンカは握りしめた手でぎゅっと押さえる。
けれどジュリアスだけが、そんなエルヴィアンカに気づいていた。
「そんな見え透いた嘘で僕を騙そうって? ははっ。……笑わせるな」
すっと表情を無くしたジュリアスが、強い怒りを無理やり抑えたかのような凍てついた声を出す。
「え、あ……ジュリアス様……っ? 嘘ではありませんわっ」
「精霊族は魂を奪うと、聞いたことは?」
「ど、どういう意味でしょうか? ジュリアス様、本当に、私は」
「お前に僕の名を呼ぶことを許した覚えはない。二度と口にするな。――今すぐにでも死にたいというのなら、好きに呼ぶといい」
ジュリアスの鋭い瞳に睨まれ、フランチェスカは羞恥と怒りにまみれた表情で色づいた唇を噛む。
兄や義姉は顔を青くし、恐怖に震えていた。
初対面でこうもたやすく双子を見分けたジュリアスを、……いや、初対面にも関わらずフランチェスカの嘘を見抜いてくれた彼を、エルヴィアンカは呆然とした表情で見上げる。
(普通はフランチェスカの嘘に、誰もが騙されるのに)
「さあ、エルヴィアンカ。行こうか」
「あの、でも、私は不吉を呼ぶ令嬢と言われていて……その」
彼と面と向かってみると、公爵夫人としては全然、釣り合っていない気がする。
「僕はその不吉を呼ぶ令嬢を娶りに来た」
「で、ですが、精霊族への生贄だとしても、あまりにも不敬では……?」
彼は金色の瞳を蜂蜜のようにとろけさせて微笑むと、エルヴィアンカの膝裏に手を回して一気に抱き上げた。
「きゃっ!?」
突然のお姫様抱っこに小さく悲鳴がもれる。
「それでは、オディーリア伯爵家の皆様。婚約は成立しましたので、失礼させていただきます」
「ちょ、っと待ってください。エルヴィアンカは」
「オディーリア伯爵? 契約の内容を……ゆめゆめお忘れなきよう」
ジュリアスはうっとりと悪魔のように艶やかに唇に弧を描く。
オディーリア伯爵家の三人が恐怖で青ざめ身を寄せ合う中、彼は光る魔法陣に沈むようにして、エルヴィアンカを連れ去ったのだった。
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