第5話 兄の告げる新しい婚約者
「……ごめんなさい。配慮が足りなかったわ」
言われてみればその通りだと、エルヴィアンカは落ち込む。
確かに、噂を信じている人たちにとっては散々な時間だっただろう。
(私は噂のような人物ではない、と胸を張って就職活動に勤しんでいたつもりだったけれど、訪問先の皆様のお気持ちを考えれば、そうよね。
それどころか、きっとどこかに『不吉を呼ぶ令嬢』の噂を笑い飛ばしてくれるようなお屋敷があるはずだと。信じて疑っていなかった)
不吉を呼ぶ令嬢に訪問されたという事実は、もしかしたらエルヴィアンカが思っているより、重いのかもしれない。
「皆様には悪いことを……」
訪問を嫌がられているのだから、謝罪に行くわけにもいかない。
エルヴィアンカはますます自己嫌悪に陥った。
フランチェスカはそんな姉の様子に満足して、踏ん反り返る。
「そうだわ! お姉様さえ良ければ、私のメイドとしてフェルマン伯爵家に入れるよう、お義母様に頼んであげましょうか?」
「ありがとう。けれど就職先は自分の足で探すから、フランチェスカは気にしないで。あなたの嫁ぎ先にご迷惑をかけるわけにはいかないでしょう?」
婚約破棄から社交界での噂の一連の騒動から離れて、新しい人生を歩みだそうとしているのだ。
また渦中に巻き込まれるのを恐れたエルヴィアンカは、やんわりと妹の申し出を断る。
だが、しかし。
「……うっうっ。お姉様はそうやってまた、私の優しさを無下にするのね」
フランチェスカは、演技がかった様子でしくしくと泣き出した。
エルヴィアンカは「えっ」と慌てて顔を青くする。
「違うわ、無下にしているわけではないのっ」
「私はお姉様が可哀想だから、こうして手を差し伸べているのに……! お姉様は私に意地悪を言うばかりで、少しも歩み寄ろうとしてくれないのね」
「フランチェスカ、私は意地悪を言ったわけではなくて、」
「私はこんなに親身になってあげているのに。私のことが憎いから、気遣いを無下にするんでしょう? 私だって、お祖母様が亡くなって悲しいわ。でも、私には幸せな未来が約束されているけれど、……お姉様はなんにもなくて……っ。だから可哀想なお姉様を心配して、こうして……っ」
フランチェスカがはらはらと涙をこぼす。
(お祖母様が亡くなって悲しい……? お祖母様のお見舞いに一度も訪れなかったあなたが、それを言うの……?)
フランチェスカは家に帰省するたびにエルヴィアンカの部屋を漁り、兄に宝飾品をねだるばかりで、お見舞いもせずに学院に帰るのが常だった。
なぜ今までこの妹の本性を見抜けなかったのだろうと、エルヴィアンカは複雑な気持ちで言葉を探す。
けれど今はどんな言葉をかけても、歪曲されてしまう気がした。
「大丈夫だよ、フランチェスカ。エルヴィアンカにも昨日、やっと婚約の話が来たんだ」
お兄様はオロオロした様子を見せた後、フランチェスカを正すことを放棄し、明らかにその場を取り繕うために婚約の話を持ち出す。
急な休学を告げられた時と同じく、エルヴィアンカにとっては再び寝耳に水だった。
「えっ……。お兄様、それは本当ですか?」
「ああ。なんとあのヴィルヘルム公爵閣下からだ」
ジュリアス・ヴィルヘルム公爵。
『最北の楽園』があると言われている、王国の最北端に位置するヴィルヘルム公爵領を治める――冷血な精霊族の末裔。
人間たちはこの国に魔術をもたらした精霊族を称える一方で、人間よりはるかに長い年月を生きる長命な彼らの存在を、ひどく恐れていた。
千年の時を生きる精霊族は魂を奪う、と。
その証拠に、過去ヴィルヘルム公爵家に嫁いだ少女たちは、皆行方不明になっている。
物語にもなっている、有名な話だった。
「うふふふ、まあ! そうなの? お姉様ったら、あの〝人外公爵〟から婚約のお話をいただけるだなんて、良かったじゃない!」
途端に泣き真似をやめたフランチェスカが、心から祝福しているかのような表情をして、ぱちんと両手を合わせる。
「不吉令嬢の噂を気にしないでくれる、ぴったりな嫁ぎ先だわ! おめでとうお姉様、末永くお幸せにね」
フランチェスカはしなをつくって艶やかに色づいた唇に弧を描き、勝ち誇った笑みをエルヴィアンカに向けた。
「……ええ、そうね。ありがとう、フランチェスカ」
エルヴィアンカは凍りついた表情筋を頑張って動かし、口角を持ち上げる。
今までとは違う心細さが胸に渦巻く。
けれども、胸を押さえつけるようにぎゅっと両手を握り込んで、その感情をやり過ごした。