第2話 不吉を呼ぶ令嬢
「正式な婚約破棄が整ったよ。フェルマン伯爵家にはフランチェスカが嫁ぐことになった」
祖母の葬儀から一ヶ月が経った頃。
ソファに座っていた七つ年上の兄、ライナートが言った。
この王国の習わしにおいて、喪が明けるのは二年後とされているが、元婚約者と妹はそれを待たずして婚約をしたらしい。
「なんでも、フランチェスカの悲劇が美談にされているみたいだな。悪女に道を阻まれていた美しき次期伯爵夫妻と、すでに有名だそうだよ。
『喪に服するべき時に婚約を押し進めるとは非常識だ』という批判よりも、『葬儀の場で婚約破棄された令嬢は不吉を呼ぶ』と、そっちばかり強調されて噂になっている」
そう言って、お兄様はため息をつく。
「そうなのですか」
「なんだ? あまり悲しそうじゃないな」
「そんなことよりも、本当に悲しいことがありましたから」
(婚約破棄も、変な噂も悲しいけれど……お祖母様の死にくらべたら、全然悲しくないもの)
まぶたの裏には、しわくちゃの目元を優しく綻ばせる祖母の優しい笑みが浮かぶ。陽だまりのような笑顔を思い出すだけで、エルヴィアンカの胸は痛いほど締め付けられた。
エルヴィアンカの瞳からは、つうっと一筋の涙が静かにこぼれ落ちる。
(五年前にお父様とお母様が突然の馬車事故で亡くなってから、ずっと心に穴が空いている感じがする)
前世の記憶の断片が、じわじわと蘇ってきたのもその時だった。
過労のため二十代後半で死を迎えたOLだった前世は、自分のようで自分ではない感覚であったが、その記憶のおかげで当時十五歳だった少女は少しだけ大人になれた。
けれども、両親を亡くした絶望は大きかった。
その気持ちは、息子夫婦を亡くしたお祖母様も同じだったに違いない。
もともと細かった食がさらに細くなり、どんどん体調を悪くしていったお祖母様は、両親の喪が明ける頃にはとうとうベッドからあまり出られなくなってしまった。
それでも、不幸中の幸いだったのは、お祖母様がベッドの上でならお喋りができたことだろう。
両親亡き後、兄は早急に父の跡を継ぎオディーリア伯爵として頑張っていたが、優しく人の良いところのある彼は足元を見られることが多く、事業は徐々に傾いていった。
多くの資金を領地経営に回し、屋敷で雇っていた使用人はほとんど解雇。
両親と暮らした思い出の詰まった家財道具は、少しずつ質に入れられ始めていた。
そんなぎりぎりの生活の中、兄は祖母以外の家族を広間に集めてこう言った。
『エルヴィアンカ、お前には学院を休学してほしい。お母様やお祖母様の手伝いをよくしていたお前には、家の手伝いに徹してほしいんだ』
『え……っ』
そんなに家が困窮していただなんて、寝耳に水だった。
『二年間の喪が明けただろう? 俺もそろそろクラーラとの結婚を考えている。色々と忙しくなると思うんだ』
クラーラは兄の婚約者だ。彼らはすでに二年間も結婚式を引き延ばしていた。
『だが、使用人を増やすことはできない。フランチェスカは生活魔術がまったく出来ないが、エルヴィアンカは得意だろう?
お前しか適任者がいないんだ。休学届けはもう出してきたから、明日から学院には通わなくていい』
どうやら兄が妹と話し合い、休学の手続きを決断したらしい。
休学手続きは本人しか行えないので、フランチェスカがエルヴィアンカに成り代わり、手続きを済ましてきたのだろう。
(相談してくれていたら、心の準備もできていたのに)
だが、今は兄が伯爵家の主人だ。その決定には従わなくてはいけない。
『……わかりました。私も、お祖母様の体調が心配でしたから』
それに前世の記憶があるからこそ、ここは自分がなんとかしなければと強い責任感を抱かずにはいられない。
出来たばかりの友人たちに挨拶もできずに別れることになってしまったが、エルヴィアンカは入学したての王立魔術学院を休学する決断をした。
事実、その頃はまだメイドが一人いたが、屋敷のことや、これからは兄の妻である若奥様のことで手一杯になるはずの彼女に、体調を崩す日が続いていたお祖母様を任せることはできないと思っていたのだ。
(毎朝「いってきます」をお祖母様に言うのが辛かった。明日からは、もう言わなくていいのね)
急な休学ということで醜聞は避けられない。
しかし、自分が学院にいる間にお祖母様が倒れてしまうのではないかと気が気ではなかったエルヴィアンカにとっては、大好きなお祖母様と過ごす時間の方が重要だった。
(それに一人分の学費を浮かせた方が、家計だけでなくフランチェスカの将来のためにもなるわ)
というのも、妹のフランチェスカには正式な婚約者が当時いなかった。
『私は〝社交界の宝石〟よ? 輝かせ方もしらない、あの田舎伯爵令息はお姉様にあげる。あんな冴えない男が私をエスコートできるはずがないもの。それに私ほどの美しさなら、侯爵家以上の家格の令息と結婚できるはずだわ』
フェルマン伯爵家からオディーリア伯爵家の双子の姉妹のどちらかにと婚約の打診があった際、今は亡きお父様にそう言ったのは十二歳のフランチェスカだ。