第1話 幸せになる資格はないと婚約破棄されました
婚約破棄から始まるお話に憧れて書き始めました。不遇ヒロインが愛されて幸せになるお話です。ゆるふわ設定ですが、どうぞよろしくお願いいたします!
「エルヴィアンカ、お前と結んでいた婚約はこの場をもって破棄する。美しいフランチェスカを妬み、影で虐げ続けていたお前には失望した。――お前のような女は幸せになる資格などない!」
大聖堂で蓋を閉じられた棺を前に、黒の正装に身を包んだ人々が祈りを捧げ終えた時。
突然そんなことを言い出した婚約者に、大切な祖母を弔ったばかりのエルヴィアンカはエメラルドの瞳を大きく見開いた。
「なぜ、そんなことを……今、ここで……?」
エルヴィアンカの心は一瞬にして冷たくなった。
婚約者である伯爵令息が高らかに宣った内容には疑問しかないが、そもそも、祖母を弔う大事な儀式の最中に行うべきことじゃない。それを、なぜ。
しかし、エルヴィアンカの非難は正しく伝わらなかったらしい。
彼は「ハッ」と鼻で笑った。
「なんだその顔は。そんなに驚くようなことか? ここで婚約破棄を告げたのは、フランチェスカの大切なお祖母様にも聞いていただくためだ。俺はフランチェスカと婚約し、我が妻としてフェルマン伯爵家に迎え入れる」
「待ってください、フランチェスカを? どうして、突然……?」
「どうしてもなにも、俺がフランチェスカを愛しているからだ。社交の場にも碌に顔を出さず、学院にも通えないほどの落ちこぼれが、『どうして』? 笑わせるな」
彼はそう言って高圧的な態度で睨みつけてきた。
(あの日、心配しなくてもいいと言ってくれたのは、ルドガー様……あなただったはず)
エルヴィアンカが王立魔術学院を休学し、屋敷で祖母の看病や兄の手伝いをして過ごすと決めた時、十六歳だった彼は確かにそう言った。
『お祖母様の看病をしている間は、社交の場には出なくて良い。休学の理由もわかっているから』と。
それが、一体どうしてこうなってしまったのだろう。
「お祖母様。私、私を誰よりも愛してくれる彼と幸せになるわ。お姉様にいじめられてきた分も、たくさん……たくさん幸せになるわ……!」
双子の妹のフランチェスカはアメジストの瞳からはらはらと涙をこぼしながら、棺の中で眠る祖母に語りかけるかのように、芝居がかった様子で情感たっぷりに言う。
この状況がおかしいことを知る者は、兄以外にもういない。
しかし、五年前に亡くなった両親のあとを継ぎ、現伯爵となった七つ年上の兄は、この場をおさめられる唯一の存在だというのに唖然と立ちつくしているだけで、婚約者やフランチェスカを宥めもしなかった。
「君のお祖母様も、きっと天国で祝福してくれているだろう。虐げられ続けたフランチェスカが、俺と幸せになるのをな」
嗚咽をこらえているのか、フランチェスカの蜂蜜色のやわらかな金髪が小刻みに揺れている。
社交界でも『宝石のように美しい』と有名な伯爵令嬢のその姿に、葬列者たちは心を打たれていた。
「ああ、フランチェスカ。君はなんて健気で慈悲深いんだ。それに比べてエルヴィアンカは」
元婚約者の伯爵令息が放った言葉に、周囲のヒソヒソ声が増す。
本当だわ。社交も碌にせず、王立魔術学院にも通えないほどの落ちこぼれの、意地悪な姉は――と、フランチェスカの学友たちはエルヴィアンカを蔑んだ目で見つめる。
黒いベールに覆われていても美しさが少しも損なわれない妹に比べて、双子の姉の、なんと陰気くさいことか。
あのボロボロの肌はなんだ? 化粧も浮いていて見れた顔じゃない。
金色の髪はバサバサでごわいついて、綺麗に結い上げたつもりかもしれないが箒みたいだ。
美しいフランチェスカ嬢を妬んでいじめているというのは本当だったんだな。
双子だが、姉の方が魔力がなくて落ちこぼれだから学院を辞めざるを得なかったそうだ。
自分のせいなのにフランチェスカ様を妬んでいじめるなんて……なんて、醜い女なのかしら。
古臭いデザインのドレスも相まって老婆にしか見えないな。
ルドガーの言う通り、彼女のような女は幸せになる資格などない。
彼らのほとんど隠す気の無いヒソヒソ声は、エルヴィアンカにもよく聞こえた。
(私は……お祖母様との最後の時間を、大切に生きただけだわ)
三年間、必死だった。
癒術師も手の施しようがないと言った祖母の魔力発作。
魔法薬を飲んでいても発作を起こし意識を失ってしまう祖母の姿は、何度見ても胸が張り裂けそうなほどだった。
没落した我が家にはすでに一人の使用人もいない。
家事を行うかたわら、社交へ向かう兄や義姉、妹のサポートも行ってきた。
睡眠時間も少なく、食事をテーブルについて食べられた日はない。自分になど構っている時間はなかった。
(……それでも、お祖母様が昨日よりは元気になっているように見えるだけで、嬉しかった。愛するお祖母様がこの世からいなくなるのが、怖かった。……だからこそ、必死だった。それだけなのに)
それに、エルヴィアンカが両親からもらったドレスや宝飾品は、ほとんど質に入れられるか、学院で必要だから貸してほしいと言っていたフランチェスカのものになっている。
エルヴィアンカが今身にまとっている喪服のドレスも、お祖母様が両親の葬儀で着た形見だ。
古典的なデザインには伝統的な意匠が凝らしてあり、格式高く繊細な美しさがある。
伝統を重んじるお祖母様が見たら、『似合っているわね』と声をかけてくれただろう。
だが……そんなお祖母様も、もういない。
お祖母様を亡くした深い悲しみと喪失感で満ちた心は、やわらかく脆くなっている。
エルヴィアンカは婚約者や妹、そして参列者たちからナイフのような言葉の数々を向けられ、ベールの中でうつむきそうになった。
しかし。
――『最期は笑顔で見送ってちょうだいな、エルヴィアンカ。わたくしの愛する、大切な大切な可愛い子』
お祖母様の最期の言葉が、エルヴィアンカの心を優しく包みこむ。
(……はい、お祖母様。また、お会いできる日を心から願っております)
風が吹き抜け、黒いベールがふわりと舞い上がる。
エルヴィアンカは毅然とした態度で美しく目を細め、唇に笑みを浮かべて婚約者と妹を見た。
「婚約破棄を受け入れます。どうかお二人とも、お幸せに」
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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