古い魔女の赤い花と新しい魔女の白い花
運河を見下ろす谷にある古城の庭園。雨の少ない地域故に植物は多くはありませんでしたが、それでも彼らは懸命に生きておりました。
青い空と白い雲に映える赤い花が特に多く目立ち、その殆どが上を向いて元気に育っておりました。
ある日、とある若い魔女が古城の傍を通りかかりました。
「ほう……この辺り一帯は雨が少ない筈なのに、繊細な花がよく目立つ。……これは何故にだ?」
その若い魔女は名をハイリンダと言い、若いと言っても既に300歳を超えておりました。
ハイリンダは世界中を旅して周り、ありとあらゆる物や景色を見てきましたが、それでも古城の庭園に咲く赤い花が気になって仕方ありませんでした。
庭園は手入れがされているかのように美しく、まるで誰かが管理しているかのように素晴らしい場所でした。ハイリンダは赤い花の一つを眺め、そっと手に取りました。
「お待ち!」
摘もうと手を引く間際、その手を遮るように一人の老婆が声を荒げました。
ハイリンダが顔を向けると、老婆は杖を突きながらツカツカと厳しい歩調で、ハイリンダの方へと向かって歩いて来ました。
「その花は摘んではならん。早々に立ち去るがいい……!」
「…………」
ハイリンダは無言でその場を立ち去りましたが、近くで見た老婆の顔は血の気が無く、まるで生きる屍が歩いているように見えたのでした。
ハイリンダはそれから暫く古城の近くで様子を見ることにしました。数日過ぎても雨は一向に降る気配が無く、それでも赤い花たちはみずみずしさを保っていたので、ハイリンダはますますその原因を知りたくなったのです。
そして夜、満月の中に一人の影を見たのです。
「……?」
ホウキに跨がるその姿は、正しく魔女そのもの。ハイリンダは正体を探るべく、古城へと近づきました。
満月に映る人物は、跨がるホウキの上に器用に立つと、何やらゴソゴソと始めました。
そして、血が降り始めました。
「──!?」
ハイリンダは庭園に降り注ぐ朱の雨に戸惑いながらも、その出所が夜空に笑う魔女であることに、なんら疑いの余地はありませんでした。
魔女の血は更に赤い花を朱く染めあげ、辺り一面を鮮血の絨毯へと変えてしまいました。
そして血の雨が止むと、満月に映る魔女がゆっくりと降りてきました。その顔には血の気が無く、夜の闇と同化するように、生気が抜け落ちておりました。
「この前の……!!」
「……見られてたのかい……」
それはハイリンダが庭園で出会った老婆でした。
「なぜ──!?」
ハイリンダが息も絶え絶えな老婆の肩を持ちながら問い掛けました。
「……」
しかし老婆は何も答えませんでした。
ハイリンダは目の前に咲いている血に濡れた赤い花に、そっと手を乗せました。すると赤い花が瞬く間に白い花へと変貌しました。
「私も同じ部類の人間よ……種類は違うけどね」
「……ふぅ」
老婆は諦めたように冷たいため息を小さく吐きました。
「ここら一帯は雨が少ない……だから…………」
「この花達の意味は?」
「…………まだ大昔、この城に人が居た頃に、若い庭師が手掛けたこの庭園を……ワシはただ無くしたくなかったんじゃ……」
「そう……彼の事が好きだったのね」
ハイリンダは優しく、母が子に本を読み聞かせるような声で、そう答えました。
「ああ……全てを失っても、それでも彼との思い出だけは失えなかった……」
「私にはまだ分からない感情。それでも、嬉しそうな貴女を見ると、とても幸せ者に見えて仕方ないわ……」
ハイリンダは冷たく冷えた古い魔女を、そっと優しく抱きしめました。そして日が昇り老婆の体を温めるまで、ずっとその手を守り続けました。