吾輩は犬である。名前は…
お、来たな。空から舞い降りてきたわ。
あの黒く大きな翼にタキシード姿。懐かしいな。変わらぬ。
「勇者よ。あれ程言ったのに、やはり迷ったな。全く。私が助言したように、空を飛んでくれば良かったのだ」
「悪い悪い。妻も居たんでね。空は魔力が溜まってるから、連れて行きたくなかったんだ。」
成る程そういうことか。この空は創造神の魔力で満たされておる。地表に近づけば、魔力はほぼないが、上空は濃いからな。
唯の人間であるルーには、あの魔力はキツかろう。
それで陸路を選んだのか。納得。
「ああ。ご挨拶が遅れました。奥方様。私は龍人のジュドーと申します。以後お見知り置きを。」
「ご、ご丁寧にどうも。クェスの妻のルーと言います。よろしくお願いします。」
「流石は勇者だな。これ程美しい奥方が居られたとは。」
二人して頭を下げあっておる。
人と魔物がこうして垣根を越えて話している光景。吾輩が目指したものだ。まさか、吾輩亡き後、勇者によってこの光景を見せられるとはな。
しかしジュドーよ。よく無事であったな。吾輩はそれが嬉しい。
吾輩の側近として、勇者と剣を交えた筈だが、クェス。殺さずにいてくれたのだな。
こやつは魔物でありながら、人の血を引く者。魔物と人の愛の子である。吾輩の理想がこのジュドーであったが、幼き頃は人にも魔にも疎まれ、随分とひどい目にあったそうだ。
無事で何より。
「勇者よ。その腕の中の者は?」
「ああ。わんこだ。これも俺の家族の一人だ。抱っこしてみるか?」
こら。クェス。止めよ。こんな姿になっても吾輩は魔王としてこの国を治めた者。部下に抱っこされては、威厳というものが…。
ジュドーも、まじまじと見るでない。
「何と愛らしく美しく、気品に満ちた生物だ。勇者よ。この種は何というのだ?」
む?
ジュドーよ。中々良い目をしておるではないか。前世の気品がこのような姿になっても溢れてしまうのであろう。
「ただのわんこだよ。魔物の国にはわんこっていないんだっけ?」
「居らぬ。このようなか弱く、儚そうな者は、これまでの魔物の歴史において淘汰されている。」
そうであろうな。吾輩が魔物をまとめてから、魔物は理性と知識を得た。しかしそれまでは本能の赴くままに生きていたのだ。弱い種は消えるのが定め。
「なあ、勇者よ。国に着くまで、このわんこ。私が抱いていても良いか?」
「ああ。可愛いだろう?でも、俺の家族だからな。あげられないぜ、」
「分かっている。しかし、何故かは解らぬが、抱っこしていると、安らぎと、安堵と、懐かしさを感じる。」
「ああ、まだ赤ちゃんだからな。身体中からミルクの匂いがするだろ?何かこの匂い、安心するよな。」
吾輩、ミルク臭いのか。自分では解らなかった。鼻はいい筈なのだろうが…。
くんくん。
「いや、そういうわけではなく、うまく言えぬが、私はこのわんこ、気に入った。」
「それは良かった。さぁ、ジュドー。案内よろしく!」
「ああ。行こう。」
ふむ。ジュドーならこの森でも迷うことはない。一安心だのう。しかしさっきからずっと背中を撫でられておる。何やら照れるではないか。
「勇者よ。このわんこ、名は何というのだ?」
!
そう言えば、吾輩、わんことしか呼ばれておらぬが…。まさか…クェス
「そういえば、拾った時からわんこのこと、わんことしか呼んでないな…。」
「クェス…いつか決めると思ったのに、考えてなかっただけ?」
貴様、名というのは大事なんだぞ。他にわんこがいたら呼ばれても気付かぬだろうが。まぁ、他にわんこ居ないけど…。
「いや、考えるよ。でも今は、まずは魔物の国に着くことだろう?ちゃんとした名前、着いてから考えるよ。」
吾輩の名は…まだ、無い。