吾輩は犬である。
吾輩は犬である。
名前はない。吾輩を世話する男は、吾輩を犬と呼ぶ。確かに犬なので、吾輩もそれで困ることもない。
さて、吾輩には犬となる前の記憶がある。犬として生まれた瞬間から、前世の記憶が残っていた。このような記憶、ない方が良いだろうに。これもまた、神の遊びなのやら。
吾輩は犬である。前世は魔王であった。
聖ニルヴァ暦2051年。吾輩はある一人の人間に敗れ散った。その者は神の加護を受け、精霊王の力を授かり、ただの一人で吾輩に挑んできた。
その者は世界にただ一人。「勇者」と呼ばれる者。吾輩は勇者に敗れ去ったのだ。
吾輩に名は無い。悪魔と手を取り、知恵無く愚かな魔物達に知恵を与え、庇護し、生き方を教えてやった。いつしか魔物が吾輩の周りに集まり、吾輩は奴らに安住を与えてやった。
それは、人間どもから見たら、国とも思えたのだろう。吾輩たちの暮らす地を「魔界」等と呼んでいた。人ならぬ者達が集まる土地が、奴らには脅威であったのであろうな。魔物など、姿形は違えど、人や動物と変わらぬのに。
気が付けば、吾輩は「魔王」と呼ばれていた。たまたま、魔導に精通しておったし、力もあったであろう。哀れな魔物達を従えるには必要なものであったからな。かと言って、悪戯に人の世を責めるつもりも、害成すすもりもなかったのだが。
人々は我らを恐れた。魔物が人を襲うと。魔界が人の世を消し去るつもりだと。
馬鹿を言うな。そんな事に何の意味がある?寧ろ、狩と称して魔物を殺めてきたのは人ではないか。魔物は自らの小さき縄張りを守るために、縄張りに入った者と戦ったに過ぎぬ。人は一人が殺められれば、今度は集団で魔物を蹂躙する。子を守ろうと戦った魔物は討たれ、その子すらも命を奪われた。
そんな世を変えたかっただけだ。そのような魔物を保護し、山奥で静かな暮らしを与えてやろう。人に怯えぬ生を与えよう。吾輩が行ったのは、それだけだ。
だが人と対峙し、気付けば神を敵に回し、いつしか吾輩は、討たれるべき存在になっていたようだ。
そして現れたのがあの男。勇者だ。
吾輩の魔導は、恐らく神をも討てる力はあったであろう。本気になれば、世界を刹那の間に消し去る事も出来る。まあ、そのような意味のない事、やるはずもないが。
だがあの男は強かった。追い返すつもりであったが、本気で戦わねば、勇者には敵わぬと思った。
勇者は、吾輩が禁忌とした魔法をも使いこなし、手にするは恐らく、創造神の力を授かり剣。
存分に戦ったが、敗れた。
無念だったのが、あの魔物達だ。きっと、吾輩が討たれれば、罪なき魔物達が蹂躙される。そう思うと口惜しかった。
その口惜しさからであろうか。残された魔物達の行く末を案じたからであろうか。吾輩は転生し、犬となった。魔導の力はもうない。だが魔物達がどうなったかを知るために、吾輩は産まれたばかりの姿で魔界へと向かった。
しかし、この体では森を越える事もできず、再びの死を覚悟したとき、人に拾われ、こうして飼われている。魔王とも呼ばれた者の行く末が飼い犬とは。情けない事だ。
だが、魔物達の事は分かった。吾輩を討った勇者は、その後で魔界を包む様に結界を張った。
魔物達を封じるためであろう。最初はそう思ったが、違った。如何やら、魔物達が静かに暮らせる様に、人が立ち入らぬ様に、そして何より、神々から魔物達を隠すための結界であった様だ。
勇者は如何やら、吾輩亡き後、魔物達の話を聞いてくれたらしい。そして、魔界が静かに暮らす魔物の集まりであって、決して人に仇成す者でないと言うことを知ってくれたのだ。
何故そこまで吾輩が知ることができたか。簡単である。吾輩を拾った飼い主が勇者だからだ。
何となく書き始めた短編です。
思いついたので、つい書き始めました。
不定期更新になりますが、あまり長くならないとは思いますので、お読みいただけたら幸いです。