あっちゃった
「会っちゃった」
何気ないぽかぽかと気持ちいい日だった。
クラスのある女の子が、ぽつりと呟いた。
「会っちゃった?何に?」
私がそう聞いても、女の子はただひたすらに震えているだけで、こちらを振り向きもしない。相当怖い思いをしたのか、息がいつもより荒っぽくて、目を大きく見開いている。明らかに異常な女の子の様子に、クラスのムードメーカーのハナちゃんが先陣を切って女の子のもとに駆け寄った。
「ね、大丈夫?顔青いよ……?」
女の子はハナちゃんを見ると薄っすらと涙を浮かべて、ぎゅっと抱きついた。ハナちゃんは少し驚いた顔をしたが、すぐにふっと微笑むと、女の子の背中を子供をあやすようにポンポンと撫でる。
お母さんみたいだなぁ。羨ましい。
そんなことを思って、ハナちゃんに続いて私も女の子に駆け寄った。委員長のアカメさんも続いて、震える女の子の頭を撫でると、「それで、何に会ってしまったの?」と陽だまりのような優しい声色で問う。
教室には私を含めその4人しかいなかった。みんな帰ったのか。それとも部活に行ったのか。今考えればそんなに遅い時間ではなかったのに、そんなにも人が少ないのは不自然だったがその時の私にとっては好都合だったのかもしれない。
女の子は徐にみんなの顔を見ながら拙く話し始める。
「わたしね、〈噂〉の屋上で絵を描いていたの。」
「……〈噂〉?」
私が首を傾げると、女の子ははっとしたように説明を加えた。私が噂を知らないということに気づいて、気を使ってくれたのだろう。
「噂って言うのはね、五年前くらいに屋上から飛び降り自殺をしたっていう事件があったよね。あれって、まだどうして自殺したのか分かってないじゃない。
いじめだったとか、家庭環境が悪質だったとかいろいろ推察されているけれど、……それは、その内ひとりの話。」
「……その内?」
アカメさんは眉をひそめた。
私はハァとため息をつく。
あぁその話。もう何度も聞いたわ。いつになったらみんなにこの真実が広まるのかしら。
私は呆れて、女の子に「それで?どういうことなの?」と適当に話を続けるように促す。全く。本当に女の子って噂好きだよね。
女の子はうなずくと、真剣な眼差しで口を開く。
「どうやら自殺した人は、2人いるらしいの。」
ふたりは息を呑んだ。
実はこの学校、過去に自殺が何件か発生している。なかなかに偏差値が高い進学校だが、何かと事件が多く問題ごとも耐えない。
よく廃校にならないなと思う。思えば、事件は発生したとしても、全て大事にはなっていない気がする。表沙汰になっていないものも多い。
この噂の自殺もその事件の中のひとつなのだが、学校側は自殺したのはひとりだけだということを前提に話を進めていた。
と言う事は、だ。
この話が本当ならば、つまりは学校側が嘘をついていたということになる。
「で、でも、なんでその内のもうひとりの子は……」
ふたりともとんでもないことを聞かされて、少々動揺しているようだった。疑心も全くないわけではなさそうだが、真っ向から否定しないのは話している女の子が嘘をつくような子ではないからだろう。
そしてもう一つ。
実は噂の事件の同時期に行方不明になった女の子がいた。深くは追求されていないが、ふたりが否定できないのは、この学校にはそのような思い当たる節もあるからではないだろうか。
女の子は少しうつむいて、話をつづけた。
「いじめられてた子と友達だったから、友達として一緒に自殺したのかもしれないって考察されてるよ」
「――美しい友情だね」
アカメさんはそう言ってから、独り言のようにぽつりと零す。
「……なんて。自身を犠牲にして人を助けることは美徳とされるけれど、相手はそれに責任を感じないのかな?ひょっとしなくてもそれは相手を傷つけることに繋がっちゃうんじゃないかな。」
「……そんなことないよ」
私がそう言うと女の子は笑って、なだめるように「噂だからわかんないけどね」といった。
「でも、だからさ、本当は死にたくなかったその女の子には未練がいっぱい残ってるの。
……例の〈噂〉は、屋上にいると血だらけの少女が、『友達になろ』って話しかけてくるってものだよね。その少女が、実はその自殺した女の子なんじゃないかって。」
「……その話聞いたことあるかも。結構有名だよね。」
ハナちゃんがアカメさんと顔を見合わせて、軽く頷きあう。
「まさか、会っちゃったっていうのは……」
「……うん、信じて、くれないだろうけど」
わたし、会っちゃったんだ、その血だらけの女の子に。
女の子は、蚊が鳴くくらいの小さな声で、呟くように言った。
ハナちゃんは困ったように眉を八にした。アカメさんも似たような反応だ。さすがに彼女の言うことでも、「はいそうですか」と簡単には信じられないみたい。
そりゃそうだろう。血だらけの女なんて見たら、私なんて気絶してしまう。第一、そんなものがこの世に存在していいのか。到底信じられる話ではない。
女の子はみんなのその様子をみて、何かを勝手に納得したようにうなずいた。
「……そういう怪談を友達から聞いたばっかりだったから、幻覚を見ただけかもしれないけどね。」
それはまるで自分に言い聞かせてるみたいだった。落ち着いたかと思われた女の子は、まだ震えていた。
私はなんだか気の毒に思えたけれど、そんなものはこの世に存在しないのだ。女の子の見間違えだという説は、私達の中で確定していた真実だった。
「うん。そうなんじゃないかな。私もよく屋上に行くけど、そんな人なんて見ないから。」
私はそう言って、横目にチラリと女の子を見やった。
たしかに昨日屋上で女の子を見かけたけれど、それはたぶん目の前にいる女の子だ。その子は随分と熱心に絵を描いていたから、間違いないだろう。
「うん……」
「……」
納得できないと言うように、女の子の顔は陰ったままだった。元気だして、と私は肩を叩く。
「だいたい、そんなもの居なかったって思ったほうが気が楽だよ?居たら怖いじゃん。居ないっことでいいんだよ、こういうのは。」
ね、そうでしょ?
ハナちゃんとアカメさんに相槌を求めたときだった。
アカメさんがこっちを見ていた。ハナちゃんとも目が合った。
女の子は目玉が零れ落ちるのではないかというくらいに目を開いていた。
――みんなと初めて目が合った瞬間だった。
「……え」
みんながこっちを見てる……。
見えてるの?私を見てるの……?
「わぁっ」
心が躍りだす。自然に口角が上がっていく。
そう。そうだよ。
こうゆうのが“合う”っていうんだね。
「やっと合ったね」
目を見て話してみたかったんだ、みんなと。だってずっと無視するんだもん。
私の話なんて聞いてはくれなかった。“みんな”と同じように。
それがとてつもなく嫌だったの。辛かったんだ。
だから、さ
「ねぇ、私とお友達になろ……?」
‐fin-