外伝:1 その力は虚偽であるか
それは、日常となんら変わらない日。
しかし、日常とは決定的に違う部分があった。
それは、自室のベッドの上で涙を流す少年が問題であった。
少年の名前は、志田黒人。
「俺は……何で泣いている?」
黒人は、自身が泣いている事がとても不思議でならなかった。
何ら変わりない朝。
だが、何かがおかしい朝。
黒人をとても、懐かしい気分にさせ、そして何よりも不愉快な気分にさせる朝だった。
ふと、部屋を見渡すと、時計の、日付が目に入った。
「4月……20日……?」
ありえない。
と黒人はそう口にした。
それも無理はないだろう。
実際、黒人の側からしてみれば、今日が4月6日、つまり中学の入学式の次の日であるはずなのだから。
20日になっているなんてありえないことなのだ。
「おかしい。俺は、確かに5の夜に寝たはずだ。そして、起きたら20日?嘘だろう?」
時計が壊れでもしたのか。
黒人はそう思ったが、テレビをつけて確認してみても、20日に変わりはなかった。
ずっと寝たきりだったのか?
それはありえない。
15日も寝たきりだったのなら、間違いなく餓死しているはずだ。
人間が何も飲まず食わずで生存できるのは約72時間が限界だったはずだ。
寝たきりで多少はエネルギーが節約されていたとしても、生きていることはおかしい。
それに、排泄物が無いのだ。
これは、間違いなく異常な出来事である。
しかし、黒人は異常に、悪い意味で慣れ過ぎてしまっていた。
「取り敢えず、学校に行ってみるとするか」
黒人は、異常に慣れ過ぎてしまっていたために、考えることを怠ってしまった。
異常など、通常と変わらないと。
そう思ってしまっていたから。
黒人にとっては、異常こそが通常なのだから。
準備を整えた黒人は早速学校へと向かった。
同じ学校へと向かう同級生達に奇異の視線を向けられる事を、不思議に思いつつ、不愉快だったので歩みを速めた。
クラスへ入ると、クラスメイト全員から、まるで化け物でも見るかのような視線を向けられ、黒人は心底不愉快に思った。
(なんだこいつらは?俺がなんかしたのか?)
クラスメイトの側からしてみれば、入学式の次の日から15日もの間登校しなかった少年が突然現れたのだ。
しかも、先生から行方不明になったとの連絡を受けてもいたので、無理もないことだった。
そんな、常に向けられる視線に段々とイライラし始め、家から持ってきていた本を読み、感情を抑えていた時、声が聞こえた。
「あたしさーぁ今月お金無いんだよね」
「私もー」
「優しい恵ちゃんなら、貸してくれるよね?」
「そ、そんな!昨日だって渡したじゃない!もうないよ……」
そこを向いた時、目に映ったのは、3人の女生徒が、1人の女生徒を囲んで金を毟り取っている光景だった。
(嗚呼。人間ってのは本当に愚かで、最低なクズだ。他者の物を強欲に欲しがり、色欲に溺れ、傲慢に振る舞い、怠惰に過ごし、暴食によって動物を無駄に殺し、醜い嫉妬で他社を陥れ、ちょっとしたことですぐに憤怒し、大罪人ばかりじゃないか。)
(あー……本当にイライラする。ただでさえ、不愉快な視線を向けられているというのに、どんどんイライラが増大していく。)
黒人は、人間の醜い部分を常に見て育った為、悪意になりよりも敏感で、何よりも嫌っていた。
「へぇーあんた私達に刃向かうんだ?どうなってもいいんだ?」
「うぅぅぅ……」
そんな黒人が、爆発するのは仕方がないことだった。
「うるせぇな」
「な、なによ!文句でもあるわけ!」
「それがあるんだよ。お前らがうるさくて落ち落ち本も読んでられねぇ。」
「やるなら俺がいないところでやれ。目障りだ。」
これは本心だった。
黒人が不愉快だったのは、人間の大罪そのものではなく、目の前で行われていたからだったのだから。
「何言ってんの?あんた私に向かってそんなこと言っておいてタダで済むとでも思ってるの?」
「あぁ。思っているさ。思っているとも。それが何か?」
「あんた何よ!突然現れて!ヒーロー気取りでもしてるつもり!?はっきり言って鬱陶しいのよ!」
「違うね!俺は断じてヒーローなんて気取ってるわけじゃねぇ。俺はただ、お前が気に入らないんだ」
朝目覚めてから、ずっと溜まっていた鬱憤を晴らすかのように、ドシドシと音を立てつつ女生徒に歩み寄った黒人は、リーダー格と思われる女生徒に向かって、アッパーカットを放った。
その威力は、格闘技を一切やっておらず、まともなご飯を食べてこなかった黒人としては、ありえない程だった。
例え大人の男でも、無防備で受けたなら、脳震盪を起こしても仕方の無いぐらいの、それぐらいの威力だった。
案の定、倒れた女生徒は白目を剥きブクブクと、まるでカニのように泡を吹いていた。
黒人はそんな女生徒を一瞥すると、不愉快そうに鼻を鳴らし、先程とは全く違い、不自然な程静かになった教室で言葉を発した。
「俺はさ、こういうのを見ているとイライラするんだよ。昔っからずっと、そうだった。他者を乏し、陥れ、それによって、自身の優越感を得る。そんな人間の愚かな部分を見せられると、どうしてもイライラが抑えられないんだ」
そう語った黒人に、虐められていた女生徒が近づき、礼を述べたが。
「あ、あの……ありがとう」
「あ?何言ってんのお前。てか誰だよ」
黒人にとっては、いじめられていた側なんて知った事ではなく、むしろお礼を言ってくることが不思議だった。
「うっ……あの……その………」
話しかけただけでしどろもどろになった女生徒に、いや、正確にはその瞳に、何処か懐かしいものを思い出し、一回きりのお節介を焼く事にした。
「俺がやりたくてやったんだ。お前には関係ない。そして、俺が言いたいのはただ一つ。」
「困った時は誰かが助けてくれるなんて思ってんじゃねぇよ。世界はそんなに甘くねぇんだ。自分で何とか出来る程の力を手に入れろ。自分一人でも抵抗出来る力をな。ただ、助けを待っているだけの奴には、誰も何もしてくれねぇぞ?」
何故か、不思議とスラスラ出てきた言葉に黒人自身も驚いたが、それ以上に、女生徒の方が驚いていた。
そして、女生徒は何か納得したかのような表情を浮かべると、そのまま席に戻っていった。
同じく席に戻った黒人だったが、内心では
(やっべぇー ついカッとなってぶん殴っちまった。このままだと良くて退学、悪けりゃ退学か。でもまぁ、スッキリしたしいいか。)
と、そんなことを思っていた。
やはりというか、その日の放課後、黒人は校長室に呼び出され、退学と言い渡されてしまった。
そして、家への帰り道。
「あぁ〜やっちまったなぁー。いきなり退学かよ……そこは停学でも良かったと思うんだがなぁ」
黒人には分からないことだったが、黒人が殴った女生徒の親が、実は結構な立場の人物で、学校へと圧力をかけていたのだ。
そのせいで、普段なら停学で済むところが退学になってしまった。
しかし、当の本人は全く気にしてない様子だった。
むしろ、他に学校を探すのが面倒だと思う程には余裕でいた。
そのせいで面倒ごとに巻き込まれるハメになるのだが。
それは、これからのことを面倒に思いながらも、黒人が歩いていた時だった。
前方に、いじめられていた女生徒と、その様子を影から伺い、今にでも襲いかかろうとしていたリーダー格の少女と、数人の黒服の男を目撃してしまった。
(あーあ。ありゃ完全に逆恨みの復讐だな。人間ってのは本当に醜い生物だ。)
その様子を見た黒人は、たった一回きりにするはずだったお節介の、延長を行うことに決めた。
これは、ただの気まぐれだったのだろう。
しかし、気まぐれによって、1人の少女の命は守られることとなるのだった……。
黒人はわざと足音を鳴らし、その集団に近付いていき、声をかけた。
「おやおや?皆さんお揃いで何をしようとしてらっしゃるので?」
「あ"あ"ん?」
声をかけたと同時に、黒服の1人がこちらを威圧するかのような声を出した。
そんなものに慣れている黒人は意にも介さず、再度質問をした。
「そんな物騒なもん持って、1人の女の子を付け回して、面白いストーカーどもだと俺は思うんだが、お前らは自分達のことどう思ってる?」
「てめぇ……!後悔しやがれ!」
その言葉と共に放たれた拳は、黒人の反応速度を上回り直撃……はしなかった。
黒人にとっては、とても、とても緩慢に感じられたのだ。
難なく避けた黒人は、1つ試したいことを思い出して、この男達で実験することにした。
それは、いつのまにか手に入れていた異能力。
【所有】であった。
(効果は1人1つに限り、全てを、例えどんな物だとしても、1つだけ自分の物として所有する。どんな効果か曖昧だが、限界とかはあんのか?)
「俺は、お前らの命を所有する」
突如、男達は全員糸が切れたかのように倒れ込み、黒人の中に、何かが流れ込んできた。
それは、人の命。魂とでも呼ぶものだった。
「ひっ……今のは……まさか、いのーー」
「所有」
黒人は人間が嫌いだ。
だから、殺すのだって、羽虫を潰すのと同義だった。
何も感じないのだ。
危機感すら一切存在しなかった。
ただ1つだけ存在したのは、自身の異能力があまりにも強力過ぎるため、隠し通す手段をどうするか、という考えしかなかった。
そのため黒人は、例え元クラスメイトであろうとも、無慈悲に殺した。
(片付けるのはめんどくさいしこのままでいいか)
そして黒人は自身が作り出した物言わぬ死体に目もくれず、その場を離れた。
その後、大事件として騒がれることになるがこの時の黒人はまだ知るよしもなかった。
ーーこれは、たった1人の少年が、世界の運命を変えた物語の、ほんの一幕。