夕焼けの二人
空がオレンジ色に染まっていく。
長い影が2本伸びているのを沙子は目の端に入れた。
川に架かる橋は、古びていて錆付いていた。沙子は歩きながら錆に触れ、手に付いた錆を眺めてそのまま口元へ運んだ。隣を歩く凱はその行動を見てぎょっとして、素早く沙子の手を握った。
「何してんの」
「味が知りたかったの」
少年はため息をついた。少女の手をため息と同時に離した。
「信じられない、お前」
「気になるじゃない。気にならないの?」
「なったとしても、舐めたりしないね」
沙子は面白そうに幼馴染を見た。その顔を見て凱は前を向く。
「昔は一緒に何でもしたのに。砂だって一緒に食べたでしょう?」
「それはさ、」
彼はそこまで言って沙子の顔を見た。歩みを止めた彼に合わせて、彼女も止まった。
「何よ、言ってよ」
「やっぱいいや」
「何よ、言っても怒らないから言ってみて」
凱は無視するかのように歩き出した。
「凱!無視して!」
彼はすたすたと歩く。沙子は歩き出した彼の背中を見つめた。こうなったらテコでも動かないのが沙子だった。それを知っていても彼は歩く、沙子を置いて。
「凱!!がーい!」
沙子が呼んでも彼は止まらない。背中に声をかけることを諦めて、少女はその背中を見続けた。沙子は彼の話しが聞きたかった、彼が何を考えたか聞きたかっただけだ。そう思うのに、素直になれない沙子とは違って彼はどんどん成長して沙子を置いていく。
「早く来いよ、沙子」
声が聞こえて、下唇をかみ締めて彼を睨んだ。
「何よ、犬じゃないんだから」
聞こえないように彼女は言った。ゆっくりと歩く。仕方なく歩いているのよ、というのを彼に見せるために。沙子が凱の元へたどり着くまで彼は何も言わずに待っていた。
彼は何も言わずに歩いた。怒りもせず、喋りもせず。
「ねえ、怒ってるの?」
「空が赤いね」
凱が小さく言った。沙子の質問には答えなかった。
「うん、赤いね」
そしてまた凱は黙った。彼の方をちらりと見て彼女は地面に目を落とす。気まずさに視線を動かして、そしてぱっと顔を前に向けた。
「凱、あっちすごい綺麗」
沙子は右側を指差した。
指差した先には沈みかけた太陽があった。太陽は家やビルを飲み込むように落ちていく。沙子と凱は立ち止まってそれを見た。
「すごいね。あそこにある家は、太陽の光の中だね。それってすごいことだよね」
沙子は言って、凱を見た。凱はこちらを見て頷いた。
「あそこにある家だけじゃないよ、ここも光の中だよ」
彼は沙子が指差した方向を見ていたが、振り返って左側を見て、
「ほら、あっちから見たら、ここも真っ赤だ」
そう言って笑った。その笑顔が許しのような気がして、沙子は安心して笑い返した。
「あたしね、ときどき凱を抱きしめたくなる」
沙子は胸がかゆくなったような気持でそう言った。凱は怪訝な顔をしていた。
「変な沙子。寒くておかしくなった?」
「おかしくない。ねえ、さっき何言いかけたの?」
「さっき?なんだっけ」
沙子との会話をすっかり忘れてしまう凱は間抜けに答えた。
「砂の話し」
「砂、砂?ああ、砂ね」
そうつぶやくと、何が面白いのかにやりと笑った。
「あれはさ、お前が一人で食べてたんだよ。俺は止めただけ」
「うそ!」
沙子の記憶では、凱も一緒に怒られていた。そして先ほどの凱の笑い方が気に入らいない。
「ちがうよ!凱も怒られてたでしょ。私覚えてるもん」
「一緒にごめんなさいをしてあげたんだろう?沙子の記憶は都合いいんだから」
「うそ!」
「嘘じゃないよ、おばさんに聞いてみたら?」
からかうように言う彼をふてくされた気持ちで見た。
「そんな、馬鹿な」
「馬鹿はお前だろ」
なんという屈辱、沙子は仁王立ちになって凱の背中を見た。凱は気にした様子もなく歩き続ける。
「沙子、早く帰るよ。おばさんに遅いって怒られるぞ」
「凱が悪いんでしょ、そんな口の利き方して」
「怒られたら一緒に謝ってあげるよ」
こういう時、沙子は思うのだ。
先に歩いてしまっても歩調が緩やかな彼に、本当に抱きついてしまおうかと。
改行のため編集(2024.10.28)