八話 衝撃
8
改めて凄い事を体験してしまった。
まさか、自分の人生の中で七千メートルからのスカイダイビングをするとは思わなかった。
故に思い出し、今更に腰が抜ける。
「何だ、ナオト。男の癖して軟弱者だな」
「う、うるせぇ、こっちとら、まさか人生でスカイダイビングを体験するとは思っていなかったんだよ!!」
空を自由自在に操れるリルに対して、人生の中で標高七千メートルのスカイダイブを実現するとは思ってもいなかった。
お腹に感じる空気圧、眼を見開けない勢いと落下速度に掛かる風圧で息もままならない。
地獄みたいな体験、そうに経験できる者は少ないだろう。
しかし、結論から言おう。
――誰が、好き好んで、あんな事をやろうと思うやつがいる!?
明らかに人為的に創り出された道を辿り、真っ直ぐ北の方角に向けて出発を再開する。
ガタル、それが、この森を抜けた一番近い街の名前だ。
槍と重装備を揃えた龍人の警備兵が門の前で見事な立ち回りで見張っていた。
そして、視線を感じた右の龍人警備兵が声をかける。
「何者だ!」
街の中も厳重に違いない。
「何用にここを通ろうと試みる」
トカゲにも似た濃い緑色の肌と鋭い目つきで睨みつけられる。
「いや~、その……」
考えろ!
一体何が正しい答えなんだ?!
異世界から来た者で、今や他国の現在逃亡中の指名手配犯?
即行に捕まえられてエアリス王国に引き渡されてお終い。
他に口実を考えろ~、考えるんだ!
だが、その時リルが毅然と凛々しい表情のまま、二人の龍人達の前に立った。
第一声を言い放つ。
「私は、リベルター=ベイリル、ビクトリアン王国から逃げてここに辿り着いた。そして、彼は、私の道中で出会ったド素人冒険者のナオトだ。見ての通り彼は、装備も不十分なまま旅に赴き、挙句の果てに餓死寸前な所を私が助けた次第である」
ぷっ、と息を吐く龍人警備兵が馬鹿にしているのは、果たして気のせいだろうか?
「こほん……改めて身分を証明するものはあるか?」
あくまでも警備兵、私情を抑制し、真剣な目で尋ねる。
――ヤバイぞ、ヤバイぞ。リルは知らないけど、俺は身分証明何て持ってないぞ!どうする気だ、リルは!
「じゃあ、これを……」
そう告げるリルは、腰に掛けている剣を手に取り、柄に巻き付いている布を剥ぎ取る。
後ろにいる俺は、その柄に何があるのかはわからないが警備兵の表情は、あまりにも変わり過ぎていた。
眼と口を大きく開き、額からだらだらと冷や汗が滲み出る。
姿勢を改め、右手を額に沿え、敬礼する。
「し、失礼しました!どうぞ、お入り下さい!」
「?」
龍人警備兵の態度の変貌っぷりは明らかにおかしかった。
だが、リルは俺の方へ振り向き、ウィンクし――
「行くぞ、ナオト」
まるで、これから俺が聞こうとしていた問いをはぐらかすように言った。
街中は、賑やかでいろんな人達で溢れかえっていた。
亜人族、人間族、魔族が共に暮らしていた。
だが、見渡す限り亜人族の方が若干多く目立っていた。
エアリス王国のあの街と雰囲気は似ているが、石畳だった地面は普通に土で構成されている。
それが主な違いなのだが――まず、一言。
「リぃ~ルぅ~……」
「ほへ?……はっふ!」
思いっきりに拳骨をかまし、リルは両手で頭を抱える。
「な、何するのよ、ナオト!」
「俺が犯罪者である事実を隠してくれた事に関しては、感謝しているが……言い訳ってもんがあるだろうが!見た目のは、まあ、大目にみてやるよ……だけどな、餓死寸前の俺を舞い降りた天使の如く助けたなどと俺の株を落として、自分の株を上げるような言い分、止めてくれない!!」
「くぅ~、イッタァー。ナオト、貴方、私を殴りし過ぎではないか。それと、ああでもしないと貴方の素性が真っ先に疑われるじゃない。それに、貴方だったらどう言い訳するのよ?!」
涙目で呟くリルに反論できない。
何故なら、口だけが先走り、その先の口実を考えず突っ走っただけに過ぎないからだ。
「ほら、何も言えないじゃない。だったら、通れただけマシだと考えろ、このバカ者が」
未だに頭を抑えたまま蹲っている彼女の言葉が何とも可愛らしく感じるのだろう。
俺は、舌打ちだけしてリルの前を歩き始めた。
街中の空気はほろ甘い香りを漂わせていた。
それは、おそらく市場に売っている多くの野菜や果物のせいなのだろう。
リル曰く、パシフィスト共和国の土地は栄養豊かで、果物や野菜に打って付けの環境らしく、多くの住民は農業を営んでいる。
そして、そのお陰で栽培を執り行う際に、新種の果物を発見し、それらの繁殖を試みる者も少なくはない。
この国の人口の約七割が農業に関わっている。
「へぇ~、こんなに豊かな国なんだ。道を歩いている人達も充実そうな笑みを浮かべて……マジで死ねって感じだな」
「たまに思うのだが、ナオト。時々貴方から出るその毒舌を何とかできないものか?」
全うに生き、全うに働く者――ただただ、だらだらと過ごしたい自分とは相反する存在を見て、全身の力が抜ける感覚に襲われる。
その傍らで呆れた顔で見やるリル。
街を彷徨って五分も経たず、俺はとんでもないものを市場で売っているのを目撃する。
あの瑞々しい艶やかで滑らかな皮、涎が出んばかりに漂わせる甘い香り、それに今でも思い出すだけで忌々しい記憶が蘇る。
「あ、あ、あ、あ、あれ……リル……あれ!」
ぶるぶるに震える手で指差す方向は、どこにでもありそうな果物店。
その指先に誘導されてリルもその方向に視線を向ける。
そして、リルが引き攣った顔でそれを見やる。
「あ~あ、何だ……ナオト、貴方には気の毒としか、掛ける言葉が見つからない……」
哀れむような視線を向け、俺の肩に手を置き、口では言っていないが、というよりもその言葉を知らないリルからは『ドンマイ』、という声が聞こえた気がした。
そして、そのあるものの目の前に進み出て、馴染みあるその触感を覚えながら、店の人が慌てた様子で忠告をする。
「お客さん、あまりその商品はお勧めできませんな~」
客に対して商品を売るのが商売人の仕事の筈のこの果物店。
しかしながら、この店主の行動は真逆だった。
商品を勧めない店主――まあ、何とも滑稽な話だ。
しかし、それには理由がある。
何せ、俺が今手にしている『あるもの』とは、以前エアリス王国のあの街、メイルシュタットで俺が売り捌いたあの紫の物体。
「な、何故、ベノムレムがここで当然のように売ってんだよーーー!!」
叫ぶ。
そう、叫ぶしかないのだ。
犯罪者に至るその元凶――それが堂々と目の前で飾られている。
「見知らぬ顔だね。これは、半人半虫の蜘蛛型、アラクメダが好む果物なんだ。だが、強い毒素を含んでいるために、需要はかなり制限されるのがな……」
店主はその理由を述べる。
アラクメダという半人半虫、その中でも蜘蛛という特徴を持つ。
そして、理由を知った俺は……地べたに両の手を付け……
「不覚……まさか」
「どうしたの、ナオト?」
「いや、ちょっとね。絶望しているんだ……それよりも転移先が……ごにょごにょ……」
小声でそう囁き、最後に大きなため息を吐き出す。
もしも、と思ってしまった。
もしも、あの天空国家に降りずにここでの販売をやっていれば――
「……指名手配にならずになっていたのかもな、それに、夢見ていた絶好の暮らしを満喫していたのだろうな、ははは……もう笑うしかないよ」
「ん?」
声にならない声で囁きながら、隣にいたリルが首を傾げながら疑問系でいた。
けれどそれ以上追求する事はなく、なんとなく――そう、なんとなくだが放っておこうという彼女のそんな気遣いを感じた気がした。
「はぁ~、どこかにリセットボタンはないかな~」
「リセット、ですか?」
「えっと~、そうだな。人生をやり直す素敵なボタンのことだよ」
「何と!ナオトの世界では、そんな高度な時空間魔法を既に習得しているということか!?」
――しまった、まさか、ここまで話に食いつくとは思わなかった。あ~あ、どうやって誤魔化すかな~……
「ま、まぁ~。そんなとこだ……それより、リル――」
誤魔化しきれない。
ならば、強引でも話題を変える方向性で……
「ん?何だ、ナオト」
「妙に身体がダルいんだが。何か知っているか?」
倦怠感を感じるのは、まあ、この町に到着するのに数キロ歩いたっていうのもある、ベノムレムの件で大きなショックもあるだろう。
しかし、それ以外にも身体は疲労を感じて、かなり眠気がする。
一番の謎は、何故無事|(?)にこの町にたどり着いたこともところどころの記憶があいまい且つ欠けていた。
最後に残った記憶では兵士に囲まれて……それからの記憶がぱたりと誰かに無理矢理に引き剥がされたかのように途絶えた。
(あれは、夢だったのだろうか?)
ふと、そう思った。
自分の後ろ姿が見え、兵士達を一網打尽にしていく光景――そう、まるで幽体離脱したような経験だった。
■■■■
意識が朦朧とし、身体には感触はなかった。
浮遊感に浸り、リラックス状態のまま何もかもがどうでもいい、と錯覚してしまう。
――そうだよ、これだ!何もしなくてもいい世界……それが俺の望みだったではないか!そしてそれが叶った。もう身を委ねればいい……なのに、どうして――
どうして、心から喜べないのだろう……?
唐突に起きた、自分の中の異変。
望んだことが叶った、その筈なのに素直に喜べない矛盾。
混乱し、自問自答を繰り返す。
しかし、この場合、返ってくる答えはいつだって『解らない』だった。
自分でも何が不満なのかも解らない。
ただ不快感だけが残り、意識を覚醒するまで至った。
■■■■
宿の手続きを完了し、部屋に突入して早々に俺はドバーンとベッドに飛び込んだ。
延々と感じた一日だったが、視線だけを動かし、窓の外を見るとすっかりと暗くなっていた。
一日の終盤を告げる月の光、一層のこと目を閉じ眠りに落ちたい。
しかし――
「はは~ん、フカフカのベッドだー!!」
ドスン!!
「げふっー!!
二台あるベッドのうちに何故が俺がいるベッドに飛び込んだリル。
直撃されなかったものの、リルが飛び込んだ勢いに反発したベッドが乗っていた俺を床に投げ飛ばした。
「ん?何床で寝てるんだ、ナオト?このフカフカベッドより床を選ぶなんて、変な奴だな♪」
――誰のせいだーー!!
無自覚で人を突き飛ばす天然っぷりを見せるリルであった。
ぐぐぅ~。
「ご飯にしよっか♪」
「はいはい」
空腹の合図を告げる音が部屋に響き、1階にある食堂へと向かった。
豪勢な宿ではないが 、腹いっぱい食える量の食事がテーブル中に並ばれていた。
処理しきれない程の出来事の連続ですっかりと食事のことを忘れていたが、この食事の前には、早く食べたいと身体が勝手に反応して自然と口から涎が垂れる。
「別に我慢しなくてもいいんだよ」
「だ、誰が我慢していないわ!!」
リルの一言で、食欲が限界突破して俺は、飢えた獣のように料理に貪り始めた。
どうも、神田優輝です。
一年以上も放置してしまったこの作品なんですが、不定期ながら続けております。
今後ともよろしくお願いします。
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