七話 契約と呪い
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歪ながらも、その強さは本物。
今のリルでは勝ち目がない事は眼に見えていた。
だから、彼女に取って唯一取れる選択肢は、不本意に等しい事だった。
戦いの意志を感じ取った偽ナオトは、多少の警戒をしているものの、彼の目の前にはまだ数人の衛兵隊が武器を構えながら包囲していた。
剣に戸惑いが生じ、ぶるぶると震える。
圧倒的強者を前に、竦まずにいられるのはもはやよっぽどの勇者か愚者ぐらいだ。
あの衛兵長ですら、何とか抑えようとしていても右手が震えていた。
唯一立ち向かおうとしていた者が一人――リルただ一人だけだった。
(正直、怖い。こんなに強い人相手にするのは……だけど、怯んでいる場合じゃない)
「貴方の魔力回路を開けさせたのは私、なら、貴方の相手をする事、そして、貴方を止めるのは私の義務……ナオト、いや、ナオトを操っている貴様を――覚悟しないさい!!」
「あははは、威勢はよし!だが、止めておけ、リル……今のお前では俺には適わない事をは判っている筈だ。だから、そこで、俺がこいつらを蹴散らすのを待ってろ」
見向きもしない偽ナオトの発言。
そのままリルに背を向け、衛兵隊に視線を送る。
正しいその事実に悔しがるが、それでもリルは一歩も下がらず、寧ろ前に出て、偽ナオトの前に阻んだ。
適わない相手に立ち向かう。
今のこの光景は、宛ら新米冒険者が魔王に挑まんとするように。
だが、震えはなく腰に携えている剣を抜き、その刃を偽ナオトに向ける。
「何のつもりだ、リル……お前は一応に俺を助けた恩人だ。危害を加えるつもりはなかったが……お前がそう望むのなら、仕方あるまい」
「何を言っているんだ……やる気満々な顔をして、この展開を望んでいたのは寧ろ貴様の方だろ」
眼に輝かせるのは、人が本来光らせる金色の光ではなく、闇より黒く光る眼差し。
発言とは真逆な殺気立った表情。
残酷で無慈悲極まりない視線が真っ向に放たれていた。
「ばれたか、でもまあ、それはこいつらを片付けた後だ」
そう言うと、偽ナオトは、今度両手をそれぞれ東と西側にいる衛兵達に翳す。
「【フールラルーマ】」
平行に収縮された風に変化が生じ、黒く染まる。
暴風に近い威力を発揮し、ほぼ全部隊を退けた。
空間が裂けて吸い込まれたかのように消滅していた。
一瞬で命が散る。
無感情に冷徹にその行為を容易く行う。
一切の迷いもなくにだ。
「風と闇魔法の合わせ技を……」
だが、それよりもリルは、偽ナオトが見せ付けた合同魔術に眼を丸くする。
上位の魔術師でも難しいとされている事をいとも簡単遣って退けた。
だがここに疑問が生じる。
魔術に於けるエレメントは、各国の特徴に関連している。
例を挙げるのなら、このエアリス王国は、標高七千メートルもあり、浮遊国として風に特化した魔法を操る。
そして、違う大陸に位置する闇の大陸と命名された『デュンケル大陸』。
そこでは、その名も通りに闇魔法を得意としている。
しかし、得意としているというだけで、別の魔法が使えないという訳ではない。
ただ、扱えづらいという訳であって、二つ以上の魔法を操れるのは千人ともいない。
だが、合同魔術を扱える者は、その十分の一以下とされている。
だが、ここでもう一人誕生する。
その瞬間を目の当たりしていた衛兵隊とリル。
歴史史上初の抉路を成功させ、その上に魔術を初めて行使して合同魔術をも操った者の誕生を。
『馬鹿な、こんな存在があって堪るか』
頭では否定をしようとも目の前の現実が衛兵長の否定を否定する。
(そんな、まさか気づいているのか?)
リルは、疑問を抱かずにはいられなかった。
闇魔法を操った偽ナオトが実践してしまったからだ。
(もうあまり有余はないか……)
実行をするのなら今しかないと言わんばかりの険しい表情を浮かべる。
ばれれば、一環の終わり。
全ての準備が無駄になってしまう。
空間の彼方へと食い尽くされた衛兵隊計十五名は、虚しくそして、形すら残さずに消え去った。
空間を喰らう魔法、フールラルーマ。
暴風で引き起こされた風に空間に歪みを起こさせ、高密度な圧縮点、所謂ブラックホールを引き起こした。
その中で巻き込まれた者らは、巨大な引力の塊に身体を吸い込まれ、高圧エネルギーにより分解された。
その空間に彼の者らの声など聞こえず、彼の者の最期すら見届けられなかった。
そんな相手に勝算を隠し持っているリルは、冷や汗を頬から滴らせる。
チャンスは一度、失敗が許されない場面で、如何様にそれを実行に移せるのかを考えている。
幸いに偽ナオトは己の強さに驕り、どんな手段を使おうが関係なく、相殺できる、或いは上回ると思っている。
故に、そこに突破口が開かれり。
リルは、剣を構えたまま、眼を瞑る。
一切の音を断ち切り、集中を高めた。
(卑怯と思われても構わない。私は、貴方を止められるのなら……それだけで、いい……)
卑怯な手段を使う事になった。
これは、そういう禁じ手、魔法騎士としての誇りを穢す意味を含める術式。
呪の一種に例えられるこの魔法は、掛ける者に隷属の印を刻み、戒めるもの。
「待たせたな、リル……ッッ!!……リル、テメェー、これは一体……?!」
衛兵隊が事の状況に畏怖し、尻尾を巻いて逃走する。
その滑稽な姿を悦に浸っている表情をする偽ナオトは、そのままリルに振り返るのだが――
身体が光の鎖に繋がれ、身動き取れない。
さっきまで悦の表情をしていた偽ナオトは、驚きと怒りの表情とへと転じる。
(例え卑怯だと思われても構わない。これが今私にできる最大で最善の手段なのだから――)
リルは、偽ナオトに手を向け詠唱を始める。
「【星屑を鏤めた無限の光。その中に潜む黒翼の悪魔よ――天高く聳える汝にその力の加護を我に与えたまえ】!」
「リルゥゥ!!こんな鎖程度で俺を封じたつもりか!?」
抵抗する偽ナオトは、腕が引き千切れんばかりに鎖諸共前へと引っ張る。
壮大な魔力を有する彼にその大半を身体能力強化に当てる事もでき、怪力自慢の者の役十倍もの力を発揮する事はできる。
「【汝、その枷を再び与えたもう、ルージュセルターヌ】」
「あっぐ!?」
焼かれる痛みを右頬に感じ取り、偽ナオトは、異様な苦しみを見せる。
「これは、貴方を封じ込める呪術の一種よ。だから、元のナオトに返して」
指で指しながら、リルは、顔を赤く染めていた。
「へへ、人を呪わば穴二つってか……リル、お前も相当来ているだろ、この痛みが」
禁じ手の一種――呪術。
闇魔法を正しく会得せずに扱うと使用後の反動でその呪術も己に返って来る事もある。
「だけど、これで俺を封じ込めたと思うなよ、リル。俺は必ず戻ってくるぞ――いや、待つ必要もねぇか……」
偽ナオトは、身体の力を抜き、脱力状態で鎖の張力が緩み、背中から黒い影が飛び出る。
「折角集めた魔力だったが、まあいい。少しでも力が取り戻せた事を喜ぶべきか……リル!今の所は、引き下がってやるよ。けど、これで終わりと思うなよ」
影が発する声は、重々しい圧力を帯びていた。
何らかの文字にもにた呪印がナオトの右頬に刻まれ、鎖が消え去り、そのまま意識もなく倒れ込んだ。
「ナオト!!」
駆け寄ったリルは、ナオトを抱え上げた。
気を失っているに過ぎないが、もしかしたら影が出で去った時にナオトの精神に多大ない負荷を与えたのかもしれない。
「お願い、目を覚ませ!!」
これでは、今使用した術も無駄になってしまう。
それだけは避けたいリルは、容赦なくナオトの両頬を思いっきり引っ叩いた。
それでも、目覚めないナオトにいよいよ心配するのだが、懸念すべき問題がもう一つある事を思い出す。
「早く逃げないと……追手が……」
尻尾巻いて逃げ去った衛兵部隊は、そのまま逃亡犯を易々と逃がすという自体を避ける為、新たな援軍で迎えるべく街に帰った。
だが、やはりそれは推測でしかなく、確証はない。
しかし、あり得る可能性として捨て置く訳にもいかず、大胆不敵な策に移る。
「ごめんな、ナオト。貴方にはいつも負担を強いている。そして、母様すいません、私母様との約束を果たせなかった事をお許し下さいませ」
一言、無意識のナオトに謝り、また自分の母にも一言謝った。
その後リルは、全く理解できない詠唱を唱えた。
最後の所【フリューゲル・クラフト】
瞬間に、リルの背中から巨大で空色を帯びた翼が生えた。
「行くわよ、ナオト」
天高く、その翼を広げて、リルはエアリス王国を飛び降りた。
■■■■
――……あれ?
気の所為だろうか?
スカイダイビングしている夢を見た。
しかし、その感触は妙にリアルで……特にこのお腹に感じる圧迫感。
口を開ければ全体に広がる空気を掻き集めるかのように目一杯に拾う。
そして、圧倒される空気の流れで、息が――!?
息が出来ねぇーーー!!
そこで、俺は目を覚ます。
「じ、冗談だろうぉぉぉぉぉ!!」
何かの間違いだと誰かに訊こうとも周りには人どころか、足を踏める大地すらなかった。
周りに見えるのは、右に雲、左に雲、下に無限大に広がる海と上には太陽、と一つの影。
「ナオト、私の手に掴まって!」
天に腕を伸ばす。
そして、この状況に至った理由は判らないが、今が人生初のスカイダイビング中って事だけは理解できた。
「本当にすまないってば!」
「は、は、は、い、いや、すまないじゃ済まないだろ、普通ぅ!」
リルは、衛兵の援軍が来ると予想していた。
そして、彼らの追手から遠ざかるべく、エアリス王国を飛び降りようと決意した。
確かに、追手がもし来たのならそれこそ詰んでいたのだろう。
それは、認めよう。
判断は正しかったし、それもそうしたかもしれない。
しかしだ、リルは空を飛べる術式を展開して飛び降り、俺を抱えていたのだが、まさか、くしゃみをする際に抱えていた俺を落っことすとは……
「っぷ!すまないじゃ済まない……って」
「ダジャレじゃねぇんだよーー!!」
特に狙って言わなかった、クソ面白くねぇ”ダジャレ”を言ったが、思いの外リルにはかなり受けたみたいだ。
「それより、この格好何とかできないのか?」
「無茶を言うな、これでも限界なんだ」
正直に言うと、今の状況――リルにお姫様抱っこされている状態でエアリス王国を降下しているのだが、一人の男として、この体勢はかなりプライドに傷を負わせている。
標高七千メートルもあるエアリス王国なのだが、現在の位置は、約半分を越えたのだろうか。
寒い筈なのだが、どうやらここの気温はかなり暖かいようだ。
なので、今でも着ているこの水玉模様のパジャマでも充分なぐらいにいける。
「それより、お前って空も飛べんのな、凄いよ、リル」
急激に顔を赤く染め、リルは――
「そ、そんな事ないよ~」
一向に嬉しいようだ――
「ば、馬鹿、手を離すなぁぁぁぁああっぁああああああ!!」
ここになって、また、照れ隠しのようだったが、一瞬、頭の後ろに手を回すが、その所為で再び俺を落とした。
「あわわわわ、せ、せっセーフ――」
「セーフじゃねぇーーよ!!危うく死ぬ所だったぞ!!」
幸いな事に、地面との距離はそんなになく、落ちた場所が木々でよかった。
お陰でクッション代わりになって致命傷を避ける事ができた。
「イッタァーー、何をするんだよ!」
「いや寧ろこれで済んで良かったと思え!」
「何で私が貴方如きに叱られなきゃいけないんだ」
「当たり前だ!!お前の所為で何回も死に掛けたんだぞ!!」
仕様もない出来事で数千メートルからの転落死。
流石にあれだけの距離で死は免れないだろう。
「それで、ここは一体……?」
周りを見渡せば森に囲まれているが、人的に作られた道に転倒したようだ。
「ここは、エアリス王国の右に位置する国、パシフィスト共和国にある森だ。ここを真っ直ぐ進めば一番近い街、ガタルがあるわ」
リルが指し示す方角は北。
パシフィスト共和国――
名前から察するに共和国、その国を統べる君主は存在しておらず、国民が定めた権力者、所謂代表を選び、国を支える役職。
その国がどうあれ、これで俺の逃亡生活は当面の間は免れるだろう――
期待を胸一杯にし、ここより近隣に位置する街、ガタルを目指した。