8.旅は道連れ③
「ひっ、ひぃぃっ!!」
「ギムレットさん!!下がってて下さい!」
「グギャッ!!」
「キリがないですねっ!水弾!!」
情けない悲鳴を上げながら、御者台から後ろの荷台へと這う様に下がるギムレット。
それを追うように御者台へ上がろうとした一匹のゴブリンを、後ろからアルドがロングソードを振るい、一刀のもとに切り伏せた。
その横からアルドに飛びかかろうとしたゴブリンへ向けて、サミアが魔法で生み出した水の弾丸を打ち出す。
打ち出されたピンポン玉程度の大きさをした水の弾丸は、ゴブリンの側頭部を容易く貫通し、頭に穴の開いたゴブリンは悲鳴を上げる間もなく崩れ落ちた。
1匹見たら10匹いると思え、とはよく言った物で、馬車の周りはグルリとゴブリンに囲まれていた。
もうこいつらゴキブリって言ってもいいよね?
いや、この状況を見渡すと、ぜひその言葉を1匹見たら100匹と訂正していただきたい。
まず、事の発端は、突然のゴブリンの襲来から始まった。
襲来と言うよりは、不意の遭遇と言った所だろうか。
街道を逸れた茂みの中から、5匹のゴブリンが突然飛び出して来た。
此方を最初から目標としていた訳では無さそうで、何やら慌てた様子で突然馬車の進行方向に転げる様に飛び出して来たのだ。
お互いに驚いた様子のまま交戦が始まり、直ぐにその5匹は倒したのだが、問題はその後に起こった。
次はほぼ倍と思われる数のゴブリンが飛び出して来たのだ。
そしてそこからは、出て来たゴブリンを倒し切る前にまた次のゴブリン、また次のゴブリン、と言った感じで次々と現れるもんだからもう嫌になる。
そして現在、見渡す限りのゴブリンに荷馬車は囲まれてしまったという訳だ。
「おっとぉ!危ない!!」
「はっ!このっ……、おらぁっ!!」
荷馬車の屋根の上に陣取ったユーリンの矢が、俺に飛びかかろうとしたゴブリンの一匹の額を貫いた。
俺は正面のゴブリンに向けて右手に持った短剣を振るい、その首元を裂いた後、その隙に右から迫ってくるゴブリンの顔面を、左拳で思い切り殴りつけた。
普段喋る分には、極力丁寧に話す事によって隠せているが、どうも戦闘になると、出る言葉が男っぽくなるなぁ、などと思いながら、淡々とゴブリンを処理していく。
「ふぅっ……、はっ……!」
そして荷馬車の後方ではルルフレアが自身よりも長大なハルバードを軽々と振るい、ゴブリン共を寄せ付ける事無く、危なげない攻防を繰り広げていた。
屋根の上からユーリンが援護を担当し、俺は左側、前方をアルドとサミアが、右側はシルヴィアで、後方はルルフレアが、其々自分の担当場所を守っている。
俺とは荷馬車を間に挟んで反対側の位置にいる為、シルヴィアの姿は見る事で出来なかったが、その反対側から聞こえてくるのは、どの場所よりも多いゴブリンの悲鳴だった。
俺達個々の力量と、相手が弱小のゴブリンという事もあって現在は危なげは無いが、流石にこれ以上長引く事があれば体力的に厳しくなってくるのは目に見えている。
いくらゴブリンが弱いとは言っても、数が多すぎる。
次々と弓に矢を番え、ほぼ一矢の元敵を屠っているユーリンが、周りに戦うみんなへ向けて言葉を発した。
「ねぇ、これちょっと異常じゃない?流石に数はもう打ち止めになったみたいだけど、上から見ると気持ち悪いぐらいいるんだけど!」
「ふっ!はぁっ!!っと!安心しろ!下で見ても十分気持ち悪いぞ!!」
「そういう事じゃなくてっ!!」
「いえ、確かに少し異常ですよ。この数は……、それこそ、話に聞いたゴブリンの大軍勢を彷彿とさせるような……」
サミアの言葉に皆が静まり返り、暫くゴブリンの悲鳴だけが辺りに響く。
その沈黙を破ったのは、シルヴィアだった。
「……ふむ、これは、近くにゴブリンの巣があったと考えられますね。そこをゴブリン食いに襲われて追い立てられた、と」
「あぁ……、薄々そんな気がしたけどさ!いざ言葉に出されると嫌になるなっ!」
「どうすれば……、ギムレットさんだけでも、荷馬車で強行突破させて逃がせますか?」
「それも手ではあるが……」
また沈黙が流れる中、不意に、それは突然現れた。
「グルゥァァァッ!!!」
「ギャッギャァァッ!」
「ギ、ギャァァァッ!!」
何者かの咆哮。
伴うはゴブリンの絶叫。
街道から逸れたほど近い森の中から姿を現したそれは、足元を駆ける一匹のゴブリンを無造作にその巨大な手で掴み、口の中へと放り込んだ。
グチャッグチャッと口の中で咀嚼を繰り返しながら、醜悪な顔がニンマリとした笑顔で歪んだ。
見上げる程デカイその巨躯は、見るからに不格好だと言える。
巨大な顔を短く太い脚で支え、その左右から異様に長い手が生えている。
何だろう、少し古いかもしれないが、パッ〇マンを巨大化させたようなフォルムと言えばいいのだろうか。
毛むくじゃらの赤茶色の体毛が体を覆い、その体、と言っていいのか解らないが、それは殆どが巨大な口と言える程だ。
鼻は無く、白く濁った様な巨大な瞳に、その口には不揃いの鋭い歯。
そしてそいつは、チョロチョロと逃げ惑うゴブリンにチラリと目をやると、無造作にその長い手をブオンッと振るい、今度は二匹のゴブリンがその手の中でもがいていた。
また醜悪な笑顔を浮かべ、アングリと大口を開けたかと思うと、二匹を同時に中へと放り込んだ。
グチャッグチャッと咀嚼音が響く。
ゴブリン達にとっての地獄が、そこに居た。
「ななななっ、なんですか!あれ!」
「なっ、何って、あいつがゴブリンイーター、じゃないのか……?」
ゴブリン達は放心状態で固まり、既に戦い処ではない。
襲い掛かってこない事を確認した俺は、周りのゴブリンを放って御者台を足場にして荷台の屋根へと飛び乗った。
「うわー……、気持ち悪い……」
ポツリと呟く。
俺の呟きに、激しく同意した様に首を縦に振るユーリン。
「おい、あいつ、こっちを見てるぞ」
「……餌がここに、沢山」
「おいおいおいおいっ!まさかっ……」
ルルフレアがぽつりと呟き、それを聞いたアルドが慌てたように御者台に飛び乗った。
「全員!!乗れっ!!逃げるぞっ!!」
その言葉を皮切りに、ゴブリンイーターはその短い脚を遮二無二動かしながら、予想以上のスピードで此方へと向かって駆けだした。
それを見た周りに居るゴブリン達は、放心状態から回復し、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
「ギャギャッ!!」
「ヒギャァァッ!!」
「ギャァァッ!!」
意味不明な叫びを上げながらワラワラと散っていくゴブリン達。
俺とユーリンは屋根から御者台へと飛び降りて座り、周りに居た皆も転がり込む様に荷台の中へと飛び乗った。
「はっ!!行け行け行けっ!!」
急いで馬を出発させるが、前に居る逃げ惑うゴブリン達が邪魔で思う様にスピードが出ない。
「くそがっ!!邪魔だゴブリン共っ!!どけええっ!!」
最早なりふり構っては居られない。
ゴブリンを敷き潰す事も構わず、荷馬車がバランスを崩してガッタンガッタンと揺れる。
そして何とか、前に居たゴブリンの群れを抜けた所で違和感に気づく。
少しの揺れを伴い響く、ドスンッドスンッという音。
後ろの荷台から声が響く。
サミアの声だ。
「スピード上げて下さいっ!!あいつが追ってきてますっ!!」
「っ!?くそっ、餌を追いかけろよ!!なんでこっちに来るんだ!!スピードはこれが限界ですよっ、姐さん!!」
ゴブリンイーターは余程こっちが気になるらしい。
あれほど沢山いた餌を放ってまでこっちを追いかけてくるとは、思いもよらなかった。
俺は御者台から後ろの荷台へと入り、一番後ろに座って後方を眺めているシルヴィアの元へと歩いて行く。
それと同時に、サミアが御者台の方へと向かっていた。
俺はシルヴィアの隣に座り、後ろを見る。
シルヴィアは微笑みを浮かべたまま、俺の方をチラリと見た後、またゴブリンイーターへと視線を戻した。
まだそれなりに離れてはいるが、その姿は目視できる。
心なしかその距離は少しずつ近づいているような気がする。
この状況で笑顔を崩さないとは、シルヴィアはどういう神経をしているんだろうか。
「くふふ……、怖いですか?」
「え?」
笑みは浮かべても、決して零さなかった笑い声を小さく発しながら、視線はゴブリンイーターに向いたまま、俺に問いかける。
怖い?
そう考えて、俺はもう一度後ろから迫ってくるゴブリンイーターを見る。
どうだろう。
俺は今、恐怖を感じているか?
自分の手のひらを見る。
震えは無かった。
「んー……、あんまり、怖くは無い、ですかね?」
「……くふふっ、そうですか」
俺の言葉に、シルヴィアは少し目を見開いた後、楽しそうに笑みを浮かべてそう呟き、また二人は黙る。
少し俺は可笑しいのかもしれない。
前世での俺ならば、確かにこの状況は恐怖して当たり前だ。
しかしどうだろう。
今の俺は恐怖するどころか、少しワクワクしている。
どこの戦闘民族だ!
現実味が無いのだろうか。
そんな事は無いと思いたい。
確かに俺はここで生きていて、ここに確かに存在している筈だ。
しかし、転生してからと言う物、慌てるとか、恐怖、と言った物が驚くほど沸いてこない。
あー、まぁ確かにユーリンとシルヴィアが喧嘩しだしたりした時と、結婚を迫られた時の慌てっぷりは半端じゃなかったと思う。
まぁそれは置いといてだ。
そのほか、襲い来る脅威に対しての恐怖心が今のところ全くと言っていい程ない。
賊に絡まれた時、ゴブリンと戦った時、そして今。
うーむ、まぁ考えても仕方ない。
転生して俺は少し変わってしまったのだろうと納得するしかないのが今の状況だ。
俺は、俺であるが故に、俺なのだ。我思う故に我あり、か?
まぁいい。
そう無理矢理結論づけた所で、シルヴィアがまたふと俺を見た後、近くに居たルルフレアに視線を送る。
それに気づいたルルフレアが訝し気に首を傾げたのを確認し、シルヴィアは告げた。
「貴方たちは冒険者。このまま依頼主を連れて、無事、街まで送り届けて下さい」
「……?勿論そうするつもりだけど……」
「ええ、そうしてください。しかし、このままではいずれ追いつかれるでしょう。そうなればそれは叶いません。ですから……」
そう言葉を続けた後、シルヴィアはスッと立ち上がり、立て掛けてあった刀を手に取る。
「私があいつを止めます」
「え?」
「私は冒険者では無く、用心棒。皆さんを守るのが仕事ですから」
「え、ちょっとまってっ!」
そう言ってニコリと微笑んだシルヴィアは、何の躊躇もなく外へと飛び降りた。
それは余りにも突然の事で、これまでの旅の中で初めて聞くルルフレアの慌てた様な大声に、皆が後ろを振り返った。
降り立ったシルヴィアは、走っている馬車から飛び降りたにも関わらず、まるで静止している馬車から飛び降りたかの様だった。
フワリと羽の様に地面に降り立ち、後方から迫って来ているゴブリンイーターをその場で待つ。
その後ろ姿を見た俺の背筋に、ゾクリとした物が走る。
後から考えてみると、あの時何故そんな行動を取ったのか、良く解らない。
あそこで俺がああすることに、意味なんて無かったのだ。
きっとそれは、本能とか、直感とか、そういう類の物が働いた結果だったのだろうと思う。
もしくは用意された筋書き、カッコつけて言うと、それこそ運命、とか。
俺はその後ろ姿を追う様に、走る荷馬車から飛び出した。
後ろで誰かが、それこそ全員が叫んでいたような気がしたが、もう俺の耳には入らない。
飛び出した俺はゴロリと前転して勢いを殺し、そのまま駆け出す。
あのデカくて、カッコいい背中を、見失う訳には行かない。
早鐘の様に打つ心臓が命じるまま、ワクワクとした気持ちが抑えようもなく沸きだし、笑みが浮かぶ。
全く、本当に、どこの戦闘民族だよ!
暫く前から薄々気付いてはいたんですが……、ギムレットさん、まじで空気ですね……。
まぁしょうがない、かな?
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