空の彼方に豚
「だいぶ溜まってきたな」
ユーキは教会に設置されたブラッドがどれだけ満たされたかを示す砂時計を見つめながらそう呟いた。
田中と冒険をしていた1ヶ月前は3分の1ほどしか満たされていなかったが、田中がいなくなってから1ヶ月で半分以上満たされていた。
このペースで行くと…あと2ヶ月くらいか…。
「どうやら田中は私に迷惑をかけ続けてきたことを随分と反省したようだな」
どんどん満たされていく砂時計を前に神父さんは満足そうに頷いていた。
「ユーキも田中を見習って教会に貢献してみたらどうだ?」
神父さんは親指と人差し指で丸を作りながらユーキにそんなことを言っていた。
「…気が向いたらな」
そう言って神父さんのありがたいお言葉をユーキがスルーしていると、シンがユーキに話しかけてきた。
「ユーキ、お客さんが来てるよ」
呼ばれたユーキが教会の入り口へ振り返ると、セキュリスが立っていた。
「どうやら調査によると、ここで例の萌え豚の消息が途絶えたとか…」
セキュリスに連れられ、マサラの街の1台の自転車が投棄された一角の裏路地にユーキは来ていた。
「…おそらくはこの辺りで壁の判定を抜けてデバックルームに侵入したんだな」
ユーキはそう言って壁になにか異常がないかを念入りに調べ始めた。
そんなユーキにセキュリスはふとこんなことを尋ねた。
「ユーキさんはどうしてそこまで逆さメイドのことを?」
「どういう意味だ?」
「いや、単純にどうしてユーキさんがあの逆さメイドのことをそこまで気にかけているのかなと思って…。一度はたまたま街を救ったとはいえど、彼女は元々この街を破壊しようとしていたやつで、世界に終焉をもたらすものです。そんな彼女をどうしてユーキさんは…」
「…まぁ、たしかにあいつほど悪党が似合うやつもいないわな」
そしてユーキは目の前の壁を調べながら言葉を続けた。
「人の話を聞く耳を持たないし、何かあれば誰かに責任を押し付けるし、口を開けば愚痴か悪口ばっかりだ。思いやりとかそんな感情はこれっぽっちも持ち合わせていないし、人の気持ちにも鈍感だ。おまけに愛想もないし…本当に救いようのないやつだよ」
「じゃあ、どうして?」
「…放って置けないんだよ、あいつのことが」
「放って置けないって…まさか、ユーキさん…」
「なぜならば…」
ユーキは壁を調べる作業を一時中断し、セキュリスの方を振り返りながらはっきりとした声でこう言った。
「あいつは放っておくと大体ろくでもないことをやらかすからだ!!」
「…え?」
思わぬ答えにセキュリスが唖然としているとユーキが堰を切ったように話し始めた。
「思えばあいつがブチ切れてこの国をぶっ壊そうとした時も、俺たちが田中の悪行を放っておいたからああなったわけで…いや、そもそも田中が仲間を平気で殺さなきゃ逆さメイドの悪名も広まらなかっただろうし、あの時だってそうだ!!大体田中を放っておいたことが発端なんだ!!」
ユーキが愚痴るようにそう言って、最後に再三にわたってセキュリスにこう言い放った。
「とにかく!!田中は放っておいちゃろくなことにならないんだよ!!」
そんなユーキの言葉にセキュリスはぽかんとしていた。
そんなセキュリスを尻目に、ユーキは再び壁と向き合い、壁をペタペタと触りながらこんなことを呟いた。
「そういうわけで…心配なんだよ、仲間だから…」
実際、ユーキは田中のことを心配していた。
たしかに田中には愛想も礼儀もないから、特に理由もなくなにも言わずに半年も共に旅して来たパーティを解散したことも田中ならあり得る。
だけど…ユーキ達は半年も旅して来た仲なのだ。その苦しい、ひたすらに苦しい旅路は良くも悪くも何かしらの思い入れを抱くはずだ。少なくともあの田中でも、『解散できて清々した』くらいの感想は抱くはず。そしてもしそうならあの田中なら、パーティを解散する前に俺たちを散々罵倒した挙句、スッキリとした笑顔で別れを告げるはずだ。口を開けば罵倒が飛び出す田中がそんなことをしないで別れるなんて出来るはずがない。
だから、本来ならば田中ならば良くも悪くもパーティを解散する前に何かしらの事を言うはずなのだ。
だけど、今回田中はなにも言わずにユーキ達の元を去った。
あの田中が無言で別れなど、それにはなにかしらの理由があることをユーキは確信していた。
そしてもし…田中が助けを求めているのならば…。
そんなことを考えていたユーキはその後も数時間にわたって壁を調べ続けていた。
「ああ!!わっかんねえよ!!壁抜けなんて…」
数時間にわたって調査を続けていたユーキだが、壁抜けの手がかりも方法も分からず、途方にくれてその場に仰向けに倒れこんだ。
「デバッガーじゃないんだなら分かんねえよ、壁抜けの方法なんて…」
ユーキは空が壊れたことによって真上に広がる地底のような光景を見つめながらそうぼやいた。
そしてユーキは一度冷静になるために壁抜けのことを忘れて、他のことを考えることにした。
「…そういえば、田中が言ってたっけ?空が壊れてZ軸がループしてるとか…」
ユーキは眼前に広がる奇怪な光景を見つめながらそう呟いた。
「…もし、ここの壁を抜けた近くにデバッグルームがあるとしたら…」
そう言ってユーキは天空の地底を指差し、それらしきものを探し始めた…が、地面しか見えないのでそんなものが分かるはずもなく、途方にくれていた。
「こんな場所に誰がいるかと思えば…そなた、確かユーキというものだろう?」
そんなユーキにある一人の美少女が上空から話しかけて来た。
「久しいな、我を覚えているか?」
そう言ってその翼をはためかせてユーキのそばに降り立ったのは竜王バハムートであった。
「なんだ、誰かと思えばバハムートか…久しぶり、まだこの街にいたんだな」
「この街が気に入ってな…一応、そなたにも礼を申しておこう。ありがとう、こうして自由にいられるのはそなたらのおかげだ」
「いや、俺はなにもしてないよ。お礼は田中に言ってくれ」
「そうしたいのは山々なのだが…その本人がいなくてはな…」
「まぁ、それもそうだな」
「時にユーキよ、シンから耳にしたのだが、お主、逆さメイドを探しているとかなんとか…」
「あぁ、そうだが?」
「我に手伝えることはないか?我も逆さメイドに直接あってお礼を申したい」
「出来ること、か…。まぁ、バハムートみたいに空を飛べるならいくらかやりようは…」
そう言いかけたユーキの脳裏にある閃きが浮かんだ。
ある閃きに気がついたユーキはその場からガバッと起き上がり、こんなことをバハムートに尋ねた。
「なぁ、バハムート。あんたは俺を乗せてどこまで高く飛べる?」
「愚問だな。我は元々は偉大なる竜の王ぞ?。人一人くらいなら乗せてもどこまでも飛べるわ」
「だったら頼みがある、バハムート。俺を連れてあそこまで飛んでくれ」
ユーキはそう言って空に浮かぶ地底を指差した。
「…それが、逆さメイドへと繋がる手がかりとなるのか?」
「確証はない。だけど…可能性はある」
「可能性、か…。良かろう、可能性があるなら十分だ。そなたを連れて行ってやろう…空の彼方まで」
そう言ってバハムートはユーキの服を雑に掴み、空へと舞い上がった。
「バハムート!!連れて行ってくれるのは嬉しいけど…もうちょっと丁寧に連れて行ってくれると嬉しいんだけど!?」
「黙れ。こうしてやってるだけでも光栄に思うのだな。…それよりも、あそこに何かあるのか?」
バハムートは頭上の地底を見上げながらユーキに尋ねた。
「何かあるっていうか、多分あそこからなら行けるんだ!!。ゲームの壁っていうのは外側から内側に行くのは無理でも、内側から外側に行くのは簡単に出来たりするんだ!!。それと同様に、地面だって上からは無理でも下からは簡単に抜けられるはずだ!!」
「ほう、面白い。ならばその身をもって試してみることにしよう!!」
ユーキの考えを聞いたバハムートは躊躇いもなくスピードを維持したまま地底という名の天井へと突っ込んで行った。
目の前に迫る天井に激突する寸前、ユーキは思わず目を閉じてしまったが、危惧していた激突による衝撃はなく、天井を抜けた彼らは暗闇に包まれていた。
天井を抜けたのを確認したバハムートは掴んでいたユーキの服を離した。
バハムートに捨てられたユーキは重力に従って落ちるが、すぐ下にあった地面をすり抜けて落ちることはなく、その場にストンと着地した。
「そなたの言う通り、下からは抜けられても上からは抜けられないようだな」
「俺で試すなよ」
ユーキで安否を確認したバハムートはそっと地面へと降り立った。
「それで…ここはどこじゃ?」
「さあね。適当に突っ込んだからどこだかさっぱりだ。…ここがたまたまデバッグルームだといいんだが…」
そう行ってユーキが辺りを見渡すと、遠くに光っているなにかがあるのを見つけた。
「…行ってみよう」
本来ならば行けるはずもない場所に降り立ったユーキは警戒しつつその光へと歩いて行った。
慎重に歩みを進めるユーキはその光へと近づき、やがてその光が何台かのパソコンのディスプレイから漏れる光であることに気が付き、同時にそのディスプレイの前に誰かが座っていることに気がついた。
次第にカタカタとキーボードをいじる音も聞こえるようになったが、椅子の背もたれに隠れてパソコンを操作する誰かは見えなかった。
もしここがデバッグルームならば…あそこにいるのはおそらく、萌え豚とか言うやつ…。
田中が曰く、その名にぴったりなデブだとか…。
「お前が…萌え豚か?」
そう考えたユーキは思い切って声をかけてみた。
ユーキの声に気がついたのか、椅子からはこんな声が漏れてきた。
「フヒヒwその通りですぞw」
人をおちょくったような不快な口調であることは想定内であったが…その声色はユーキが予想したものとは違い、甲高く可愛らしいものであった。
ユーキがそんな思わぬ声に驚いていると、その声の主は座っていた椅子をクルリと半回転させ、その姿をユーキに見せつけた。
ユーキの目に飛び込んで来たのは田中から聞いていた気持ちの悪いブタ…などではなく、可愛らしい美少女の姿であった。
「フヒヒwようやく来たんですかwユーキ氏w」
「…本当にお前が萌え豚なのか?」
「フヒヒwその通りでござるよw」
「えっと…悪い、話が見えてこない。田中からはお前が汚らしいブタと聞いていたから…」
「フヒヒw流石田中ちゃんw罵倒キモティーですwありがとうございますw」
茶化すようにそう答える萌え豚を前に、思わずユーキは言葉に詰まってしまった。
なぜ美少女の姿なのか?。なぜ自分の名前を知っているのか?。なぜ自分がここに来ることが分かっていたのか?。…聞きたいことがありすぎてユーキは固まってしまったのだ。
「えっと…それで、なんで姿が聞いていたのとは違うんだ?」
とりあえず一つずつ疑問点を片付けるためにユーキは萌え豚にそんな質問をぶつけた。
そんなユーキの質問に萌え豚はさも当然のようにこう答えた。
「そりゃあ、このゲームのNPCは全員女の子に変更したんですからww某も例に漏れずに美少女に変更されただけですぞw」
「あぁ、そういえばNPCは全員女の子に変更されたんだったな…って、んん!?」
「どうしましたw?ユーキ氏w」
「じゃ、じゃあお前…まさかプレイヤーじゃなくて、NPCなのか!?」
「フヒヒwそうでござるよw」
確かにこのゲームは一見しただけではプレイヤーがNPCかは判定出来ないため、萌え豚がNPCである可能性は否定出来なかったが、まさかNPCがゲームのデバッグルームに侵入するとは思わず、ユーキは頭を混乱させていた。
「NPCがゲームのデバッグルームに?。一体なぜ?。予めそういう風に誰かからプログラムされた存在なのか?。だとしたらなぜ?。運営陣の仕業?。だが、こいつは運営が意図していたはずのデスゲームを潰した張本人?。だとしたらなにが目的なんだ?」
理解不能な点が多過ぎて困惑するユーキに、萌え豚はこんなことを言ってきた。
「あまりここに長居されても困るのでwwそろそろ帰ってもらいますぞww」
そう言って萌え豚がキーボードをカタカタといじると、ユーキとバハムートの目の前に妖精のナビィが現れた。
「ナ、ナビィ!!これは一体どういうことだ!?」
しかし、ナビィはユーキの質問に答えることなく、転移魔法の『ポート』を唱えた。
ナビィのポートによりバハムートとユーキは光の柱に捕えられた。
「教えてくれ!!ナビィ!!。一体なにが起きているんだ!?田中はなにに巻き込まれているんだ!?」
必死にそう叫ぶユーキに、ナビィはただ一言だけこう言った。
「全ての謎は…妖精の国に隠されてます」
そしてその直後、ユーキ達は光の柱に吸い込まれるようにどこかへと消えてしまった。
「フヒwフヒヒヒヒwww」
ディスプレイの明かりだけが照らすデバッグルームには萌え豚の不快な笑い声だけが残されていたとさ。