死に慣れるという恐怖
「着いたぁぁぁぁ!!!!」
世界に復讐を果たすべく、その下準備のためにメタル湖に訪れた田中一行の目の前に、太陽の光を反射し、眩いほどに輝く湖が広がっていた。
「生きてたどり着けた…奇跡だ…」
メタル湖を一望できる高台でシンはそう一言呟いた。
メタル湖へ向かう道中、森で巨大な蜘蛛に襲われたり、トラップに引っかかったり、食事の大切さに気付いたりと右往左往したが、一行は誰一人として欠けることなく命からがらメタル湖にたどり着いたのだ。
「で、たどり着いたはいいが…これからどうするんだ?」
メタル湖に連れてこられた理由を聞いていなかったユーキは田中にその意図を問いただした。
「ここに来た理由は、プラチナフィッシュから鏡鱗という素材を採取するためだ」
「プラチナフィッシュって確かアレだろ…この前来た時に俺たちを食ったやつだろ?」
「あー…あのデカイ魚かぁ…口の中臭かったんだよね」
全滅を受け入れ、全滅と心身一体となった彼らにとって死は拒むべき悲劇では無く、寄り添い支え合って生きて誰よりも頼りになるかけがえのないパートナーだが、臭いのは嫌なのであまり相手にはしたくはなかった。
「でも、プラチナフィッシュってこのメタル湖の中に住んでるんだよな?。この湖って上を歩いても沈まないほど浮力の高い液体で出来てるんだろ?。そんな湖を潜るなんて出来ないだろうし…そもそもどうやって戦うんだ?」
非常に密度の高い液体金属で満たされているこの湖を潜ることは困難…そんな中、田中はニヤリと笑って言った。
「そりゃあ魚を捕るな…これだろ?」
そう言って田中は何か細長いものを両手で持って引き上げるジェスチャーをしてみせた。
数分後…太い縄に縛られたシンがメタル湖の上にポツンと突っ立っていた。
そしてシンを縛り付けた縄の端を持って田中は陸地でその時を今か今かと待っていた。
「…え?なにこれは?」
まるでこれから人の兄をエサに魚を釣りますよと言わんばかりの光景に雪は唖然としていた。
「なにって…見て分からないか?」
田中は平然とそう問い返した。
「…え?まさかお兄ちゃんをエサにそのプラチナフィッシュを釣り上げようとしてる?」
「その通りだが…なにか?」
他人の犠牲を物ともしない田中の態度に雪は驚愕した。
マサラの街に滞在していた時に逆さメイドの噂については散々耳にしていた雪…だがしかし、噂だけで人を判断するのは軽率だと考えていた雪はそういう噂を抜きにしてこの旅路の中で田中を評価していたつもりであった。
だが、それでいてなお、この短期間で田中が正真正銘のクズの中のクズであることを雪も思い知らされていた。
本当にこの人がマオやゴブリーを救ってくれた人なのか?。
本当にこんな奴がバハムートから彼女らを守ってくれるのか?。
本当にこのクズはレベル99に見合う強さがあるのか?。
雪の中でそんな田中に対する疑いが渦巻いていた。
しかし…今は餌にされている兄をどうにかするべき、田中の本性の言及については後回しだ。
そう考えた雪は湖面に突っ立っている兄に声をかけて、駆け寄ろうとした。
「待ってて!お兄ちゃん!今助けに…」
「来るな!!雪」
しかし、シンはそう言って駆け寄ろうとする雪を止めた。
「雪…改めて振り返ってみると、僕はこの世界で雪に再会してから何一つとして兄らしい一面を見せられてはいないと思うんだ」
「え?急にどうしたの?。…たしかにここで再会してからお兄ちゃんには幻滅しかさせられてないけど…」
スライムを意地汚く貪る姿から始まり、スライムに美味しさの概念を狂わされた姿まで、この世界で雪が見てきた兄の姿はみっともないどころではなく、絶縁をして兄妹の袂を木っ端微塵に切り刻みたいレベルの醜態ばかりであった。
「たまには兄らしいカッコいい姿を雪に見せたいんだ。だから…ここは僕に任せてくれ」
「…お兄ちゃん」
決意に満ちた瞳でそう語るシンの姿はどことなく昔大好きであった兄の姿を彷彿とさせた。
もしかしたら、今のお兄ちゃんならなにかやってくれるのではないか…自信に満ち溢れた兄の姿に、雪は愚かにもそんなことを期待してしまっていた。
「僕はゲームもよくわからないし、レベルも未だに1しかない。…だけど、そんな僕でもできることはあるんだ。だから僕は自分が出来ることを必ずやり遂げてみせる。だから見ていてくれ、雪…」
太陽の光を反射して、これでもかと眩く輝く水面に立ち、胸を張って堂々とシンは雪にこう言い放った。
「どうか見ていてくれ。僕の勇敢な…餌っぷりを!!」
そしてそれと同時に湖面から巨大な魚が天高く飛び上がり、シンという餌に食らいつき、一瞬の断末魔を残してシンごと水中へと消えて行った。
「頑張るベクトルが違うよ!!お兄ちゃん!!」
兄の盛大なる餌っぷりを目の当たりにした雪がそう叫ぶのを尻目に、田中は獲物がかかったことに目をギラつかせ、人に迷惑をかけることしか出来ない自慢の腕力でシンにくくりつけていたロープを引っ張り上げた。
神をも穿つ傍迷惑な怪力にたかだか一介の巨大魚に過ぎないプラチナフィッシュが叶うはずもなく、シンに食いついたプラチナフィッシュは水面から飛び上がり、天高く舞い上がった。
「おら!!今だ!!焼き払え!!」
「今助けるからね!!お兄ちゃん!!『ブラストバーニング』!!」
雪の放った魔法により、プラチナフィッシュは炎の渦に包まれ、花火のように散り、鏡のように光を反射する巨大な鱗といつもの棺桶が空から降り注いだ。
田中は犠牲となった仲間など目もくれずに真っ先に鏡鱗に駆け寄り、手にとって宣言した。
「鏡鱗、ゲットだぜ!!」
そんなことをぬかして鏡鱗を天に掲げる田中をよそに、雪は変わり果てた姿となった血を分けた兄へと駆け寄り、心配そうに兄に声をかけていた。
そうやって兄の死を憐れみ、慌てふためく雪に田中は冷めた声で一言呟いた。
「たかが死んだくらいでギャーギャー騒ぎやがって…」
「『たかが死んだくらい』ってなにそれ?。お兄ちゃんはパーティのために身体を張ったんだよ?」
田中の言葉に引っ掛かりを覚えた雪が険しい顔をしながら田中にそう問い出した。
「どうせすぐ蘇るんだからそんなの大したことじゃないだろ」
「そんなことないよ!。たしかに蘇るけど…それでも死ぬときは凄く怖いんだよ!?不安になるんだよ!?」
一般冒険者の雪はそんな一般論を展開したが…そんな言葉が田中に響くはずもなく…。
「どれだけ怖くても、不安でも…一万回も死ねば慣れる」
一般人には到底到達し得ないほどの全滅回数を経験してきた田中に、もはや死を恐れるなどという概念は無かった。
そんな田中に雪は真に迫る声で話しはじめた。
「でも私にとって本当に怖いのは、死に慣れてしまうことなんだよ。生物として当然備わっているはずの本能が欠けて薄れて無くなっていく…私はそんな感覚にこの上ない恐怖を感じる。まるで…自分が生物じゃなくなっていく気がして…」
真剣にそう語る雪に、田中はため息混じりに口を開いた。
「はぁ…どうでもいい」
「どうでもいいって、そんな…」
「だってどうせ私は、生き物ですら無いからな」
田中のそんな言葉が雪にはどこか投げやりに聞こえた。
「…生き物ですら無い?それってどういう意味なの?」
「どういう意味もなにも、現実世界の私の身体はすでに死んでるんだよ。だから私は生き物ですら無いっていうだけだ」
「…なにそれ、現実世界の身体が無いって…それじゃあまるで…」
サラッと衝撃的な事実を突きつけられた雪は話を消化しきれず、口をぽかんとしていた。
だが、そんな雪を尻目に田中は軽々しくこう説き伏せた。
「まぁ、それでもこうしていれてるから別に大したことじゃ無いからいいけどさ」
どこか投げやりにも思えるそんな田中の言葉に、思わず雪は声を荒げて叫んでしまった。
「た、大したことないわけないじゃん!!」
突然怒鳴りだした雪に田中達がキョトンとしていると、雪が語り始めた。
「大したことなわけないじゃん!!だって…不安にならない!?。確かにそれでもこうしていられるなら今は大丈夫かもしれないけど…いつかなにかの拍子に消えてしまうんじゃないかって不安になるよ!!。身体っていう確かな拠り所も無ければ…帰る場所がなければ…少なくとも私は、不安になっちゃうよ…押しつぶされそうになるくらいに…」
懸命にそう語る雪に田中は躊躇いがちにただ一言、こんなことを呟いた。
「…そうならないために、こうして復讐してんだよ」
そして二人に背を向け、遠くにそびえ立つ山を見上げながらいつもの調子で言った。
「さぁ、いつまでもこんなところで油売ってらんない。次はあの山…イージス山脈の山頂の反響する空に行くぞ。…やることはまだまだ山積みなんだ。だからさっさと行くぞ。そして…さっさとこの世界に復讐しよう」
田中達の復讐の旅路はまだまだ続く。