この一撃は鯖をも穿つ一撃
田中達が束の間のささやかな…本当にささやかなご馳走を頬張る本人達的には幸せなひと時を過ごしていたが、そんなささやかな…本当にささやかな幸せと呼べるかどうかも怪しいひと時ですら神は田中達に許してはくれなかった。
星と月だけが照らす夜の草原の闇に紛れて、逆さメイドを付け狙うものが田中達一行の元にやってきたのだ。
「…こんな時に呑気に晩餐とは…良いご身分ね」
そんな招かざる来客に一行は焼いたスライムさんを大事そうに抱えながら逃げ出そうとした。
「逃がさない…まだ全然殺し足りないから…」
そう言ってメルが田中達を追いかけようとしたその時、田中のペラペラな影となった魔王がメルの前に立ちはだかった。
「小鬼の娘よ、今この場だけはこやつらの食事の邪魔をせんでやってくれるか?」
「…なに?。あなたもしかして魔王?。…随分可愛らしい見た目になったね」
「なんとでも言うがいい。だが、今この場だけは手を出さないでやってくれ」
「なに?器が変わってもしかして丸くなったの?。情けない、あなたそれでも魔王なの?。魔王なら魔王らしく…モンスターならモンスターらしくあるべきじゃない?」
「別に我は魔王としてのプライドを捨てたわけではないし、正直なところこやつらがどうなったところで知ったこっちゃない。今だってどうやって身体を乗っ取ってやろうかと虎視眈々と狙っておる。だがな…魔王もモンスターも冒険者も勇者も抜きにして、ただ一人のキャラクターとしてお願いする。どうか…どうかせめて…この食事だけは邪魔しないでやってくれ…」
いくら残虐無慈悲を極め、かつては魔の王と呼ばれた氷のように凍てついた心を持っていても、食事と呼ぶにはあまりにも粗末なサバトを目の当たりにしてしまった魔王はせめてこんな些細な幸せのような何かくらいは守られて欲しいと切に願ってしまったのだ。
「知らない。わたしには関係ない」
だが、そんな魔王を蹴り飛ばしてメルは田中へと一歩詰め寄った。
しかし、蹴り飛ばされた魔王は再びメルの前に立ちはだかり、頭を下げた。
「頼む!!せめてこいつらの食事だけは好きにさせてやってくれ!!」
「…ふざけないでよ。マオの身体にいた時はマオのことなんて気にも留めなかったくせに…私があなたのお願いなんて聞くわけないでしょ!!」
そう言ってメルは再び魔王を蹴り飛ばした。
「…むしろそんなに邪魔されたくないなら台無しにしたくなって来たわ。…まぁ、それでもこの程度じゃお母さんの仇にはちっとも届かないけどね!!」
そんな怒りを露わにしながらメルはゆっくりと田中達へと詰め寄って来た。
田中達がたじろいでいると、魔王が田中に話しかけて来た。
「仕方がない、田中。今だけ我の力をお前に貸してやろう」
「あ?どういう風の吹き回しだ?」
「いいからそれで少しでも逃げられる確率を上げるんだ!!そしてせめて晩御飯だけでも幸せに過ごしてくれ!!」
そう言うと魔王は田中の身体の中に入り込んだ。
すると夜空に浮かぶ月が外側から徐々に紅くなり、月と田中の瞳を紅く染め上げた。
魔王の力を覚醒させたことによって田中のステータスは4倍に跳ね上げられたが、所詮は雀の涙、どの道勝ち目が無いと判断した田中一行は焼きスライムを大事に抱えたまま我先にと逃げ出した。
「いいね、お母さんも逃げ回ってジワジワと殺されたし…鬼ごっこも乙ね」
メルは不気味に笑いながら田中を執拗に追いかけ始めた。
田中も必死に逃げ回るがDEXがたった4しかない田中が逃げられるはずもなく、その距離は徐々に詰められていた。
「くそ、このままじゃ…」
田中が後ろから追いかけてくるメルへと振り返りながら走っていると、田中達はドンっと何かにぶつかった。
「なんだ!?」
目の前を振り返るが、そこには壁らしきものは見当たらなかった。
だが、不思議なことに見えない壁に仕切られているかのように何かにぶつかって前に進めないのだ。
「どういうことなの!?」
「ここから先はエリア外だ…」
田中達がぶつかった見えない壁はエリアの境界線であった。このゲームはエリアが無限に広がっているというわけではなく、エリア外判定の壁によって境界が設けられているのだ。
「つまり行き止まりってことかよ!?」
全員が狼狽えていると、田中がプルプルと震え出し、そして大きな声で叫んだ。
「どいつもこいつも…私の邪魔ばっかりしやがってええええええええ!!!!!!!!」
それと同時に田中は目の前の壁判定に向かって攻撃を始めた。
レベル99、STR999、おまけに魔王の力によってステータスがERRORまで跳ね上げられた田中が放つ一撃は神の鉄槌を凌駕する一撃。
あまりにも強すぎる威力に世界がまるで時が止まったかのようにスローになり、その光景をみていたものはそのあまりの威力に頭の中で走馬灯のように記憶が流れるだろう。
だがしかし、いくら攻撃力が高くてもシステムを超えることはできず、エリア外判定の壁は微動だにしなかった。
「邪魔をするなあああああああ!!!!!!!」
それでも田中は何度も攻撃し、その度に世界の時を止めては物凄い威力をぶつける。
だが、この壁判定はそんな攻撃で壊れることはない。
棺桶と同じでどんな攻撃でもそれは壊すことが出来ないのだ。
田中だってそれを重々承知している。
それでも何かの奇跡が起きないかという期待とただの憂さ晴らしのために何度も何度も全力で殴り続けた。
だけど、もちろんそれでも壁は壊れない。
どんなに高い威力を誇ろうが目の前に存在する壁には傷一つつけられないのだ…そう、『壁』には…。
話は少し変わるが、田中の攻撃を真横で見ていたユーキはあることに気がついた。
魔王の力を覚醒させた田中が攻撃するたびに時が止まったかのような感覚に陥る現象…始めはいわゆる死ぬ間際に見る走馬灯と呼ばれる類のものだと考えていたが…どうやら違うようだ。
田中が攻撃するたびに世界が止まったかのようにスローモーションになる理由…おそらくそれは田中の強すぎる攻撃によって発生したド派手なエフェクトを演出するためや、超広範囲に広がる攻撃の威力を処理するためにサーバーが膨大な情報を計算し、通信するために時間を要するため。つまるところ…ただの処理オチである。
だが、魔王の力によってもはや予想外のERRORまで跳ね上がった田中の攻撃による情報量は甚大なものであり、一発でも処理オチが発生するほどのものを彼女は今、何度も何度も容赦なく叩き込んでいる。
それによって発生する情報を処理するためにサーバーはかつてないほどのフル稼働を強いられ、そしてとうとう計算処理の限界を超え…
その結果…ゲームのサーバーがダウンした。
突然、全てのプレイヤーが何もない暗闇に投げ出された。
唐突な出来事にプレイヤーが狼狽している最中、サーバーは全力で復旧作業を始め、プレイヤー達の視界に少しずつ元の世界の姿が映り始めた。
しかし、一度に一瞬で元に戻すことはできないのか、目の前に映る世界はいびつに歪んでいた。
かろうじて側に田中とシンがいることを認識したユーキは同時に、自分達を追い詰めていた目の前にあるはずのエリア外判定の壁が消えていることに気がついた。…おそらくはこの判定も復旧している最中なのだろう。
全ての状況を察したわけではないが、目の前に逃げ道が出来たなら進まない理由などなく…3人はとうとう行けるはずもないエリア外のエリアに侵入してしまった。
そしてそのままメルを振り切るために3人が所構わず走っていると、ようやく完全にサーバーが復旧出来たのか、視界がクリアに映るようになった。
「…ここはどこだ?」
それと同時に3人は自分達が何もない暗闇に閉じ込められていることに気がついた。
「どうやら…エリア外に来てしまったようだ」
「エリア外って大丈夫なのか?…元の場所に戻れるのかよ」
「案ずるな。全滅すればいつでも戻れる」
「そっか、それなら安心だ」
伝家の宝刀デスルーラに絶大なる信頼を寄せている彼らは自分達の状況を特に気にすることなく安心することが出来た。
「しかし…まさかこんな形でエリア外に出ることになるとは…」
「ねぇ、あっちなんか光ってるけど?」
シンが指差した先にはたしかに暗闇の中で光る一筋の光が射していた。
「…せっかくだ、エリア外探検と洒落込みますか」
「まぁ、そうだな。今は帰るよりもここにいた方が安全だろうし…」
正常なエリアでは今もなお田中を探してメルが徘徊しているであろうし、3人はとりあえずその光に向かって歩き出した。
やがて暗闇のトンネルを抜けると3人を眩しい光が包み込んだ。
暗闇の中にいたせいで光に慣れていない目がようやくその輝きに順応した時、彼らの目の前には街が広がっていた。
ただ街と言っても、このゲームの世界で見られるような中世の頃のような街並みではない。
もっともっと慣れ親しんだ街並み…つまりは現代日本で見られるような普通の住宅街がそこには広がっていたのだ。
「…なんだ?ここ」
見慣れた街並みと言っても、ユーキ達以外に人の姿や動く物も見当たらず、周りの話し声や騒音や生活音さえも聞こえない無音な住宅街はどこか不気味に映っていた。
そんな中、田中が驚いたように口を開いた。
「間違いない…ここ、私の町だ」
「どういうことだ?」
「間違いないよ。ここは…私が生まれ育った町だよ」
人の影もない無音な静かな街で新しい物語が幕を開けようとしていた。