魔王よ、ようこそ泥船へ
「そういえば、魔王って今どうなってんだ?」
魔王によって壊滅したマサラの復興が進む中、ユーキは田中にふとそんなことをぶつけた。
「どういうことだ?」
「いま魔王は田中の中に封印されているんだろ?。急に目覚めて暴れたりしないのかっていう話だ」
DEXは相変わらずのゴミみたいな値ではあるが、STRはもうやばいことになっているため、魔王が目覚めて再び暴れられでもすれば、人に危害を及ぼさずとも、あたりの建築物は壊滅してしまい、迷惑極まりないので、その対策のためにユーキはその辺のことを把握しておきたかったのだ。
「その辺は問題ない。魔王はいま私の中でただひたすらになぜか泣き続けてるだけだからな。…まったく、いくら私の中に入れてもらえて嬉しいからって延々と泣かれると迷惑なんだよなぁ」
「…心中お察しするぜ、魔王さんよ」
「まぁ、なんにしても主導権は私にあるから勝手に暴れる心配はないだろうな」
田中がそんなことを言っていると、田中の影が突然動き出し、人の形をした薄っぺらい黒い紙のように空間へ起き上がって声を発し始めた。
「どうして…どうしてこうなってしまったんだ…」
その影は諦めに満ちた声で延々とそう嘆いていた。
「もっと素直に喜べよ、照れ屋な奴だ」
そんな影に田中はなんの悪びれる様子もなくそんなことを口にしていた。
「どこをどうしたらそんな生き地獄を喜べるっていうんだよ?」
「女の子に取り憑くのはご褒美だっていうのは世の常識だと昔教わったからな」
「誰だよ、そんな歪んだ世の常を田中に叩き込んだ元凶は」
自信満々な田中の発言にユーキは呆れ混じりにそんなことを口にした。
「っていうか…なんか魔王さん影になってるけど大丈夫なのか?。逃げたりしないのか?」
「安心しろ。私の影として外に出ていても、私との融合が解けたわけではない。言うなればこれは犬に首輪をつけて散歩させてるみたいなものだ」
「この魔王である我が…犬扱い…」
そう言って田中の影はシュンっとうなだれた。
「どうやらこれは君とどこまでも旅する(強制)RPGに新たな仲間が出来たみたいですね」
ナビィが感心しながらそんなことを口にした。
「どうやらそのようだな。…ようこそ、俺たちのパーティへ」
そういうユーキの声は魔王に対する同情に満ちていた。
「だ、だがしかし…いくらこの身体がポンコツとはいえど仮にもレベルは99…うまく使えばこんな身体だって…」
独り言のようにそう呟く魔王に田中はドスを効かせた声で悪態ついた。
「あっ?誰がポンコツだ?」
「す、すみませんでした!!」
宿主の田中に対してよっぽどトラウマでも植え付けられたのか、薄っぺらい影となった魔王は光の速度で土下座をかました。
そして恐る恐る低姿勢のまま進言し始めた。
「仮にもレベルは99なのですから、どうにかして攻撃が当たるようになれば戦えるようになるのでは…」
そんな風に魔王が小さな希望を見出していると、ユーキが呆れ顔でこんな反論をした。
「はぁ、これだから新人は…何にもわかっちゃいねえ」
まるで志の高い新生社会人に現実の厳しさを諭すかのようにユーキはそんなことを口にして、さらに一言付け加えた。
「俺にもそんな青臭いこと言っていた時期があったなぁ…」
ユーキのどこか遠くを見つめるような目にはもはや希望の光など宿していなかった。
「じゃ、じゃあ一体これからどうするというのだ?。まさか本当に一生このままというわけじゃ…」
未だに田中一行に希望が残されていると信じて疑わない魔王に田中が絶望に満ちた眼差しを向けてこう言った。
「魔王よ…もう私達にはすがる藁すら残されていないのだよ」
「で、でもDEXさえ上がれば少しはまともに…」
「ふっ…魔王さんよ、俺たちがそんなことすら試してないとでも思ってるのか?」
あるはずもない藁にすがろうとする魔王にユーキは失笑混じりにそんな言葉を吐き捨てた。
「…どういう意味だ?」
「俺たちが、この詰んだ現状を抜け出すためになにもしてないとでも思っているのか?。そんなわけないだろ?。したさ、色々試みたさ、出来ることを全てやったさ。どんなに辛くても、苦しくても、現状を脱却するために諦めずに旅を続けたさ。…そして…その結果がこれだ」
「その結果が…これだと?」
「そう、この詰み状態から抜け出すために努力を積み重ねて早半年…その間俺たちは……なんの成果も得られていない。そう、なに一つとして前に進めていない」
「そんな…馬鹿な…。半年もあって…成果がゼロだと…」
改めて魔王は悪質極まりない欠陥住宅に越して来たのだと自覚した。
「そういうわけだ。…希望など、早めに捨てることだな」
魔王をそう言って諭す二人の瞳には光などまるで宿っていなかった。
おそらく二人が言っていることは本当のこと…あまりにも酷い詰み状態に半年も無駄にしたのも納得できる。
…しかし…それでも魔王は希望にすがっていたいのだ。
「な、ならば…セブンスジュエルである必中のルビーさえ手に入れてしまえば…」
そんな魔王の独り言のような呟きに田中とユーキは顔を見合わせ、笑ってみせた。
「ははは、セブンスジュエルだってよ、そんな伝説の宝石がおいそれと手に入るとでも思ってんのかなねぇ?」
「これだから新人は…うちのパーティに入るっていうならもう少し常識を身に付けてから発言して欲しいもんだ」
その後、やれやれといった感じに田中が説明し始めた。
「もちろん私達だって必死のルビーを手に入れようと奮闘したさ。そのために何百、何千…いや、何万と数え切れないほどの全滅を積み重ねたさ。だけどな…それでももう必死のルビーはどっかの誰かに渡っちまったんだよ。もう所在さえ分からないし、どうしようもないんだよ」
「いや、我は必中のルビーの所在はわかるぞ」
「…なに?」
魔王の思わぬ発言に田中は食い付いた。
「必中のルビーはいまは勇者の…ゴブリンリーダーが持っておる。ほら、我と国王達と共に戦った中に少年がいただろう?。…そいつが必中のルビーを持ってる」
「そういえばあの戦いにショタが混じっていたな…どっかで見たことあると思ったら、始まりの洞窟であったチュートリアルボスだったのか。随分とたくましくなってて分からなかった」
ユーキはまだ希望に満ち溢れていた頃の旅路を思い浮かべ、ゴブリンリーダーと自分達の成長度合いの差にひっそりと涙を流した。
「そいつらなら確かこの前病院で見かけたな…ちょっと会って交渉してみるか?」
「いや、交渉出来るものもないし、脅して奪った方が…」
二人がそんな話をしていると二人に向かって『ああー!!』と大声を上げるのが聞こえてきた。
二人が振り返ると、そこには都合よく渦中のゴブリーが立っていた。
「あ、あなたは…あの時の!!」
ゴブリーは田中に向かってそんな声を上げて羨望の眼差しで見つめていた。
「…これは…飛んで火に入る夏の虫ってやつか?」
「なんか知らないがカモがネギしょってきてやって来た感じだな」
予期せぬゴブリンリーダーとの再会にユーキと田中がそんなことを口にして、どうやって必中のルビーを手に入れるか考えていると、ゴブリーが田中に向かってこんな話を始めた。
「その節はありがとうございました!!。あなたのおかげで今もこうして自由に旅できています!!」
そう言って深々とお辞儀するゴブリーを前に、二人は目を丸くして顔を見合わせた。
「え?なに?なんかお礼言われることやったっけ?田中」
「うーん…心当たりはない」
ゴブリーは元々はチュートリアルボスとして始まりの洞窟に閉じ込められていた存在、しかし田中の迷惑極まりないので一撃によって始まりの洞窟は哀れにも崩れ去り、結果として自分を閉じ込める檻が壊されたゴブリーは旅に出ることが出来たのだ。
しかし、そんなことを知るよしもない田中とユーキは頭を働かせて考えたが答えが出ず、困惑していた。
「一体なんでお礼を言われてるんだが…」
「まぁ、私の美しさに思わずお礼を言いたくなったんでしょ。殊勝な心がけだな」
「田中…あれだけのことがあってその自意識過剰なとこ治ってないのかよ…」
そうこうしていると、ゴブリーは田中の格好を見てこんなことを尋ねた。
「もしかして…あなたがあの有名人の逆さメイドさんなんですか?」
「ふふ、まぁ…何を隠そう、この私が巷で噂の逆さメイドさ」
田中は自慢げにそう語るが、相変わらず巷での逆さメイドはただの汚名である。
だが、ゴブリーは逆さメイドと知っても顔色変えることなく、むしろキラキラとした目で田中を見つめ、そして口を開いた。
「じゃ、じゃあ…あなたが魔王からマオを助けてくれたんですね!?。本当に重ね重ねありがとうございます!!。もう…なんでお礼を言っていいのやら…」
なにやらよく分からないが田中に随分と恩義を感じているゴブリーの様子を見て、二人は再び顔を見合わせて話し合いを始めた。
「なんか知らねえけど、田中にすっげえ恩があるらしいぞ?。…こいつが必中のルビーを持ってんだろ?。もしかしたら頼めばくれるんじゃあ…」
「頼んでみる価値はあるな。…ダメなら殺して奪い取ろう」
「いや、それは流石に早計すぎる…っていうか、多分勝てないだろ」
二人は話し合いを終え、再びゴブリーへと向き合い、ユーキがこんな話をしてみた。
「なんでお礼を言えばいいか分からないなら…感謝の形を物で示したらどうかな?」
ユーキは表面上は笑顔を取り繕いながら厚かましいことを口にした。
「も、物でですか…でも、僕そんな大層なものは持ってないですし…」
「いいから身ぐるみ全部置いてけよ、ガキ」
「待て!田中!。本性現すのはもうちょっとだけ待て!」
悪名高き逆さメイドの本性を晒すまいとユーキが声を上げて田中の声を遮った。
そしてユーキは田中が痺れを切らす前に早期決着をつけるため、単刀直入にゴブリーに問いただした。
「実は俺たち、必中のルビーっていうセブンスジュエルを探してるんだけど、君は持ってたりしない?」
「…え?。一応、持ってるには持ってますけど…」
そう言ってゴブリーは躊躇い気味に首にかけた必中のルビーを取り出した。
「よし、そいつを置いていけば命だけは助けてやろう」
「待て!田中!。もう少し本性をオブラートに包め!!」
魔王よりも魔王らしい発言を連発する田中をユーキはそう言って制した。
そしてユーキは両手を合わせてゴブリーにお願いをした。
「頼む、その必中のルビーを田中に譲ってくれないか?。そうすれば田中も喜ぶんだが…」
「…必中のルビーをですか…」
ゴブリーは躊躇い気味にそう呟いた。
必中のルビーがただの便利なアイテムであったなら恩人である田中に譲ってもいいとゴブリーは考えていた。
だが、それは出来ない。それもそのはず、必中のルビーは知識のサファイアと共にアイとファイから譲り受けたもの。その際に二人の魂である二つの宝石を離れ離れにはさせないとアイとファイに約束したのだ。
友との約束を破るようなことは出来ないのだ。
しかし、目の前にいるのはレベル99の最強のプレイヤー。ゴブリーはその本性を知らないが、一応はあの魔王でさえも支配し、表向きにはこの世界で最も強いと見なされている人物だ。
だからこの人に必中のルビーと知識のサファイアを譲れば、自分達が持っているよりも他から奪われる確率は低くなる。
友との約束を果たすためにはこの人に二つとも譲ってしまうのが一番…ゴブリーはそう考えていた。
「…分かりました。お譲りします」
胸に提げた必中のルビーを握り締めながらゴブリーはそう口にした。
このゲームが始まって以来、ずっと探し求め、念願であった必中のルビーの思わぬ入手に田中とユーキが驚いていた最中、ゴブリーがこんな言葉を付け加えた。
「ただし、条件があります」
「…条件?」
「いいからさっさとよこせよ!!ぶっ殺されたいのか!?!?」
「はーい、ドードー…抑えて抑えて…」
喉から手が出るほど欲しがっている必中のルビーを目の前に本性が隠しきれない田中をユーキは獰猛な獣をあやすかのように落ち着かせてみせた。
「…条件っていうのは?!
「難しい条件ではないんです。僕の仲間が知識のサファイアっていうセブンスジュエルを持っているんで、それも一緒に貰って欲しいんです」
「…え?いいのか?」
思わぬところから伝説のアイテムがもう一つ手に入るという棚からぼた餅どころか棚から石油が湧いて出るような旨すぎる話にユーキは戸惑いすら覚えた。
「はい。それで、条件っていうのはその二つのセブンスジュエルを離れ離れにさせないこと…要するに、誰にも譲ったり、奪われたりさせないで欲しいってことなんです。必ず二人を一緒に守ってあげると約束して欲しいんです」
「は?当たり前だろ?。この世の全ては私の物だ。誰にも渡すわけないだろ?」
「そう言ってくれてよかった…あなたなら安心して渡せます」
田中の本性が意図することなく役に立ったことにユーキは心の中でガッツポーズを決めた。
「それじゃあ僕について来てくれませんか?。知識のサファイアを持ってる仲間は病院でまだ眠っているんですが…たぶんもうすぐ眼を覚ますんで、そうしたら話をして譲ってもらうように説得します。…多分了承してくれると思うんで、目が醒めるまで待ってもらえませんか?」
「あ?これ以上待てるわけないだろ?。いいからそれをさっさと…」
「はい、抑えて抑えて…」
千載一遇のチャンスを台無しにしないためにも、ユーキは全力で田中を抑えつつ、知識のサファイアをもつメタルゴブリンの元へと向かうのだった。
普段は全く役に立たない田中…それどころかどこまでも下へ下へと人の足を引っ張ることしか出来ないクズの中のクズの粗大ゴミの方がまだ環境に優しいゴミ以下の存在ではあるが、彼女の行いが思わぬところで役に立ったことにユーキは『神様も粋な計らいをするなぁ』と感心し、これから始まるはずの新しいまともな冒険に心を馳せていた。
だが、彼らは改めて思い知らされることになるだろう。
神の粋な計らいというのは大抵、悪い方向に働くことを…。