この一杯の水を飲む勇気があったなら
モブ回
冒険者の始まりの町であるマサラ城、その一角にある酒場は今日も盛り上がりを見せていた。
「それじゃあ…今日も仕事お疲れ様でした!!カンパーイ!!」
「カンパーイ!!」
仕事終わりに酒場にやって来たのか、彼らは各々祝杯を掲げて疲れを酒で癒し、憩いの場を謳歌していた。
やがて酒も回り始めたのか、酒場はさらに盛り上がりを見せ、そのうち席の垣根を超え、色んな人が入り混じり交流を広めていた。
そんな酒場の一席で、ひとりのプレイヤーがふとこんな言葉を口にした。
「それにしても…このゲームの世界にやって来てそろそろ半年くらい経つ頃だな」
そんなつぶやきを耳にした他の冒険者も考え深く口を開いた。
「そっか、もう半年もたつのか…」
「現実の世界でも半年経ったのかなぁ…」
プレイヤーの一人がふと呟いた言葉に、他のプレイヤーが反応してこんなことを訪ねて来た。
「なぁ、ちょっと聞きたかったんだけどさ…お前らって、現実の世界に戻りたいって思うか?」
「…当たり前だろ?」
「家族とか友達とか、心配してるかもしれないしな」
「本当にそう思うのか?。現実の世界に戻りたいって思うのか?」
「な、なんだよ、何が言いたいんだよ?」
「だって考えてみろよ。この世界と現実の世界の時間の流れが同じかどうかは分かんないけど、おそらく現実の世界も数ヶ月の時が流れていると思うんだ。その間、俺たちは何をやってたと思う?。おそらくはただ寝てただけ。俺らからしてみれば剣と魔法の世界で生きていたかもしれないけど、他の奴らからしたら俺たちは本当にただ寝てるだけなんだ。半年もただ寝てたとしたらどうなる?。冷静に考えて、半年も何もせずに寝てたとしたら、私生活に何かしら支障が出るはずだ。仕事や学業にも遅れが出る、身体的にも衰え痩せ細っているだろう。…それでもお前らは本当に元の世界に戻りたいと思うのか?。元の世界に戻った俺たちに、居場所はあると思うのか?元の世界に戻って、『やっぱりゲームの世界にいた方がよかった』と思わない自信はあるのか?」
彼の質問に、先ほどまで盛り上がっていた酒場はお通屋のように静まり返った。
そんなしんみりとした空気の中、彼は畳み掛けるように話を続けた。
「おそらく、現実の俺たちの体は病院かどっかの施設で延命治療を受けているはずだ。だからこうして半年もこのゲームの世界でなんの支障もなく生きられているんだと思う。…これだけの大規模な事件なんだ、おそらくその治療には国か企業からの支援の下で成り立っていると思う。だけど、一度現実の世界に戻ってしまえば俺たちへの支援はなにも無くなっちまう。要するに、このままダラダラとこのゲームを続ければ、俺たちの身体の安否は保障され続けるってわけだ」
「それは…つまり養ってくれるってことですか?」
「そういうことだ。この先一生養い続けてくれるかっていう保証はないとはいえど…それでもお前らは元の世界に戻りたいって思うか?」
そんな彼の質問に、胸を張って答えることが出来る者はいなかった。
「で、でもさ、元の世界には家族や友人が待ってるんだぜ?。会いたいって思わないのか?」
「確かに、会いたくないって言ったら嘘になる。…でもさ、正直なところそんな寂しいとは思わないんだ。だってさ、この世界には家族はいないけど……お前らがいるじゃねえか」
彼は恥ずかしげにそう言ってそっぽ向いてしまった。
そんな彼の言葉を聞いた他のプレイヤーも恥ずかしそうに顔をそらしながら各々口を開いた。
「な、なに気恥ずかしいこと言ってんだよ。ば、馬鹿じゃねえのか。……ほら、残った唐揚げでも食えよ」
「そ、そうだよ。べ、別に野郎にそんなこと言われても嬉しくなんかないんだからね、……グラスが空だぞ、なんか頼めよ…奢ってやるからさ」
「お前ら…」
さりげない優しさが彼の胸を熱くさせていると、他の冒険者も恥ずかしげに彼に言葉をかけた。
「し、仕方ねえから俺もお前が満足するまでこのゲームに付き合ってやるよ。…べ、別にあんたのためなんかじゃないんだからね」
「ま、まぁ、俺も別にもう少しくらいこのゲームを続けてもいいと思ってるし、次いでだから俺も付き合ってやるよ。だ、だからって別にあんたのことなんか好きじゃないんだからね、勘違いしないでね」
「お前ら…やっぱ最高だよ。…よっしゃあ!!今日は俺の奢りだ!!たらふく飲んじまいな!!」
そして酒場は堰を切ったように再び盛り上がり始めたとさ。
数時間後…。
「この半年、色々あったよなぁ。冒険に出て、早々に諦めて、町で定職について、仕事して酒飲んで、仕事して酒飲んで…あと仕事して酒飲んだりとかしたかな?」
「…やべぇ、現実世界と大差ねえ」
「俺ら、何しにこのゲームの世界にやって来たんだっけ?」
剣と魔法の世界でも似たような日々を繰り返す人生を振り返り、彼らは憂鬱な気分になっていた。
「で、でも仕方ねえだろ?。普通に冒険に出て、敵と戦闘しても戦果よりも消費の方が大きくて赤字になるし、全滅して全財産を失うリスクも高いし…だったらこの街でこうやって安定した暮らしを続けた方が…」
「そうだよな。冒険に出て全財産を失って酒場で惨めに水しか飲めないような奴らにはなりたくないし…」
「そ、そうだよな。そんな生活してるやつよりはよっぽど俺たちの方がマシだよな」
先ほどまでの盛り上がりの勢いがなくなり、次第に場は静かになって行く中でそんな風に彼らが慰め合っていると、プレイヤーの一人がふとこんなことを語り始めた。
「今までの人生、学校に通ったり、社会に出て仕事したりしてて思ってたんだよ。別に仕事とか勉強が嫌なわけじゃねえんだ、辛いこともあるけどそれなりに楽しんでやって来れた。でも、休日終わり、日曜日の夕方になるといずれ来る月曜日が憂鬱になることが俺は嫌だった。…それの何が一番嫌かって…この先一生、そんな思いをし続けなきゃいけないのかって考えちゃうことなんだよなぁ…」
そんな1人の発言を、他の冒険者達は俯きながら聞いていた。
そんな彼らにトドメを刺すかのように、彼は口を開いてこんなことを訪ねて来た。
「なぁ、俺たちはこの世界に来て、そんな憂鬱を払拭出来てるか?」
酒場は再び、お通屋のように静まり返った。
そんなしんみりとした空気の中、彼は言葉を続けた。
「時々、ふと考えちまうんだ。今のこの安定した生活を捨て去って、冒険に出かければ…そんな思いをしなくて済むんじゃないかって…。日々の人生を、明日を待ち焦がれながら生きられるんじゃないかって…そんなしょうもないこと考えちまうんだよ」
次第に彼はしめやかに涙を流しながら語り始めた。
「この剣と魔法の世界に来れば、俺はそうやって明日を待ち焦がれながら日々を生きられるって思ってたんだよ。でも、違ったんだ。別に剣と魔法の世界なんかじゃなくても、冒険に出かけることはできるんだ。現実の世界でも旅し切れないくらいの広い世界で冒険は出来るんだ。でも冒険に出かけなかったのは、リスクがあるから…もちろんそういう理由もある。でも、このゲームの世界でのリスクってなんだ?。お金を失うことか?生活を失うことか?。そんなものに守るほどの価値があるのか!?こんな程々の生活はしがみついてでも守りたいものなのか?。違う、そうじゃないんだ!本当はリスクなんてたかが知れてるんだ!!。本当に怖いのは…全てを失った後、敗北者として後ろ指さされることなんだ。こうやって酒場に訪れても水しか頼めなくて肩身がせまい思いするのが嫌なんだ。胸を張って生きられなくなるのが嫌なんだ!!お前らに顔向け出来なくなるのが嫌なんだ!!だから俺は捨てられないんだ!!ゲームの世界でも、こんなチンケな生活を捨てられずにいるんだ!!」
溢れる涙とともに彼は心中に溜め込んだ想いを吐き出し、そして最後にこんな言葉を口にした。
「だから、俺に本当に必要だったのは、剣と魔法なんかじゃない。俺が本当に必要だったのは例えどんなに卑しくても、ここで一杯の水を笑って飲み干す勇気だったんだよ」
そんな胸の内を打ち明けた彼は机に突っ伏すように涙を流し始めた。
他のプレイヤーも彼の言葉に引っかかるものがあるのか、酒へと伸びる手が止まっていた。
そんな彼らを見かねた冒険者の一人が酒場のマスターに大声でこんな注文を頼んだ。
「マスター!!…水を一杯くれ!!」
その注文の意図を察したのか、他のプレイヤーもこぞって水を注文し始めた。
やがて酒場にいるプレイヤー全員に水が行き届くと、プレイヤーの一人が酒場の中心にある机に土足で飛び乗り、皆に声をかけた。
「みんな、卑しい卑しいただ水は持ったか?」
そんな彼の言葉にプレイヤー達はこぞって雄叫びような返事を返した。
そして中心にいる彼はこんな言葉を口にした。
「じゃあ、みんなでこの一杯の水を笑って飲み干してやろうじゃないか!!。そしてその後…共に冒険に出かけよう!!」
『冒険に出かけよう』…彼の言葉に戸惑う者は少なくなかった。
そしてそのうちの一人がこんなことを訪ねてきた。
「冒険って…いいのか?明日も仕事だろ?」
「バカヤロー!!こんな気持ちで仕事が手につくかぁぁぁぁ!!!!!」
その後、気持ちを落ち着かせて言葉を続けた。
「怖くて捨てられないっていうのなら、みんなで一緒に捨ててやろうじゃねえか!!。そしたら例え全滅して全部失っても怖いものなんて何もないだろ!?。恐れるものなんてなにもないだろ!?。どうせゲームなんだからいいじゃねえか、全てを失ったって!!。そうなっても俺たちはただ、みんなでただ水を笑って飲み干せばいいだけなんだから!!」
そんな彼の熱い言葉に諭されたのか、他のみんなは水の入ったジョッキを空に掲げて声をあげた。
「それじゃあ野郎ども…乾杯だ!!」
「カンパーイ!!」
そして各々水を飲み干し、お会計を机に叩きつけた後、こぞって店を出て行き、マサラの町の門から月だけが照らす夜の世界へと冒険に出かけたとさ。
少々酒に酔った勢いでの冒険とはいえど、きっとこの冒険は彼らに様々な非日常を与えてくれるだろう。
そして、いつしか明日を待ち焦がれながら眠りにつくその日を夢見て…彼らは夜の草原を駆け回るのだった。
…それはそうとその日の早朝…マサラの町の教会には山積みになった棺桶が届けられたそうだ。
「…今日もお仕事、頑張りますか」
山積みの棺桶を見上げながら、神父さんはその日の朝を迎えたのだとさ。
おまけ
神父さん「別に金のあるやつが全滅する分にはいいんだよ。ペナルティーで失った分が教会に入るから。…でも、許せないのは一文無しで何度も全滅するやつなんだよ。…具体的には田中とか田中とか田中とか…あと田中とか」