愛さえあれば、生きてるか必要なんてない!!
「被験者の心肺が停止しました!!」
いずれこの時が来ることは分かっていたが、それでも受け止めきれない目の前の惨状に部屋は緊張感と慌しさに包まれた。
「これ以上の実験は危険です!!今すぐ中止の指示を…」
「ならん!!」
患者の安否を気遣って実験の中止を促す職員に所長はそう叫んで否定した。
「しかし、このままでは本当に被験者が死んでしまいます!!。今ならまだ蘇生できるかもしれません!!あなたは自分の娘を見殺しにする気ですか!?」
「これは…あの子が望んだことだ」
一枚の分厚いガラスに隔てられた先の真っ白な部屋の大きなソファに腰掛け、物々しい機械を頭に被せられた娘を目の前に、これ以上はなにもできない所長は涙を流し、そして小さく呟いた。
「…佐紀」
「おぉ、戦士田中よ、死んでしまうとは情けない」
色とりどりのガラスによって豪華に装飾されたステンドガラスがら差し込む太陽に光に眼を細め、棺桶から目が覚めた田中はいつものように神父からありがたいお言葉を聞かされていた。
「俺たちを盾にした挙句、結局全滅するとは…やられ損じゃないか」
同じく棺桶から眼を覚ましたユーキは呆れながら田中にそう声をかけた。
「…ごめん」
寝起きで頭がボウっとしているのか、田中は悪態つくユーキに素直に謝罪の言葉を述べた。
「おいおい、大丈夫か?。田中ともあろうものが言い訳一つせずにまず謝罪するとは…今日は槍が降りそうだな」
「………」
だがしかし、ユーキの言葉に田中の反応はなかった。
「…マジで大丈夫か?田中」
いつもなら言い訳を泥のように顔に塗りたくる田中がこの日は呆けた顔をして反応が悪かった。
「どうかしたの?」
「いや、なんか田中がなんも反応なくてさ…バグったかな?」
田中の様子を問いかけてきたシンにユーキがそう答えた。
「ふーん、反応がないのかぁ………ブース」
田中の反応を確かめるべく、シンがそれとなく陰口を叩いたその瞬間、無意識の条件反射で伸びた田中の右拳がシンの顔面にクリティカルヒットした。
レベル99、STR999から放たれるその一撃はもはや神をも超越する破壊力。シンをぶち殺すだけで収まらなかった衝撃がシンの後方に拡散され、後ろにあった教会の壁を破壊した。
「…あっ」
跡形もなく吹き飛んだ教会の壁を目の当たりにしてユーキが呑気にそんなことを呟いた。
そして同じく自体の理解が追いついていない教会の神父(幼女)と目があったユーキは呆けている田中と田中の神撃を正面から受けたのになぜかHP が1残って生きていたシンを引きずって逃げるようにその場を後にした。
田中が呆けている原因、シンが生きている理由、そしてメニュー禁止の状態異常によってフリーズするはずだった魔王がフリーズしなかった理由。いろんな疑問を抱えながらもなんとか神父から逃げ切ったユーキはとりあえずまだ息をしているシンに問い質した。
「で、お前はなんで生きてるんだ?シン」
「…さあ?」
レベル99、STR999の破壊力だけは一丁前の田中の攻撃を受けてレベル1のシンが無事で済むわけがない。それなのにシンはHP 1残して生きているのだ。
「おそらくスキルが発動したんでしょうね」
そこに空から舞い降りて来たナビィがその答えを口にした。
「スキル?」
「はい、おそらくシンは度重なる田中の超神的な攻撃を受け続けた結果、今まで受けた総ダメージ量が積み重なり、それが一定量超えたのでスキルを獲得したのでしょう」
「ミケの『回復魔法拡散』みたいにシンがスキルホルダーになったってことか?」
「その通りです」
「僕がスキルホルダーに?」
「はい」
スキルによって自分の能力が拡張されたことを知ってシンは嬉しそうにそう尋ねた。
「すげえじゃん、シン。いままで何千と田中にぶちのめされた甲斐があったな」
「うん、僕の苦労がようやく報われた気がするよ」
「それで、シンのスキルってどんなスキルなんだ?」
「『HPが最大の時、どんなにダメージを食らおうがHPが1残る』というスキルです」
「…なんか微妙だね」
「…うーん…なんかどう反応していいからわからないスキルだな」
一撃で死ぬところはずのところが二撃になっただけ、正直あまり恩恵を感じないスキルに二人は微妙な顔をしていた。
「ちなみにスキル名は『神の慈悲』です」
「…なんかスキル名がカッコよくない」
「まぁ、それでも無いよりはマシなのでせいぜい慈悲深い神に感謝することですね」
「そうだな、デメリットはないんだし、無いよりはマシだよな」
「それはどうでしょうね?。一撃で楽になれるところを2回も苦しむ必要があるんですから、そういうところがデメリットになりうるかもしれません」
ナビィは笑顔でそんなことを口にした。
「シンが死ななかった理由はわかったが…田中のやつはなんでこんな呆けてるんだ?」
ユーキはボケェっと突っ立っている田中を指差してナビィに尋ねた。
「さあ?あまりにも上手くいかない冒険の日々が続いて壊れたんじゃ無いですか?」
田中のことはさておき、魔王がフリーズしなかった理由をユーキは頭の中で考えてみた。運営によって田中の知らない所でバグが直されたか、あるいは…
「結局魔王がフリーズしなっかった理由も分からずじまいか」
田中もああなっているし確かめる術のないユーキはとりあえず考えることをやめた。
これからどうするかを考えてはみたが特に案も思い浮かばず、ユーキ達が屯していると、そこにユーキがギルドマスターを務めるギルド『負け犬の会』の幹部であるセキュリスがやって来た。
「やっぱりユーキさんだ」
「セキュリスか、どうしたんだ?」
「どうしたもこうしたもないんだ、ギルドが大変なことになってるんだ」
「大変なこと?」
「とりあえずギルドルームまで来てくれ」
セキュリスに連れられて一同はギルドルームのあるユグドラシルの最上階にやってきた。
「ささ、どうぞ中へユーキさん」
セキュリスがギルドルームへの扉を開けると中からは以前よりのどんよりとした重たい空気が充満していた。
「な、なんだここは!?」
ギルドルーム内から吹き付けるあまりにも毒された空気に思わず田中は目を覚ましてしまった。
「おう、目が覚めたか」
「ここは一体なんなんだ!?」
「ここはギルド『負け犬の会』のギルドルームだ」
「『負け犬の会』?」
「そう、ここは我らが偉大なる恋愛マスターであるユーキさんがギルドマスターを務め、直々に女の子の攻略法を伝授してくれるプレイヤーの最後の希望とも言える素晴らしきギルドだ」
「…私の知らない所で面白そうなことやってんな、ユーキさん」
田中はそう言ってユーキの方を見ながらニタニタと笑い始めた。
「その顔をやめろ。それより、田中はなんでぼけっとアホそうなINT1の顔をしてたんだよ?」
「INT1の顔とか言うのやめろ。なんでボヤァっとしてたかは…忘れた」
「忘れたって…さすがはINT1ですね」
「うっさい、ナビィ」
「それで、ギルドで起きた問題っていうのは?」
「中を見て貰えばわかる」
セキュリスに言われた通り、ギルドルームの中を覗くと、そこには暗闇に満ちた死んだ瞳で虚空を見据え、ゾンビのように力なく呻き声をあげる変わり果てたプレイヤー達の姿があった。
「な…なんだこれは?」
「辛気くささが腐臭のように漂よってるな」
ユーキと田中はあまりにもひどいギルドの惨状にそんな感想を口にした。
「彼らはゲームの主人公のように周りからチヤホヤされ、世の中が自分を中心に回っているような世界を望んでこの世界に来たはいいが、周りからまったく相手にされなくてうだつの上がらない冒険者生活を続けて来た者達の成れの果て…もはやこのゲームに希望も見出せないが、このゲームから降りることも死んで終わらすことも出来ずに干からびた亡者達だ」
「そんなバカな…」
確かにセキュリスの言う通り、このゲームは一般的なゲームとは違い、プレイヤーを持ち上げるような都合のいい展開はまるで見られない。冒険しようにも難易度が高すぎてまるで冒険なんて出来ないし、戦おうにもNPCの方が強いので活躍する機会はほぼ無い。
このゲームの中で生活を続ければ続けるほど不毛な旅を続けるだけの冒険者などという職業に魅力を感じなくなり、ますます冒険から離れるようになり、プレイヤーのくせにNPCのような生活を強いられることになる。
こんなクソみたいなギルド『負け犬の会』が最も人数の多いギルドとして君臨している時点でこのゲームのほとんどのプレイヤーは冒険から手を引いたことが見て取れる。それほどまでにこのゲームは冒険に魅力が見出せないのだ。
おそらく、ここにいるほとんどのプレイヤーが普通に働いて普通に生計を立てて暮らしているに違いない。
だけど、それじゃあこのゲームに来た意味がまるで無いので、せめて見渡せば町中にいる美少女と仲良くなりたいと考えるようになるのだが、このゲームの女の子の攻略はさらに難易度が高いらしく、未だに誰一人として攻略し切った者はいないのだ。周りにはたくさんの美少女が街をうろついているのに決して物にすることは出来ない。手を伸ばせば届く距離にいるのに、雲を掴むようにスルリと抜けてしまうジレンマに常に苛まれながら過ごしているのだ。もちろん、実力行使に出ようとすればレベルは向こうの方が高いので返り討ちに合うだけ…だから彼らにはもう指を咥えて黙って見ているしか出来ない。
そんな八方塞がりでどうしようもない現状、彼らは飢えていたのだ。冒険もできない、恋愛も報われない、そうなるともはやこのゲームはただただ意味もなく生きにくい世界で生きるだけの無駄に難易度の高いド汚物の森でしかないのだ。
リセットもゲームオーバーも許されない悠久の牢獄で、満たされぬ思いを抱えた彼らはここで満たされぬ者同士で傷を舐めあい、悶々とした思いを増長させ続けた。やがてその満たされぬ思いはどんよりとした辛気臭い雰囲気を生み出し、その空気にさらに精神を蝕まれたプレイヤーは物言わぬゾンビのように死んだように無気力に生きるのだ。
そんな彼らに希望の光となりえたのがアイロを攻略した(ことになっている)ユーキであった。
だが、彼らにとってユーキは世界を救った英雄であり、どれだけ手を伸ばそうが何もつかめないモブの自分達とは違ってユーキは主人公なのだ。
どんなに足掻こうがモブが主人公になれるわけがない…そんなことを悟ってしまった以上、もはやユーキは別世界の人間であり、彼らの希望の星とはなり得ないのだ。
ユーキという最後の希望でなんとか支えられて来た彼らがその最後の砦を失ったことで、ゾンビ化は促進され、とうとう数万といるこのギルド『負け犬の会』の人間のほとんどが侵食されてしまったのだ。
「もはやこのギルドルームにこのゾンビ達を隔離し続けられるのも時間の問題、このままではこの辛気臭い空気がギルドの中枢となっているユグドラシルを枯らせ、マサラを腐らせ、世界が朽ち果てる。…そうなる前に恋愛マスターのユーキさん、なんとか彼らを救ってやってほしいんだ」
「そう言われてもなぁ…」
セキュリスの頼みになすすべもなくユーキが頭を悩ませていると、田中が口を出して来た。
「アホくさ、あんたらNPCにそんなに必死になってどうすんのさ?。あいつらは所詮はデータの塊だよ?」
「例えそうだとしても、俺が彼女を愛する気持ちは本物だ!!」
「そうだそうだ!!データの塊だろうが、実態がなかろうが、そんなのはどうだっていいんだ!!」
「愛さえあれば、相手が生きてる必要なんてないんだ!!」
田中の嘲笑にまだかろうじて正気を保っているギルドメンバー達は叫ぶように反論した。
「はぁ…ほんっとにアホくさ」
「まぁまぁ、そう言うなよ。実際このゲームのNPCは魅力的なやつらが多いし、好きになったっておかしくないだろ」
「だからってプログラムに恋なんてするか?。生きてない奴に恋するとか、正気とは思えないね」
そんな風に馬鹿にする田中にシンが珍しくこう反論した。
「でも、今の時代はいろんな恋の形があるし…生きてるか生きてないかなんて些細な問題だよ」
「はぁ…まぁ、なんにせよ好きすればいいよ。私には関係ないし」
そう言って悪態を吐く田中に向けて、ナビィが一瞬悲しそうな表情を浮かべたのをユーキは見逃さなかった。
しかし、すぐさまナビィがいつもの憎たらしい笑顔に戻ったので、ユーキは気のせいだと判断して、いやいや引き受けたとはいえギルドマスターとして問題を解決するために田中にこんなことを提案してみた。
「でもさ、こんなところで大量のプレイヤーが屯してたら田中も困るんじゃないか?」
「なんでだ?」
「田中はさ、誰でもいいからプレイヤーにゲームをクリアして欲しいんだろ?。それなのにこんなところで大量のプレイヤーが足止め食らってたら誰もゲームクリアなんて辿り着けないだろ?」
「むむ…確かにそれもそうだ」
「そう言うわけでさ、元ゲーム管理者として女の子の攻略法とかこいつらに伝授出来ないか?」
「うーん…残念ながら、女の子の好感度に関しては忌まわしき萌え豚が一人でやったことだから私は携わってないからな…アドバイスなんてまるで分からない」
「好感度は分からなくても、簡単に女の子を攻略出来そうな村とか思い当たらないか?」
「そんな都合のいい村があるわけ……あ、一つあったわ」
田中は何かを閃いたらしく、ポンっと手を叩いた。
「実はこのゲームには『ライグロウ村』っていう変わった文化をした村があるんだがな、その変わった文化っていうのが…『童貞を30歳まで守ると魔法使いになれる』という伝承が伝わっている村でな…」
「…なんだろうな。その伝承、現実世界でも聞いたことがあるんだが…」
「で、その村では童貞を30歳まで守ると高貴な魔力を持った魔法使いになれると信じられているから、童貞30歳に近づけば近づくだけ才能のある魔法使いになると信じられているから、必然的に童貞30歳に近づけば近づくほどモテるようになるんだ」
「そ、そうか…なんか嬉しくねえな」
「そしてモテるようになればモテるようになるだけ童貞を捨てるチャンスが訪れるから、結局その村では未だに誰一人として童貞30歳まで守る偉業を成し遂げた者はおらず、真偽を確かめるすべのないその伝承は今の今まで語り継がれているというわけさ」
「…反応に困る文化をしてる村だな」
「アップデートで果たしてどうなっているかは分からないが、その村の情報を流せばここにいるポンクラどももその村を求めて冒険し始めるんじゃないか?」
「嫌な鼓舞の仕方だなぁ…」
気が向かないがそれ以外にここにいるゾンビ共を活性化させる方法が思い浮かばないユーキは、とりあえずその村の存在をプレイヤー達に告知することにした。
「みんな!!聞いてくれ!!」
英雄として確固たる地位を築いているユーキの声にまだかろうじて意識の残っているゾンビ共はユーキの方へ振り返った。
「なかなか女の子に振り向いてもらえない奴らに朗報だ!!。実はこのゲームには『ライグロウ村』と呼ばれる童貞であればあるほどモテる村が存在する!!」
「…なに?」
「童貞であるほどモテる村だと!?」
「バカな!!そんな幻想じみたユートピアがこの世界にあるわけが…」
そんな半信半疑なゾンビ共にユーキは説明を続けた。
「これはある筋から入手した信用性のある情報だ!!なんせこのゲームの管理者だったやつから直々に教えてもらった情報だからな!!」
「なんだと!?」
「あのユーキさんが嘘をつくわけねえ!!」
「つまりこれは運営側からの直々な告知というわけだ!!」
ユーキの言葉に希望を見出し、徐々に瞳に輝きを取り戻し始めたゾンビ一行。
「だからこんなところに引きこもってないで、みんなで冒険に出かけよう!!そして…このゲームをもっと楽しもうぜ!!」
ユーキの言葉にギルドルームに敷き詰められた数万というギルドメンバーは歓喜の雄叫びをあげた。
希望という餌をチラ見せされた彼らはその餌を全力で追いかけるべく、立ち上がったのだ。
こうして、ギルド『負け犬の会』は童貞がモテると噂される『ライグロウ村』というガンダーラを目指して旅立ったのだ。
まるで餌をちらつかされたじゃじゃ馬のように彼らは走り出す。…例えその餌が頭に括り付けられ、どれだけ走ろうとも決して届かない餌だとしても…。