奴隷シンシアの日々
「フィーネ様、お茶をお持ちしました」
「ああ、ありがとう、シンシア」
奴隷の街の領主の館の一室で椅子に座りながら書類を見つめていたフィーネにシンシアはお茶を注いだ。
「随分と熱心にその書類を眺められておりますね、フィーネ様」
「あぁ、友の勇姿を焼き付けたくてな」
フィーネが見ていたのは世界に終焉をもたらし者、逆さメイドを倒し、世界を救った英雄であるユーキについて書かれた記事であった。
「凄いですよね。つい最近まで一緒に奴隷として働いていたとは到底思えません」
「そうだな。やはり奴は奴隷で収まるような器ではなかったということだな」
フィーネはユーキの活躍が嬉しかったのか、そんな言葉を口にして満足気に頷いた。
「そういえば、今日は午後から奴隷市場の視察のご予定ですが…私の方で馬車の手はずを整えておきますね」
「ああ、わかった、お願いしよう」
「それと…こちらが奴隷市の売り上げ決算となります」
「うん、ありがとう」
「今月は亜人族の子供が買い取り手が付かずに売れ残りました。…いつも通りの手はずでこちらに迎え入れてよろしいでしょうか?」
「君に任せるよ、シンシア」
「かしこまりました」
シンシアはそう言ってフィーネに深々とお辞儀をした。
そんなシンシアを横目に見ながらフィーネはシンシアが注いだお茶を一口飲んでぼそりと呟いた。
「君のお茶は…随分と美味しくなったな、シンシア」
「ありがとうございます」
そしてフィーネはまた一口、お茶に口をつけた。
「あっ、古いお茶はお下げしますね」
机の上に置かれた数刻前に淹れたお茶に気が付いたシンシアはそれらを持ち、そして深々とお辞儀をしてから部屋を後にした。
部屋から出て、扉を閉じたのを確認したシンシアは手に持ったフィーネの飲みかけのお茶をうっとりと見つめ、こんなことを呟いた。
「うふふふふっ、フィーネ様の飲みかけのティーカップ…これぞまさに役得役得ぅ」
頰を赤く染め、愛おしそうにティーカップを眺めるシンシア。
「迷っちゃうなぁ…そのまま味わうかぁ…それともコレクションにするかぁ」
そしてシンシアは妖艶に笑いながら、手に持ったカップをじっくりと見つめながらその場から去っていった。
「…ああいうところが玉に瑕だよな」
部屋に残されたフィーネはシンシアが淹れたお茶を口にしながら一言呟いたとさ。
たっぷりとテイスティングを済ましたシンシア(なにをとはあえて言うまい)は屋敷を出て街を歩いていた。その目的はとある人物を迎えに行くためなのだが…。
その道中、時折待ちの人達から声をかけられるシンシア。
「おはよう、シンシアちゃん。フィーネ様は元気かい?」
「ええ、私がいる限り、フィーネ様の体調管理はバッチリですよ」
「シンシアちゃん、生きのいい魚が入って来てるよ。フィーネ様のご夕食にどうだい?」
「むっ…確かに良い魚…これならフィーネ様も喜んでくれそう」
「シンシアちゃん、フィーネ様宛に手紙を預かってるんだが…渡しといてくれないか?」
「かしこまりました。必ずお届けします」
「シンシアちゃん、フィーネ様が好きなのはわかるけど、限度ってものをわきまえなよ?」
「え?よく聞こえません」
「シンシアちゃん、フィーネ様引いてるから控えなよ?」
「え?言ってる意味がわかりません」
「シンシアちゃん、フィーネ様の使った手袋があるけど、いくらで買い取る?」
「言い値で買おう」
このように待ちの人たちとの交流を深めながら歩いていたシンシアの前に、奴隷を連れた1人の美少女が視界に入って来た。
「おら、ちゃっちゃと歩け、この木偶の坊!!」
乱雑な言葉で首輪に繋がれた奴隷を無理やり引っ張るその美少女はフィーネに拾われる前のかつてのシンシアの主人であった。
そのかつての主人はシンシアの姿が目に入ると好奇な目でシンシアを見つめ、近づいてきた。
「おや?おやおやおやおや?誰かと思えば役立たずのシンシアじゃないか?」
「お久しぶりです」
威圧的に接してくる元主人に対してシンシアは礼儀よく対応した。
「なんだい、あんたまだ生きてたのかい。私はてっきりもう捨てられてどこかでのたれ死んでると思ってたよ」
「お陰様でこうしていまも生き延びております」
「なんだ?その言い方は?私に捨てられてよかったっていうことか?」
「も、申し訳ございません。そのようなつもりはなかったのですが、ご不快にお思いならば謝罪を申し上げます」
「また謝罪か?それしかできないのか?ほんとあんたは昔から謝ってばっかりだな?」
「ええ、何度でも謝罪しますとも、今の私をお側に置いてくれるご主人様のお顔を汚さぬためにも…」
芯のある言葉でそう返事をしたシンシアを見て、元主人は一瞬戸惑った後、口を大きく開けて大笑いをしながらシンシアの肩をポンポンと叩き始めた。
「あはははは、あんたも言うようになったじゃん」
元主人に仕えていたときにはそんな表情を見たことなかったシンシアは少し困惑していた。そんなシンシアを尻目に元主人はいろいろと話し始めた。
「いやぁ、悪いねえ。私は奴隷に限らず誰にでも悪態をつくタイプでねぇ、そのせいで以前のあんたみたいに奴隷から恐れられたりするんだが…まぁ、それは私の性だ、許せ」
「はぁ…」
「私も私なりにあんたが使い物になるように試行錯誤を凝らしていたつもりだが…どうやらフィーネの方がひと回りもふた回りも上手のようだ」
崇拝するフィーネを褒められたせいか、元主人の話を聞いていたシンシアは少し嬉しそうな顔をした。
「あんたがいなくなってから安く売られていた冒険者を新しい奴隷として買ったんだが…これはこれで扱いが難しくてなぁ」
そう言って元主人は持っていた首輪の鎖を力強く引っ張った。
すると、首輪をつけられた男は頬を赤く染め、嬉しそうな顔をしながら元主人の元にやって来た。
「あぁ、ご主人様ぁ!どうか…どうかもっと力強く引っ張ってくださいまし!!むしろこの卑しい私目を町中引き摺り回してくださいまし!!」
「うるさい、黙れ、この豚ァ!」
そう恫喝して、元主人は奴隷に鞭を振るった。
NPCは全員もれなく美少女にされているはずなので、男であるということはプレイヤーということなのだが、その男は鞭を打たれるたびに歓喜の声をあげていた。
「あぁ、もっとぉ…もっとぉ強く、激しく痛め付けてくださいましぃぃぃぃ!!!!」
…まぁ、こういうゲームの楽しみ方もあるということで。
「はぁ…ほんと、この男は全然応えないんだ。一体どうすればいいのか…」
この奴隷の冒険者の調教の方法がよくわからない元主人は困ったようにため息を吐いていた。
「心中お察しします」
そんな元主人を気遣うシンシア。そんなシンシアを一瞥して、元主人は気まずそうに一言こんなことを尋ねてきた。
「一応聞いてみるけど…あんた私の元に帰ってくるつもりはあるかい?」
「申し出はありがたいですが…私は、身も心も一生、フィーネ様の奴隷なのです」
シンシアは胸を張ってそう答えた。
「ん…まぁ、そうだろうね。逃した魚は大きかったってことか、良い勉強になったよ。それじゃあ私はそろそろ行くよ、フィーネによろしく言っておいてくれ」
元主人はそう言って奴隷の鎖を引っ張りながら去っていった。
「フィーネ様…私はあなたの元で、少しは成長できたみたいです」
シンシアがそんなことを呟きながら見上げた空には、時折奴隷の冒険者の喘ぎ声が響いていたとさ。
元主人と別れたシンシアはやがて奴隷市場へとたどり着いた。
「さぁ!今宵も生きの良い奴隷が揃っているよぉ〜!。今日の商品はこちら、冒険者三人組セットだああああああ!!!!!」
司会の合図とともにステージに登場したのは眼鏡をかけた冒険者とガタイの良い冒険者と老眼鏡をナイスミドルな冒険者であった。
「うう…まさか無銭飲食程度で奴隷市場に売り出されるなんて…」
「俺たちを見捨てたセキュリスは絶対に許さない、奴にもいつか同じ苦しみを味あわせてやる」
「ほっほっほ、まあまあ、みなさん落ち着いて。こんなにもたくさんの美少女に競られて買われるというシチュエーション…悪くないではありませんか」
そんなむさ苦しい商品のオークションには目もくれず、シンシアは奴隷市場の裏方の方へと回って行った。
「フィーネ様の使いのシンシアです。例の商品の回収に参りました」
「話は聞いております、どうぞこちらへ」
スタッフによって裏に案内されたシンシアはとある牢屋の前にたどり着いた。
「こちらが今週の売れ残り商品でございます」
牢屋の中には小さく、やせ細った小汚い獣人の女の子が入れられていた。
まともな食事も与えられていないのか、全身を覆う短い毛の間からはほとんど皮と骨しか見受けられなかった。
「いくらですか?」
「こちらは値もつけられぬほどの粗悪品なので、お金は入りません。処分を考えていたところなのでどうぞ持って行ってください」
「わかりました」
「首輪をご用意いたします、少々お待ちを」
「いえ、必要ありません」
スタッフは奴隷を拘束するための首輪を持って来ようとしたが、シンシアはそれを断り、そのまま檻の扉を開けた。
錆びついた金属音と共に重々しく扉が開けられ、人が近づいて来たことに獣人の女の子は恐怖を感じ、牢屋の隅で震えて動かなかった。
おそらく、自分がこれから奴隷に…人の物になることを察し、恐怖を感じているのだろう。自分がまだ人であることへの最後の無駄なあがきと知りながら、彼女はその牢屋から出ることを拒んだ。
「おいコラ!!とっとと出てこい!!ケダモノ!!」
お客を待たせるわけにはいかないスタッフは女の子が入った牢屋を蹴り飛ばした。
それでも最後の抵抗を続ける女の子は頑として出ようとしなかった。
大切なお客様をこれ以上待たせるわけにはいかないスタッフは棒を取り出し、鉄格子の間から女の子を叩きつけようとしたが、シンシアがそれを制止した。
「ここは私に任せてください」
シンシアはそう言って、牢屋の扉から手を差し伸べた。
しかし、それでも女の子は隅で震えて固まっていた。
「そのまま固まっていても事態は決して好転しません。そのうち私達も強硬手段に出なければいけません」
シンシアは説き伏せるように優しく話しかけた。
「お願いですから…これから仲間になるあなたを傷つけるようなことはさせないでください」
「…仲…間?」
「はい、私たちは同じ方に仕える仲間です」
そう言うとシンシアは左手につけられた奴隷の指輪を自慢げに見せつけた。
「…おそらく、今までのあなたの人生はとても辛いものだったと見受けられます。昔から続く獣人差別はいまも水面下で根強く残っています。理不尽に蔑まれたこともおありでしょう。…ですが、これからは違います。雲の上のはるかかなたに位置する偉大なるフィーネ様の下で私達は同じ身分で同じ場所に立てるんです。多少の立場の差はありますが、天にいるフィーネ様と比べたらわずかな誤差です。だから…そんなに怖がらないでください」
そう言ってシンシアは指輪をつけている左手で再び新たな仲間に手を差し伸べた。
それを見た獣人の女の子はゆっくりとだが、確実に距離を近づけ、そしてその手を取った。
「よろしい、行きましょうか。私達の家に」
2人はそのまま手を繋ぎ街へと歩き始めた。
その道中、女の子は自分の手を優しく握るシンシアの左手でキラリと光る指輪をチラチラ見ていた。
「いいでしょう?仲間の証、私の宝物です」
そんな女の子の視線に気がついたのか、シンシアは地面げに指輪を見せてつけ、そしてらそのあと優しく語りかけた、
「あなたはいわゆる余り物です…ですが、大変運がいい」
「…運がいい?」
「いずれ分かります」
そう言ってシンシアは優しく笑って見せた。
やがて、二人は奴隷の街の領主であるフィーネの屋敷にたどり着いた。
「ようこそ、ここが新しいあなたの家です」
緑豊かな温かい庭と、大きな玄関が彼女を出迎えた。
「よく来たな、私はこの街の領主のフィーネだ、敬称はいらん。フィーネでいい」
タイミングよく女の子を玄関で出迎えたフィーネが自己紹介をした。
「早速だが、奴隷の契約を結びたい」
そう言ってフィーネは奴隷の指輪を取り出した。
奴隷の指輪を見た女の子は少しビクつき、シンシアの後ろに隠れてしまった。
そんな女の子と視線を合わせるためにフィーネは片膝をつき、同じ目線に立って女の子にこう語りかけた。
「確かにこれは君を縛るものだ。だけど、君を縛るのは君自身を守るためでもある。だから…怖がらないで受け入れてくれ」
そう言ってフィーネは手を差し出した。女の子は恐る恐るフィーネの差し出された手の上に小さな手をかざした。
そしてフィーネはその指に奴隷の指輪を通した。
「おめでとう、これで今日からあなたも私達の仲間です」
シンシアからそんな言葉を受けた女の子は自らの手にはめられた指輪を少し嬉しそうにじっと見つめていた。
「支えてもらう立場として、君の名前を教えて欲しい」
「…ヨーム。ヨーム・ラギアグル…です」
こうしてフィーネの屋敷に新たな仲間が増えたとさ。
おまけ
「フィーネ様が触れた手、フィーネ様が触れた手。クンカクンカ、スーハースーハー、あぁ、まだこんなにも残り香がぁぁぁぁ、アフへへへへアヘヘヘヘ…芳しきや、香しきや、愛しきや」
フィーネがいなくなったあと、興奮気味にヨームの手に顔を近づけ、クンカクンカとこれでもかと言うくらいフィーネの残り香を嗅ぎまくるシンシア。
フィーネの残り香で変貌したシンシアにヨームは何も言えずにただただ恐怖を感じていた。
「あ、言い忘れていましたけど…フィーネ様がお使いになった物は片付ける前に必ず私に一度渡して下さい。絶対ですよ!?約束ですよ!?……
……カナラズオボエテクダサイネ」
新生活にかなりの不安を感じたヨームであった。
…良い話が台無しである。記念すべき50話なのに…。