寝る前にはおやすみを
薄暗い森の中、メイド服を上下逆さに着こなすという奇特な格好をした少女が集落のはずれで一人腰を下ろした。
夜でも明るい集落とは違い、ここは日もすっかり沈みきり、太陽の光も失った地面に温かさなどはなく、地面から伝わる無機質な冷たさと肌寒い風だけが少女を包んだ。
所詮は仮想世界のゲームの中とはいえど、その寒気は少女の心を砕くには十分なものであった。
思えばこのゲームが始まってからもろくなことがなかった。
管理者権限は剥奪され、攻撃が当たらない呪いをかけられ、奴隷の指輪は外せなくなり、メイド服を変に着るハメになり、さらには逆さメイドとして人々に忌み嫌われ石を投げつけられる。
自業自得なところはあるが、理不尽…あまりにも不条理だ。
日も気分も心もすっかり消沈し、一人夜の寒さに震える田中。そんな彼女の耳になにやら楽しげな音が聞こえてきた。
おそらくは集落で宴でも開いているのだろう。一人寂しく寒さに凍えるのを他所に楽しく盛り上がる様に少女は一抹の怒りを覚えた。
今頃ユーキたちは可愛い女の子達にチヤホヤと持て囃され、ワイワイ楽しんで…それなのに自分は一人でこんな薄暗い森の中、寒さに身を震わせながら朝日を待つのか。
そう考えるともはや怒りを通り越して悲しみがこみ上げてきた。
そんな最中、近くのテントの形をした家からとある家族の声が漏れてきた。
「わー!今日のご飯は大好きなハンバーグだぁ!」
「温かいうちに食べなさい」
「いただきまーす!!。…お母さんの手料理って本当に美味しいね!!」
「そうだな、お母さんの作る料理は世界一だな」
「もう、お父さんったら言い過ぎなんだから…」
そんな感じの一家団欒な楽しそうな会話が田中の耳に入って来た。(ちなみに全員美少女です)
温かい家で明かりに照らされ、家族に囲まれて過ごす一家の様子を想像した田中は自分との境遇の差を感じ、とうとう涙を流し始めた。
どうして自分はゲームの世界にまで来てこんな薄暗いところで一人で過ごす羽目になったのだろう?。
どうして誰も私に手を差し伸べてくれないのだろう?。
どうして自分はあの家族のように日々を平穏に過ごせないのだろう?。
どうして…どうして…
誰も私を迎えに来てくれないのだろう?。
こんなにも苦しいのなら…こんな世界に価値はない。
こんなにも不自由なのなら…こんな世界は必要ない。
こんなにも寂しいのなら…こんな世界は意味がない。
だったら…こんな世界、ぶっ壊した方がいい。
「そうだよ…こんな世界、ぶっ壊してしまえば…」
田中がそう呟いて立ち上がろうとしたその時、集落の方から聞き覚えのある声が聞こえて来た。
「…お、いたいた。こんなところにいたのか…探したぞ、田中」
そう言って田中の前に現れたのはユーキとシンとナビィであった。
「…なんでここに?」
「いや、田中を一人で放っていたらバカやりそうだから来たんだよ」
なんだかんだでユーキは田中が心配だったのだろう。宴を抜け出してこっそりやって来たのだ。
「…だからって僕まで無理やり連れてくる必要ないでしょ」
「まぁ、旅は道連れってやつだよ」
シンは無理やり連れてこられたのか、げんなりとした顔をしていた。
「ちなみに私は田中の哀れな姿を酒の供にしに来ました」
「おいコラ、クソ妖精」
ナビィはミニチュアの妖精サイズの酒の入ったジョッキを片手にそんなことを言っていた。
「…いいのか?宴の主役がこんなところにいて」
「いいんだよ。…あんまり英雄英雄ってチヤホヤされるのも気がひけるし」
「僕はこんな寒いところより暖かい場所で寝たいんだけど?」
空気を読まずに宴に戻りたがるシン。
「野宿だってたまにはいいじゃないか。ほら、見てみろよ…こんな凄え星空を見ながら眠れるんだぜ?」
そんなシンを説得する意味合いも込めて空を指差してユーキはそんなことを呟いた。
ユーキの言う通り、空には満天の星空が煌めいていた。
まるで空を見上げる全てのものたちを祝福するかのように輝く魅力的な光、ユーキに指摘され、空を見上げたシンはその光を見つめながらこんなことを呟いた。
「…僕、田舎住みだからこのくらいの星空はよく見るよ」
空気の読めないシンには『なんか星が綺麗だからいいじゃないか』というあやふやな説得は意味がなかった。
「まぁまぁ、そう言わずにさ…せっかくの旅なんだからもっと親睦を深めようぜ?」
仲の良いパーティに憧れを抱いていたユーキはなんとかパーティの仲を取り持とうとしていた。
「…いや、ヤダよ。ユーキはともかく、僕は田中と仲良くなんかなりたくないよ」
「いや、気持ちはわかるけどさ…」
やはり日頃の行いがよろしくなかったのか、頑なに田中と距離を取りたがるシン。
「平気で人から物をとったり、殺したりするような奴と仲良くなんかなれないよ」
「まぁまぁ、あくまでゲームだし…」
「…仕方ないじゃん。だって私…あんまり人に関わって来なかったから…」
突然、田中は口を開いてそんなことを呟いた。
「…人に関わって来なかった?」
田中の言葉に引っかかったユーキは詳しいことを訪ねてみた。
「私は小さい頃事故にあって、脊髄を傷つけて身体を自由に動かせ無くなったんだ。そのせいで病院にこもりっきりで学校にも行けなくなって…。そんな私に見兼ねた父が私のために作ったのがこのゲーム…正確に言うならばその基礎となる部分。意識をフルダイブさせることによって現実世界では身体が動かせない私もここなら自由に生きられる。それ以来私はずっとこのゲームの世界に入っていたから、人と関わる機会が少なかったんだ。だから人の気持ちだって分かんないし、ゲーム感覚っていうのも身に染み付いてしまってるし…」
「知らないよ、そんなのただの言い訳でしょ?」
田中の自分語りをシンはそう言ってバッサリと切り捨てた。
「過酷な境遇で生まれ育ったからなにやっても許されるなんてことはないでしょ?。そんなの自分の都合しか考えてない勝手な意見だよ」
「………」
シンの言葉に返す言葉がない田中は黙ってシンの言葉を聞いていた。
「おい、シン…さすがに言い過ぎ…」
見兼ねたユーキがシンの言葉を止めようとした時、シンは優しい口調でこんなことを呟いた。
「だけど…なんでだろうね?。僕には不思議とそれが他人事には思えないよ」
そしてシンは『おやすみ』と言ってその場で横になって眠り始めた。
なんやかんや言いつつ、宿に戻ることなくその場で一緒に野宿をしてくれるということなのだろう。
そんなシンを見てユーキがフッと笑って、同じく『おやすみ』と言って眠りについた。
「…おやすみ」
少し嬉しそうに田中もそう呟き、床に伏せた。
そんな3人を上空から見下ろしていた妖精のナビィは小さく口を開いた。
「やれやれ、こんな話じゃ酒の供にはなれませんね。…まぁ、それでもせいぜい旅の友くらいにはなれましたね」
そしてフワリと夜の空に向かって飛び上がり、最後に田中の方を振り向いて一言呟いた。
「おやすみなさい…良い夢を」
夜はひっそりと、そして少しだけ温かく過ぎて行ったとさ。