彼女の心に響くもの
ユーキが一人で説得の糸口を模索する中、田中ちゃん達が働く『フローラ マサラ店』では…
「ほんと…二人がここで働いてくれて助かるわ。私一人だったら忙しくてお店が成り立たないもの」
店長のフローラは仕事終わりに二人にそう声をかけた。
「特に、田中ちゃんは今はこのお店の看板娘だからね。私の大切な右腕よ」
「いえ、私なんてまだまだですよ…」
フローラの発言に照れ臭そうに謙遜する田中ちゃん。
「店長、俺は?俺は?」
自分に指をさして存在をアピールするシン。
「シンは…えっと…うん、大丈夫よ」
なにが大丈夫なのかは知らないが、微妙な笑顔でシンにそう返事したフローラ。
そんな3人はお店に住み込みで働いているため、仕事終わりに3人で夕食を囲み、花のことなどを楽しく談笑しながら団欒な夜を過ごした。
その日の晩、田中ちゃんがお風呂に入ろうと脱衣所に入った時、外からフローラの声が聞こえてきた。
「田中ちゃん、お風呂一緒に入っていいかしら?」
そんなフローラの発言に快く二つ返事で快諾した田中ちゃん。
こうして二人は一緒にお風呂に入ることになったのだ。
…さて、ここで『イヤッホゥ!!女の子と女の子の入浴シーンだぜ!!ヒァッハァ!!』と意気込み、パンツを脱いで画面を見ている読者の皆様に大変残念なお知らせがある。
それは田中ちゃんの装備は全てのセルフで呪われている仕様のため、ジャージの上からメイド服を履いたままの大変冒涜的な入浴になってしまうということだ。
『服着たままとかふざけるな!!なんのための入浴シーンだと思ってんだ!?』と喚く読者の皆様方、諦めてパンツを履く前に安心して欲しい。代わりと言ってはフローラさんがタオルも巻かずに生まれたままのお姿でご入浴なさるのでそれで我慢して欲しい。
…しまった!?なんということだ!?。お風呂場が異様なほどに濃い湯気に覆われてなにも見えないぞ!?。
これではなにも見えないからせっかくの入浴シーンなのに艶かしい表現がなにも出来ないではないか!?。
ちくしょう!!女の子の一糸まとわぬエデンの花園が目の前にあるというのに…湯気さんの迫真のディフェンスのせいで覗くことすら叶わないなんて…。
残念だなぁ、別にエロ描写が苦手とか、書きたくないってわけじゃないんだけど、湯気さんの迫真の自己主張のせいでエロ描写が出来ないなんて残念だなぁ。
いやぁ、ほんと残念だなぁ(棒)
と、いうわけでこれでもかと言わんばかりに濃い湯気に包まれたお風呂場では、美少女達の話し声だけがこだました。
「田中ちゃん、服着たままお風呂はいるの?」
「ごめんなさい。脱ぎたいのは山々なんですけど、どうしても脱ぐことが出来なくて…」
「そっか。…その冒涜的なメイド服は田中ちゃんが冒険者をやっていた頃に装備したものなんだっけ?」
「はい。私って、一度装備しちゃったら二度と脱げないんですよね」
湯気でよく分からないが、服の上から田中ちゃんの背中を洗いながら二人がそんな会話をしているような気がした。
そんな折、何にも見えないほどの湯気の濃さにもかかわらず、心眼的なアレで田中ちゃんが指に装備していた奴隷の指輪がフローラの目に止まった。
「…その指輪も、冒険者時代に?」
「はい、おかげで冒険にろくな思い出がないです」
フローラの周りには奴隷という存在はおらず、フローラ自身、あまり奴隷のことを知らながったが、奴隷として過去に田中ちゃんが何かを虐げられていたということを察した。
それと同時に田中ちゃんが店にアルバイトに応募して初めて来た時、酷くやつれていたのを思い出した。
きっと、彼女は冒険者時代、あまり良くない境遇に陥っていたのだろう。こんな小さな体をしているのに、その心は冒険によってきっとズタズタにされたんだ。普段の花を慈しむ優しい田中ちゃんからは想像できないくらい、きっと過酷な世界を生きて来たんだな。
そんなことを察したフローラは優しい声で田中ちゃんにこう語りかけた。
「田中ちゃん、このお店で働くのは楽しい?」
「はい!とても楽しいです!。こんなにいっぱいのきれいな花に囲まれた過ごせるなんて、私とても幸せです!」
そう語る田中ちゃんの顔は湯気でまるで見えないが、見るまでもなく輝いていた。
「そう。それはよかった」
すると突然、湯気先輩の迫真の自主規制によって肉眼では分からないが、サーモグラフィー的なアレでフローラが田中ちゃんを優しく抱きしめたことが分かった。
「いままで辛かったでしょ?。これからはずっとここで過ごしていいんだよ?」
まるで娘を抱きしめるかのように優しく抱擁するフローラの手を握りしめ、田中ちゃんは涙を流し始めた。…あ、湯気でよく分からないんだけどね。
それはきっと冒険者として生きていたくせに冒険にすら出かけられなかった辛い日々を思ってのことだろう。
母のように暖かいフローラの抱擁に包まれた田中ちゃんはそのまましばらく涙を流し続けた。
辛い、ただひたすらに辛いだけの冒険者としての日々。そんな日々と決別できたことは喜ばしいこと。…そのはずなのに、田中ちゃんの心のどこかには決別しきれないなにが引っかかっていた。
数日後…いつものように花屋で働く田中ちゃんの元をユーキが訪れた。
「…また来たの?」
自分をあの辛いだけの冒険者の日々に引きずり込もうとするユーキに敵意をむき出しにする田中ちゃん。
かつての仲間にこれだけ敵意をむき出しにされながらもユーキは田中ちゃんに語りかけた。
「いいのか?お前は今のままで?」
「もちろん。私はいま幸せよ?」
そう、いま私は幸せなのだ。たくさんの大好きな花に囲まれ、健やかな日々を過ごす。…これ以上に私が望む世界など…。
そのはずなのに…それでも心のどこかで迷う気持ちがあるのを、田中ちゃんは感じていた。
「今の生活が、お前が一番望んだものなのか?」
「も…もちろんよ」
「違うだろ?。お前が一番望んでいた生活はこんなもんじゃないんだろ!?だからいま、一瞬、言葉に詰まったんだろ!?」
「黙れ!!私が今以上に望む生活などない!!」
「本当にそうか?。それは心の底から望んだ生活なのか?」
「…じゃ、じゃあ、お前は私が今以上に望む生活が冒険の先に待っているというのか!?」
「ああ!もちろんだ!!」
「じゃあ、言ってみろ!?私が今の生活を投げ出してまで!また辛い冒険の日々に戻ってまで!私が手にしたいという生活ってやつを!!」
「お前が手に入れたいもの、それは…」
ユーキは少し間を置いたあと、田中ちゃんの心の底まで届くように、全身に突きつけるように、田中ちゃんに告げた。
見せかけだけの『仲間』やあるはずもない『絆』に訴えかけるよりももっと確かな呼びかけ…それは…。
「お前が本当に手に入れたいものは!!ゲームをクリアして、その後再びゲームの管理者として好き勝手にだらだら自堕落に生きることができる生活だぁぁぁぁ!!!!!」
田中ちゃんの欲求に訴えかける説得としては最低なものだった。
だが、ユーキの言葉を受けた田中ちゃんは己に潜む本心に気付かされたのか、しばらく黙って突っ立ったままだった。
「あ、こんなところにいたのか…探したぞ、田中ちゃん」
そう言って田中ちゃんの後ろから手に花を持っていたシンが話しかけた。
声をかけられた田中ちゃんが振り返り、シンが田中ちゃんの顔を見たとき、シンはその顔に驚愕した。
自分がいままで探していた真の目的を思い出した田中ちゃんから花によって底上げされていた補正が消え去り、そこまでいたはずの美少女が悪魔に憑かれたかのように悪い顔をしていたのだ。
「シン、行くぞ?」
「…え?行くって…どこに?」
「決まってるだろ?…冒険だ」
そう言って田中ちゃんはめんどくさくなったため、いつものようにシンにボディブローという名の神の鉄槌を浴びせた。
その衝撃でシンが手に持っていた花は舞い散り、シンは棺桶となった。
「…さぁ、再び冒険の旅と洒落込もうじゃないか、ユーキ」
「全く…手間取らせやがって…」
再び冒険に出かける決意を固めた田中ちゃん。そんな田中ちゃん達の冒険を再び始めるために、田中ちゃんがユーキにこう提案した。
「さぁ、冒険を始めるために、まずは…全滅だな」
「冒険が再開できたのは喜ばしいが…全滅からはじまる冒険って嫌だなぁ」
こうして、三つ仲良く並んだ棺桶はいつものように教会へと送られ、再び地獄のような冒険は幕を開けたのであった。
「二人とも遅いなぁ」
別れも告げずに冒険に出かけたなどと知るはずもないフローラは一人残された店でそんなことを呟いていたとさ。