田中、冒険やめるってよ
始まりの街、マサラ城の城下町の一角で花屋を営むフラワーショップ『フローラ マサラ店』。そこでたくさんの花に囲まれながら店員として働く一人の少女の姿があった。
ジャージに上下の向きが逆なメイド服という変わった風貌はしていたが、愛おしそうに花を見つめ、優しい手つきで花を愛でるその姿は綺麗な花の補正が加わり、まるで美しいお姫様のように輝いて見えた。
「うふっ、今日もお花さん達に囲まれて幸せだなぁ」
その声は透き通るように優しい声をしていた。
そんな彼女に声をかける一人の女性がいた。
「田中ちゃん、今度はこっちのお花をお願い」
彼女はこの店の店長のフローラ。お店が忙しくなり、人手を増やすために最近アルバイトを募集していたところ、田中と名乗る少女が応募して来たのだ。
その時の彼女はどういうわけだか知らないが、溢れんばかりの涙を流していたが、花に対するその愛情は本物であり、いまでは店長であるフローラの右腕として大きな戦力になっていた。
「本当にお花が好きなのね、田中ちゃん」
「はい。私、小さい頃からお花屋さんで働くのが夢だったんです。だから…いまはたくさんの大好きなお花に囲まれて働くことができて…本当に幸せです」
そう言って花に優しく微笑みかける彼女の姿はとても可憐な美少女に見えた。
そんな美少女が働くフローラ マサラ店にとある一人の客が訪れた。
その男は銀髪の長い髪を風になびかせ、きりりとした端正な顔の持ち主であった。
「失礼、花を見立てて欲しい…」
「プレゼントですか?」
「大切な人への贈り物なんだ。だから、素敵な花を見立てて欲しい。…美しい女性に似合う花を…」
「なるほど、美しい人に似合う花ですね…」
客の注文に田中ちゃんが少し考えた後、一輪の花を手に持って客に進めた。
「それではこの花などいかがでしょうか?」
「これは?」
田中ちゃんが客に差し出したのは白い花だった。
「この花はカラーという花で、花言葉は『華麗なる美』という意味です。綺麗な人に送るにはいい花だと思いますよ」
「なるほど、華麗なる美ですか…確かに美しい人には似合いそうだ。…気に入りました。この花をあるだけ包んでください」
「あるだけですか?…かしこまりました」
男に言われた通り、お店にあるだけの花を包み、一つの花束にまとめた田中ちゃんは、その身の丈ほどある大きな花束を男に渡した。
「これはこれは…立派な花束だ。…これならきっと彼女も喜んでくれる」
嬉しそうにそう呟く男は代金を支払った後、店をそのまま後にしようとしたが、店の出口で田中ちゃんの方を振り返り、花束から一本だけ花を抜き取り、それを田中ちゃんに差し出した。
「少ないですがこれをどうぞ」
「よろしいのですか?」
「えぇ、もちろんです。あなたもこの花が似合う素敵な女性ですからね」
男はそんな決め台詞を吐き捨てて、大きな花束を手に店を後にした。
田中ちゃんはもらった一輪の花を愛おしそうに眺め、花の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
昼下がりの午後、太陽の下でたくさんの花に囲まれながら花を慈しむその姿はどこからどう見ても美少女であった。…まるで彼女自身が日向に咲く一輪の花であるかのように。
そんな姿を店の外から眺めていたユーキが一言つぶやいた。
「…いや、誰だよ?お前」
自分の知ってる田中ちゃんとまるで違う天使のように慈愛に満ちたその姿に思わずユーキはそう突っ込んでしまった。
「げっ、また来たのかよ。いい加減にストーカーやめろよな、ユーキ」
そんなユーキの様子を見て、怪訝な声をかけて来たのは田中ちゃんと同じく、店員としてフラワーショップ『フローラ マサラ店』で働くシンであった。
田中ちゃんにリスキルされ続ける日々は終わったが、稼ぎがないため食い扶持に困り、路上で朽ち果てようとしていた時、この店の店長であるフローラに拾われ、ここで働くことになったのである。
「いい加減、仕事先まで来るのやめろよな。迷惑なんだよ」
苦行だった冒険の日々が終わり、花屋で働いて健全な生活を送っていたシンは毎日のように二人を冒険に誘いに来るユーキにうんざりしていた。
「仕方ないだろ、お前達がいなきゃ冒険に出れないんだからさ」
パーティから自力では抜けられない君と共にどこまでも旅する(強制)RPGであるため、二人がいなければ一人で冒険ができないユーキは花屋で働き出して健全な生活を送る二人に心底困っていたのだ。
「俺はまだしも、あんなか弱い乙女である田中ちゃんまで危険な冒険に連れ出そうとするのはやめろよな」
「…か弱い?…乙女?…お前は何を言っているんだ?」
田中ちゃんのことを『か弱い乙女』などと口走るシンに目を丸くして信じられないものを見るかのようにそんなことを口にするユーキ。
「お前こそ何を言っているんだ?。あんな小さな花をあんなに愛しそうに見つめる可憐な彼女が、冒険なんて野蛮な真似するわけないだろ?」
田中ちゃんを見つめながらそんなことを口走るシンの顔は少し照れ臭そうに赤くなっていた。
「いや!お前それでいいのか!?お前あいつでいいのか!?正気か!?。言っておくが、お前は田中に何千回っていう単位で殺されてるんだからな!?」
田中ちゃんを見つめながら恋する乙女の顔をしていたシンにユーキが説得するように必死でさう声をかけた。
「あんな虫も殺せないような優しい彼女がそんな真似するわけないだろ?。きっと僕は今まで幻覚を見てただけなんだよ」
「いや、今お前が見てるそれが幻覚だからな?。…っていうか、シンはこんな花屋で働いてないで、妹を探す必要があるんじゃないのか?」
「こんな広い世界で顔もわからない妹を探すなんて無理なんだよ。だから、僕がこの花屋を大きくして、妹の目にも止まるほど有名にして、あっちから見つけてもらうことにしたんだ。女の子は花が好きだし、きっと妹はいつかこの花屋にやって来ると思うんだ」
そう語るシンの心は花屋としてこれから生きていくという決意に満ちていた。それは自分のためでもあるし、拾ってくれた恩人のフローラのためでもあるし、何よりも花を愛する愛しき美少女のためであった。
店先でそんな話をしていたシンとユーキの元に花補正で美少女と化した田中ちゃんがしおらしげに話しかけて来た。
「あの…いらっしゃいませ。…今日は、お花を買いに?」
ユーキにそう接客する田中ちゃんの声は毎日冒険に誘いに来るユーキへの警戒に満ちていた。
「んなわけねえだろ?。こんなふざけた花屋なんか辞めて、とっとと冒険に行くぞ」
田中ちゃんの予想通り、今日も二人を冒険に誘うユーキ。
「ふざけた花屋なんて発言は取り消してください!。このお店はあなたにはわからないかもしれませんが、私にとっては大事なお店なんです!」
ユーキの『ふざけた花屋』という言葉に引っかかったのか、田中ちゃんは発言を取り消すようにユーキに叫んだ。
「わざわざゲームの世界に来て花屋を営むとか、正気の沙汰じゃねえだろ!?。お前はどう○つの森でもやってんのか!?」
「RPGなんだから、好きなことやってもいいじゃない!?。…あとどう○つの森は神ゲーだよ!?」
「ふざけんな!?。ここまで来て花屋だと!?俺たちがこれまで一緒に冒険して来た日々はその程度のものなのか!?楽しい時も、辛い時も一緒に過ごした俺との絆は…その程度のものなのかよ!?」
いくら乱数調整が苦行であっても、花屋なんかに逃げ出した田中ちゃんに、ユーキは迫真の声でそう語った。
これまで決して短くはない日々を共に共有し、その中で芽生えたはずの絆に訴えかけるようにユーキは必死にそう語ったのだ。
そんなユーキの絆に訴えかける言葉を聞いた田中ちゃんはこんなことを口にした。
「…っていうか、私達ってそこまで言うほど仲良くないですよね?」
「まぁ、そうなんだけどな」
田中ちゃんの仲良くない発言をあっさり肯定するユーキ。
実際のところ、二人が共に冒険して来た日々は決して短くはない。だが、その旅のほとんどは奴隷生活と乱数の調査のための苦行で埋まっていたため、その旅の中で楽しいことなど何一つとしてなく、もちろん友情なんてこれっぽっちも感じてなどいない。…っていうか、そもそもほとんどまともに旅してない。
そういうわけでいくら何ヶ月単位の日々を共に過ごして来たとは言えど、田中ちゃんにもユーキにも、もちろんシンにも旅の中で芽生えた仲間意識などはこれっぽっちもないのだ。それどころかいがみ合っていたと言っても過言ではない。
そういうわけで、ユーキの仲間意識に訴えかける説得は田中ちゃんの心にはまるで響かなかったのである。
「まぁ、仲間とか絆はどうでもいいとして、花屋なんかよりは冒険の方が有意義だと思うんだ」
「死んで生き返るだけの日々のどこが有意義だったのか、ぜひ教えいただきたいのだが?」
それでも説得を続けるユーキにそんな嫌味をぶつけるシン。
「ほ、ほら、剣でモンスターをぶっ倒すのとか爽快じゃん?」
シンの嫌味に返す言葉が出てこないユーキは話題をそらして逃げた。
「剣は相手を傷つけることはできても、心までは届きません。それに比べて花はいともたやすく人を癒してくれます。だから剣なんて必要ありません」
そもそも攻撃が当たらない田中ちゃんは一輪の花を両手で優しく握りしめながらそう反論した。
「っていうかさ、冒険しないとかありえないでしょ!?だってここは剣と魔法の世界なんだぜ!?」
「…その剣と魔法が、私たちに何かを与えてくれましたか?」
折れた剣と自殺用の魔法しか持ち合わせていないユーキが田中ちゃんのその言葉になにか反論など出来るはずもなく、とうとう黙ってしまった。
「いつまでも冒険者などという名ばかりの無職にすがっていないで、そろそろ地に足をつけてみてはどうですか?ユーキ」
最後に田中ちゃんはその言葉だけを残して、シンと共に店へと戻っていってしまった。
「痛いところ突かれましたね、ユーキ」
一人残されたユーキにそう声をかけるのは田中ちゃんに花屋のアルバイトを進めた全ての元凶である妖精のナビィであった。
「まぁ、冒険者なんていうのはニートの大義名分のために生まれた職業みたいなもんですからね、そりゃあ反論なんてできませんよ」
ユーキに追い打ちをかけるをかけるかのようにケタケタと笑うナビィ。
「…おかしいだろ」
「…ユーキ?」
「こんなの…おかしいだろ。まともに冒険にすら出かけられないなんて、何のためのゲームの世界なんだよ?。そもそもこのゲーム、普通に敵を倒しても得られるブラッドよりも回復のために消費するブラッドの方が多いから戦闘しても赤字になるし、すぐ殲滅するくせに全滅したら全財産失うし…いくらなんでも鬼畜すぎるんだよ。これじゃあまるで…製作者が冒険なんかせずに街でひっそりと暮らせって言ってるようなもんだよ」
「別にいいじゃないですか。今の時代、日常を楽しむゲームって結構多いですし、そんなゲームも悪くないと思いますよ?。そういうわけで、ユーキも冒険者なんていう名のニートなんか辞めて、とっとと手に職つけたらどうですか?」
「俺は冒険を諦めねえよ。例え誰がなんと言おうと、例え全ての人が冒険を諦めても、俺はこの世界をどこまでも冒険してみせる。…じゃなきゃ、なんのためにゲームの世界に生まれたかわかんねえだろ?」
「はぁ…そこまで潔くニート発言するならもう止めませんよ」
「っていうか、冒険者のことニートって言うの辞めてくれよ、ナビィ」
「嫌ですよ。…冒険なんてろくなものじゃありませんし」
「あとさ…ナビィってそんなに俺たちに冒険に出かけて欲しくないのか?」
「…突然なにを言っているんですか?」
「いや、ナビィの嫌がらせってさ、基本的に俺たちの冒険を妨げるようなのばっかりじゃん?。もしかしてそれって…ナビィには俺たちが冒険に出かけて欲しいくない理由があるのかなって思ってさ」
「…意外と目ざといですね、ユーキ。まぁ、そこまで冒険したいのなら私は止めませんよ、せいぜいあがいてください」
そう言ってナビィはヒラヒラと空に飛んでいき、消えてしまった。
残されたユーキはどう田中ちゃんを説得するかを考えていた。
奴を説得するのに『仲間』や『絆』などというフワフワしたものに頼るのは無理だ。そもそもそんなもの、俺たちの間には一欠片たりともないのだから…。
なにか、奴の心まで届くような言葉で無ければ…。