空と森と草原と呪われしゴブリン
「出て来ちゃダメよ。あなたはここに隠れていなさい」
母はそう言って私を茂みの中に隠した。
そんな母を身の丈ほどの大きな大剣を背負ったジャージ姿の冒険者がつけ狙う。
逃げるしか選択肢が残されていない母は脱兎のごとく、必死になって森を駆け回った。
だが、やがては追いつかれ、その剣の餌食となった。
まるで雑草を抜き取る程の単調な作業をしているかのように、なに一つためらいも感情もなく、その冒険者は母を手にかけた。
怖くて動けなかった私は母が嬲り殺される様をただただ見ているだけしかできなかった。苦痛に歪む母の顔を目の前になにもできない自分の無力さと当たり前のように澄ました顔で母を狩る冒険者に対する憎しみを抱えながら…。
そして…母はそのまま事切れた。
母の息の根を止めると同時にその冒険者はその場から姿を消した。
私は震える手で母の亡骸へと手を伸ばした。母の声が聞きたくて、母の温もりを感じたくて…ただただ必死に手を伸ばした。
するとどうだろうか?。
絶命したはずの母は私が伸ばした手に答えるように、私の手を握り返してくれた。
私は驚きながら再度母を見ると、そこには先ほどまで傷だらけだったはずなのに、無傷な母の姿があった。
どういうわけかは分からないが、私は母の無事を泣いて喜び、その母の胸に飛び込もうとした。…だが、それは叶わぬ願いだった。
私が抱きつこうとしたその時、何者かの気配を察知した母は再び私を茂みの中へと隠した。
訳が分からずただただ言われるがままに私は茂みへと身を隠した。
そして…悲劇の第2章が幕を開けた。
現れたのは先ほど母を殺したはずの冒険者であった。
母を見つけたその冒険者は母を狩るべく再び母を追いかけ始めた。
母も必死で逃げたが、やがては追いつかれ、虐殺が始まった。
無抵抗の母をなんのためらいもなくその冒険者はとどめを刺し、再びその姿を消した。
訳が分からぬまま、再び母の元へと這い寄り、私は母に声をかけた。
確かに殺されたはずの母であったが、そこには再び無傷の母の姿があった。
母を二度も殺される悪い夢を見ていたのかと私は錯覚したが…それは夢では終わらなかった。
先ほどと同じようにすぐさま冒険者が現れ、母を追いかけ回し、斬り殺し、姿を消した。
するとなぜか母が復活するが、すぐさまそこに冒険者が現れ、何度も母の命を狩るのだ。
わけもわからず茂みからその様子を見つめるしかできなかった私は何度も…何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も…何十、何百と母の死に様を見せつけられたのだ。
繰り返し連鎖する悪夢の中で私の精神は徐々に蝕まれ…やがて崩壊した。
悪夢の終わりに本当に事切れてしまった母の姿を目の前に私は固く誓った。
あの悪魔のような冒険者を、必ず私の手で殺す。一度や二度じゃない!何十!!何百!!!何千!!!!何万!!!!!何度だって殺してる!!!!!。あいつが母にしたように、私もあいつを何度だって殺してる!!!!!!。この体が朽ち果てるまで何度でも殺してやる!!!!!
そんな燃えたぎるような憎しみと最愛の母の喪失にうなされ、メタルゴブリン(美少女)は目を覚ました。
「だいぶうなされていたようだけど、大丈夫かい?」
目が覚めたメタルゴブリンにそう声をかけてくれたのはこの前、冒険者に狙われていたところを助けてもらったゴブリンリーダー(ショタ)であった。
それ以来、共に旅しているのだが…未だにゴブリンの森を抜け出せないままでいた。
「大丈夫、明日にはきっと抜け出せるさ」
ゴブリンリーダーはメタルゴブリンにそう言って笑いかけた。
「適当なこと言わないで」
だが、メタルゴブリンは根拠のないゴブリンリーダーの発言を否定した。
「確かに根拠はないけどさ…そう考えた方が楽しいじゃん」
「楽しいとか楽しくないとかじゃないの!!私はそんなもののために旅するんじゃない!!」
ゴブリンリーダーの適当な発言に突然メタルゴブリンは怒鳴り声を上げた。
「…じゃあ、君はなんのために旅したいのさ」
「復讐よ。母を殺した冒険者に復讐するためよ」
「復讐か…やめときなよ。そんな旅じゃつまんないよ」
「黙れ!!お前に何がわかる!?」
自分の信念を否定されたことにメタルゴブリンは怒りの声を上げた。
本当ならばこんなお気楽なやつと旅などする気はさらさらなかった。しかし、話によればこのゴブリンリーダーは元々はこの森に住んでいた者ではないらしい。
今までどんなに脱出しようと試みてもどういうわけだかこの森からは抜け出せなかったが、森の外から来たゴブリンリーダーなら抜け出す術を知っているかもしれないと期待して、共に行動しているのだ。
だが、ここ数日様子だとそれは無駄な期待だったようだ。未だに森を抜け出す糸口をつかめないゴブリンリーダーにメタルゴブリンは飽き飽きしていた。
森を抜けられないのなら、こいつと一緒にいる意味はないな。
メタルゴブリンはそんなことを考えていた。
やがて夜が明け、森に朝が訪れた。
「今日こそはこの森を抜けるぞ」
そう意気込むゴブリンリーダーを尻目に、メタルゴブリンの顔には曇りが見えた。
やっぱり…私にはこの森を抜け出せないのでは…。そういう疑念が頭から離れないのだ。いままで復讐を果たすべく何度も森を抜けることを試みたが、どういうわけがいつの間にか元の場所に戻って来てしまうのだ。
所詮私達メタル一族は冒険者から命を狙われる呪いを背負い、この森で冒険者の糧となるのが定めなのだろう。
そういう諦めがメタルゴブリンの心を埋め尽くしていたのだ。
「やっぱり…私には無理だよ…」
いつの間にか思っていたことが言葉に出てしまったメタルゴブリン。そんな彼女にゴブリンリーダーはこんなことを語り始めた。
「僕も…最初は無理だと思ったんだ。ゴブリンリーダーとして…チュートリアルボスとして生きていくことからは逃れられないと思ってたんだ。でも、ある人がその運命を変えてくれたんだ。僕の殻を破ってくれたんだ。だから…きっと君を縛る殻だって壊せるんだ」
「いい加減なこと言わないで。あなたはたまたまうまくいったかもしれないけど、そんな偶然は二度も続かない」
「そんなことわかんないじゃん。だってさ…道はどこまでも続いているんだよ?」
そう言ってゴブリンリーダーは遠くの方を指差した。
根拠のない言葉だが、気休め程度の励ましにはなった。
そしてゴブリンリーダーは突然、メタルゴブリンの手を取り、走り出した。
「ちょ!…いきなりなによ!?」
「焦れったい!歩いてなんていられないよ!!…この道の先に、未知の世界が待ってるって思ったらさ!!」
客観的に見たら彼の言葉はただの馬鹿の独りよがりなのかもしれない。
それでも彼女がその手を振り払わなかったのは…呪い故に抱えた孤独のせいなのか…それとも彼の言葉を信じたくなったのか…。
彼の手に引かれ森を駆け抜けると、突然、光が彼女を包み込んだ。
その光はいままでずっと浴びて来た木や葉に遮られたおこぼれのような木漏れ日ではなく全身を突き抜けるような太陽の光であった。
「今は旅の目的が復讐だけどさ…旅をしていく中できっともっと楽しいことに出会えると思うんだ。…だってさ」
突然の太陽の光に目が開けられない彼女に彼はこう語った。
「世界はこんなにも広いんだから!!」
眩しさに慣れ、ようやく目を開けられるようになった彼女の視界にどこまでも…地平線の彼方まで続く一面の草原が飛び込んで来た。
…彼の言葉は確証もないいい加減なものだ。
だけど、その言葉を信じてしまうほど、果てしなく広がる世界が彼女の目の前には広がっていたのだ。
森の湿った風とは違い、爽やかな青の風に吹かれ、彼女は世界の広さに一人、涙を流した。森の世界しか知らなかった彼女は涙を流すほど感動したのだ。
こんなにも広い世界を果たして旅しきれるのだろうか?。…いや、そんなことを考える暇があるなら、この胸を高ぶらせる好奇心の赴くままに走り回りたい。
まるで子供のような冒険心が彼女の心を支配したのだ。
「さあ、行こうこの世界を、君とどこまでも旅しよう」
「…うん」
二人が約束を交わしたその瞬間、この心躍る冒険は幕を開けた…
…はずだった。
彼らの頭上に輝く青い空はどういうわけか一瞬で暗雲に染まり、耳障りな雷雲が何度も鳴り出したのだ。
何事かと辺りを見渡す彼らの頭上に…一人の…いや、一匹の美少女が舞い降りた。
トカゲのような長い尻尾に、ワシのような大きな翼をつけたその美少女はその風貌から竜を思わせた。
「久しいのう、ゴブリーよ」
その美少女はゴブリンリーダーを見つめながらそう声をかけて来た。
「お前は…竜王、バハムート!?。…どうしてお前がここに!?」
その美少女を目にしたゴブリンリーダーは驚きのあまりそんな言葉を口にした。
「『どうして?』だと?。なぜ我がこんな辺境の地に来たのかくらい分かっておるのだろ、ゴブリーよ」
バハムートの言葉に思い当たる節があるのか、ゴブリンリーダーは無言の返事を返した。
「お主だって分かっておるのだろう?我々モンスターNPCが自分の住処から出るのはタブーだということを」
バハムートの言う通り、ゴブリンリーダーも父から散々同じことを教えられて来たので、そのことは心得ていた。
「そのことは話には聞いたことはある。だけど、どうして住処を出ていくことがタブーなんだ?」
「理由は簡単じゃ。ダンジョンにボスがいなければこのゲームが崩壊するからのぉ。…現に、お主が住んでおった始まりの洞窟はダンジョンとして機能しておらぬぞ?」
「あの洞窟はこわれてるんじゃあ…」
「確かに一度は壊された。…だが、ゲームマスターによってすでに洞窟は再建されておる。安心せい、お前の住処は元どおりに戻っておる」
「でも…だからって僕が戻らなきゃいけない理由はないはず…」
「普通ならモンスターNPCがダンジョンを抜け出すことなど不可能なはずじゃ。しかし、想定外の出来事が起きた結果、そのありえないことが起きてしまった。その結果誕生してしまった住処を持たないモンスターNPCはゲームマスターも想定外の出来事なのじゃ。故にお主が原因でどんなことが起きるかも分からない。…言わば、お主は存在そのものがバクのようなものなのじゃ。そしてそのバグを排除するのは当然の流れじゃ」
「僕が…バグ?」
「そうじゃ。…現にゴブリンの森にしかいないはずのメタルゴブリンをお前がこの平原まで連れ出してしまったではないか」
確かにバハムートの言う通り、メタルゴブリンはゴブリンリーダーの手に引かれ、森を抜け出すことができたのだ。
それは偶然などではなく、バクという存在故に起こり得たことなのかもしれない。
「そういうわけじゃ。我が手を下す前に洞窟に帰れ」
バハムートは上空から冷酷な瞳でゴブリンリーダーを見下した。
竜というのはモンスターの中でも最強の一族、ましてやその王にたかだかゴブリン風情が叶うはずもない。
だけど…
「いやだ!僕は自由に生きると決めたんだ!。もうあの洞窟には縛られない!!」
はっきりと拒否の反応を示したゴブリンリーダーを見下しながら、竜王は口を開いた。
「小鬼風情が、竜の王に逆らうというのか…自由を知ったばかりに…哀れな存在よ」
そして、大地を震わすような咆哮を上げた。
竜王にとってはただの威嚇であるのだが、その咆哮によって大地は裂け、そこから火の手が上がり、先ほどまで穏やかだった草原は一瞬にして火の海へと変貌した。
「一つ、いいことを教えてやろう。我のレベルは85。このゲームの最高クラスの強さを誇る竜族の王だ」
この言葉の一言一句がずっしりと重たくのしかかるような重圧を放っていた。
「お主を殺せば、新たなゴブリンリーダーが始まりの洞窟に再びリスポーンされる。そして我がお主を葬ることくらい、何ら造作のないことよ」
「確かにお前を倒すのは流石に僕には無理だ。…だけど、この広い世界なら、逃げることくらいなら叶うかもしれない」
「ファッファッファ!!!この我から逃げるだと!?この空が住処である我から、どう逃れるというのだ!?」
バハムートは他のボスとは違い、ダンジョンで冒険者を待ち構えるボスなどではない。その空を自由に飛び回り、勝手気ままにその力を振るう特別なボスなのだ。
言ってしまえばバハムートの住処は頭上に広がる空の全て。さすがにダンジョンや街には進入できないが、空の下にいる限り、彼女の脅威に脅かされることになるのだ。
非力なゴブリン達にその脅威を凌ぐ力があるかと問われると…素直に首を縦に降ることは到底できない。
バハムートの言う通り、今ここで彼らを葬るのは蚊を叩くような造作のないこと。…しかし、そのバハムートから意外な言葉が飛び出して来た。
「いいだろう。その無謀さと元ボス仲間のよしみに免じて、お前を見逃してやろう」
「…え?いいのか?」
意外な言葉に思わず困惑するゴブリンリーダー。しかし、そんなにうまい話があるはずもなく…。
「ただし、条件がある。お前の隣にいるメタルゴブリン…そいつを我に差し出せ」
「…彼女をどうするつもりだ?」
「決まっておるだろう…食すのだ。我々モンスターはブラッドを食すことでさらなる力を得ることができる。そしてそのブラッドが濃縮された結晶の塊ともいえるメタルゴブリンを喰らえば、我はさらに強靭な力を得ることができるのだ。…今ここでお主を見逃せば、我には罰が下るであろうが、普通ならば決してお目にかかれないそのメタルゴブリンを食せるのならば、お主を見逃して罰を受けるのもやぶさかではない」
自由のために彼女を差し出すか、それとも彼女もろとも業火に焼かれて灰になるか…。
その二択を前にゴブリンリーダーは小さな声で口を開いた。
「…確かに、自由は欲しい」
「そうだろう、ゴブリーよ」
「だけど…誰かを差し出してまで手にする自由なんて…本当の自由なんかじゃない!!」
圧倒的強さを誇る竜王を前にまるで主人公のような言葉を吐き捨てるゴブリンリーダー。…もうこいつが主人公でいいんじゃないかな?。
「よかろう。ならば二人まとめて…我が糧となるがいい!!」
その言葉と同時にバハムートはひび割れた大地から吹き出すマグマを操り、小さなゴブリン達を焼きはらおうとした。
だが、思いの外ゴブリンリーダーの動きは素早く、バハムートの思惑に反して彼はマグマの渦を彼女の手を引きながら逃げ切ってみせた。
「…ほう、なかなかやるな、ゴブリーよ」
自分が思っていたよりも強くなっていたゴブリンリーダーに賞賛の声を上げるバハムート。…もちろん、彼女が本気になれば二人を焼き払うことなど朝飯前だ。しかし、二人のHPをゼロにしてしまえば念願のメタルゴブリンを食すことは叶わなくなる。バハムートはHPを残しつつ、二人を動けなくさせる必要があるのだ。
だが、あまりにもレベルの差が激しいため、バハムートにはその力の加減が難しいのである。
分かりやすくいうのならば、そこらに飛び交う蚊を殺さずに捕まえるような感じである。
そういう意味ではバハムートも苦戦を強いられていたのであった。
だが、地面から這い出るマグマを自在に操り、バハムートは二人を完全にマグマの海のど真ん中に追い詰めることができた。
「さあ、ゲームオーバーじゃ、ゴブリーよ」
四方八方をマグマに囲まれ、もはやゴブリンリーダーにはなすすべがなかった。
そんな折、ゴブリンリーダーの隣にいた彼女が話しかけて来た。
「…もういいよ。もう十分だよ。森の外の世界を一目見れただけでも十分だよ。だから…私を見捨てて、あなたは自由を手に入れて…」
何かを諦めたかのようにそう語りかける彼女。だが、彼はそんなことを許さなかった。
「約束したよね?『この世界を君とどこまでも旅をする』って…」
「で、でも…」
「まだ世界のセの字も見てないのに…君の自由はここで終わっていいのかい?」
「でも…そんなの不可能だよ…」
「まだ分からないのかい?。僕は不可能を可能にする…君も知っているだろう?」
そう言って彼は両手で棍棒を握りしめ、持てる全ての力で地面に向かってそれを叩きつけた。
「ゴブリン流、奥義!スーパーゴブリンアタァァァァァッッッック!!!!」
彼がそう叫ぶと同時に、隣にいた彼女は両手を組み、この冒険の存続を強く願った。
するとその願いに呼応するかのように突然、彼女の体が光り出した。
その瞬間、まるで誰かから力を分けてもらったかのような感覚に見舞われた彼の地面にはなったその一撃は普段からは考えられないほどの威力を持っており、辺りの大地を完膚なきまで粉砕した。
地面を砕くほどの一撃による衝撃波により、辺りのマグマは吹き飛んだが、今度はその一撃に耐え切れなかった大地が崩壊を始めた。
激しい地割れとともに真っ二つに大地が割れ、その上にいた二人はその地割れに飲み込まれた。
「…なんだ?この力は?。…そうか、ブラッドの塊であるメタルゴブリンがゴブリーに力を注ぎ込んだのか」
その様子を見ていたバハムートは上空を漂いながら一人呟いていた。
「しかし…弱ったものだ。この下はおそらくブルクラック大空洞、奴らもそこに落ちたのだろう。…さすがに我もダンジョンには進入できないからのう…まんまも逃げられたわけだ…」
一人取り残されたバハムートは腕を組みながら二人が落ちて行った地割れを見つめながらそんなことを呟いていた。
「…だが、我からは逃れられんぞ?…この空がある限り、な」
バハムートは最後にその言葉を残して暗雲の空へと消えていったとさ。
これまでで一番ファンタジーしてる話