君の未来を守る魔宝 その五
掃除が終わる頃にはすっかりと日も暮れていた。
掃除と言っても、風で埃を外に吐き出し、内と外に満遍なく水をぶっかけて、暖かい風を当てて乾かしただけの大雑把な掃除である。
少なくともむせることのないねぐらを確保したルーサーは、虫食いもなくタンスの中で眠っていた布団を取り出して一階のリビングに敷くと、眠りかけていたアイデを家の中に運び、その上に寝かせてやった。
動かす、ということは、どう頑張ってもアイデの身体には激痛が走る。すると、せっかく眠れそうだったのに邪魔をしやがってこのクズ、死ね、くたばれ、という無言の罵詈雑言がルーサーには浴びせられるのだが、彼は努めてスルーした。
ふかふか布団の寝心地は、硬い地面に座っているよりもずっと楽だろう。布団さまさま。五百年経ってもこの布団が無事だったのは、戸建て全体にかけられた魔宝石の防護さまさま、である。劣化を極端に防ぐ魔宝。反応時代にあった技術の一つだと言われている。
気づけば、アイデはとっくに意識を落としていた。寝顔は年相応だ。あんなに眉間にしわを寄せて、全身から嫌悪オーラを出していた人間と同一とはとても思えない。そして見れば見るほど、その性別は不詳だった。
さすが、男女別の人格を宿しているだけはある、のだろうか。
子どもらしく、けれど良くできた造形の顔はいくら見ていても飽きないが、あまりじろじろ見ていると、目を覚ました時に何のかんのと罵られそうだ。ルーサーは腰を上げ、アイデの側に『アメジスト』を置くと、一人残して家を出た。
地属性の魔宝石。透き通ったぶどうのような、深い紫色のアメジストに込めた魔宝は結界。ルーサーの十八番である。
「ちょっと待っててくれよな」
この家にはそもそも、劣化を極端に防ぐ魔宝の他にも、石魔を遠ざけ標的にされにくくする魔宝がかかっていた。いわゆる『石魔除け』である。物を建てる際の常識であり、実際に家に入って、その魔宝がきちんと機能しているかの確認もルーサーは済ませている。発動元の魔宝石は『パイライト』。ダイアモンドと似た性質を持つが、こちらは『人工物に対してのみ効果を発揮する』という、これまた変わった性質の魔宝石である。世の中の建造物の大半は、建築を担った人間がさぼっていなければ、この家のようにパイライトによっていくつかの魔宝をかけられ補強されている。
ルーサーのかけた結界は、保険のようなものだ。内側の存在を外に認識されづらくし、加えて外部からの干渉をシャットアウトする。身動き一つ取れない子どもを残していくのだ、用心し過ぎて困ることはない。
……心配するぐらいなら、ずっと側にいてやれば良いのに。
そう言われればルーサーには反論のしようもないが、すぐに用を済ませて来るから、と心の中で言い訳して、彼はレストソの村へと向かった。
・
話は七年前に遡る。
煌歴二〇〇九年。この年、同時多発的に大量の石魔が人間を襲う『大襲撃』という災害が起こった。人間個々を対象にした襲撃というよりは、一定以上の集まりに対して行われた意志のある攻撃、である。この突発的な災害で最も被害を出したのは、人口の多い都や町ではなく、辺境にある小さな村の数々だった。理由は簡単。それなりに大きな町や都には、それなりの自衛のための武力があった。しかし小さな村々にはそんなものはなかった。前者は善戦し、後者はただ蹂躙されたのである。
世界全体で見れば、大襲撃に遭ったコミュニティは少数派だった。その内、運悪く大襲撃の標的になった村の一つがレストソである。
平時であれば蹂躙されていただろう。何もできずに全滅していたはずが、レストソは今もこうして生き残っている。ディア・ホープ一家が、たまたま村に滞在していたからだ。
「夫妻は居合わせたという理由だけで、何百という石魔から村を守り抜いた。自分たちだけ、村を見捨てて逃げることもできたはずなのに」
夫妻には子どもがいた。ウィスという少女である。大襲撃から結果として村を守り抜いた夫妻だったが、何の被害も出さずに終えられた、というほど現実は甘くなった。たったの二人で凌いだだけでも奇跡に近い。それ以上を望むのは酷であり、数人の死傷者を出した村も決して文句は言わなかった。むしろ村の住人が心を痛めたのは、夫妻の子ども、ウィスが大怪我を負ったという事実であった。
夫妻がもし、村のために命を張らなければ、最初から一家で逃げ出していれば、村は全滅しただろうが、ウィスは無事だったに違いない。夫妻の一人娘ウィスの負傷は、夫妻が村を救おうとしたことの、言わば代償であった。あるいは、単に運が悪かった、少し違えば他の村人が同じような目に遭っていただけかも知れない。だが、むしろそうであるならなおさら、ウィスの怪我は村の存続のために払われた生贄に等しかった。
村は『レストソの約束』の一部を切り取って、治癒魔宝の補助として使い、ウィスの命を救った。
夫妻は、世界に名を馳せる魔宝石『レストソの約束』を、一部とはいえ躊躇いもなく差し出した村の厚意にいたく感動し、死の淵から生還したウィス共々、レストソに居着くことを決めたのだった。
大切な絆の証。レストソの約束は七年前の事件以来、レストソとディア・ホープ夫妻を繋ぐ、新たな意味を持っていたのである。
「と、ここまでは感動的だな。しかしディア・ホープ夫妻はつい昨日、例の石魔に殺されてしまった。最も落胆したのはウィスで、ウィスはその悲しみをおまえにぶつけた」
布団に仰向けで横になっているアイデは、ルーサーに話を振られても何の反応も示さなかった。目が開いているから寝ているわけではない。ただ、中空に浮かぶ光源魔宝を見るともなく見つめていた。
日が変わって午前二時。目を覚ましたアイデの暇潰しに付き合う形で、ルーサーはアイデに、ソシエ少年とレストソの村にまつわる話の整理をつけていた。
「おまえはそれで、森に行って死のうとしたんだな。かねてからおまえは、自分の側にいる人間は死ぬのだと言っていたらしいじゃないか。何をそう卑屈になっているのかは知らないが、ともかく、ディア・ホープ夫妻が死んだのは自分のせいだと信じて、おまえは死にに行った」
村長がぽろりと口にしたソシエ少年の奇行とは、アイデとして人を側に寄せ付けない必要以上に攻撃的な態度と、極度の死にたがりのことである。村の人間はハナから、ソシエをあまり良い目で見ていなかった。大襲撃から一年後に、ソシエはディア・ホープ夫妻に引き取られたのだが、もうその頃からソシエにはアイデという人格が備わっていたし、攻撃的だったし、死にたがりだったと言う。だが、村の恩人であるディア・ホープ夫妻の手前、彼らがソシエを大切にしていたこともあって、表立ってソシエは邪険に扱われていなかった。
しかし、ディア・ホープ夫妻が死に、その子どもに大怪我を負わせたソシエに対し、ついに村人のタガが外れた。彼らは怒り、そして、二つの人格を内に宿す奇異への嫌悪を隠さなくなったのだ。
ウィスを殴り飛ばしたソシエを、村人数人がこっ酷く罵った。折檻ではなく罵倒だ。単なる悪口である。殺人未遂にしたって、それは弱冠十二歳の子どもにかけて良い言葉の数々ではなかった。災厄の子ども、史上最大の殺人鬼、今もどこかに隠れ住むと噂される悪魔、ノアの名まで出たという。居た堪れなくなったソシエは、その場を逃げ出して坑道へと入ったのだった。
歩くだけ歩いて、あの空洞へと辿り着いて力尽き、そして、ルーサーと再会する。
「良く、その大人たちを殴らなかったな」
「……しようがないわ、そんなこと」
子どもを謗る大人たちよりも、アイデの方が大人だった。
というわけではなく、ウィスを殴った時点でアイデは我に返っていたのだ。
自分のしでかしたことの重大さを思い知った。思い知っていった、ということを思い出した。アイデは自分がいかに村中から嫌われていたのかも、ディア・ホープ夫妻がどんなに村人から好かれていたのかも、そして、夫妻のおかげで自分の平穏が保たれていたことも、全て承知していたのである。夫妻の死によって壊れかけた庇護に、自分でトドメを刺してしまった。それも、ウィスに大怪我をさせるという、最悪の手段で。
「アイデ。おまえ、明日からどうするんだ?」
「帰る場所がなくなったわ。やっぱり、死ぬしかないのよ。呪われた子どもは」
「もう一眠りして、日が昇る頃にはある程度、回復してるだろう。死にに行くには絶好だ。石魔に会いに行く元気はあっても、いざって時に抵抗するだけの体力はない。ほぼ確実に死ねるよ」
「やっぱり、わたしに死んで欲しいのね、あんたも」
「やっぱり? それはおかしいな。もう二度も助けてるんだぜ、俺は」
「だって、あんたは……」
……あんたは、何だ?
次の言葉をルーサーがいくら待っても、アイデは続きを口にしなかった。そうやって沈黙が続くと、アイデの目がとろけてくる。まぶたが重くなり始め、瞳から光が失せていく。
「あんたは、……わたし、を……」
かくん、と。
音がしそうなほど見事に、けれど実際は音もなく静かに、アイデは眠りについた。
そういえば、眠っている時はどっちなのだろう。ソシエ少年なのか、アイデ少女なのか。考えてみれば、ルーサーはソシエの方の人格に会ったことがなかった。話によれば、ソシエの方が主人格であり、アイデの方が後から出てきた人格なのだという。しかし、それも変な話である。“ディア・ホープ夫妻に引き取られた時にはもう、アイデと言う人格が備わっていた”のなら、どうして後から追加された人格が分かっているのだ?
知っていたのは、間違いなくディア・ホープ夫妻だ。だが、ディア・ホープ夫妻とソシエの関わりについてはまだ語られていない。少なくとも村長の口からは、レストソの事情については聞き出せたが、逆にレストソ以外の事情については何一つ聞かされていなかった。
この物語には、まだ欠けている情報がある。
それは他ならぬ、ソシエ・ジュビリーズという二重人格少年のパーソナリティ。寝入ったアイデの邪魔をしないよう、魔宝を解いて光源を消す。
「全く。おまえ、一体どこから来たんだ?」